三笑亭可楽、三遊亭圓生、古今亭志ん朝の「寝床」を聴き比べる。そんなちょっと贅沢な休日の午後を過ごした。「寝床」は、旦那のひどい浄瑠璃を店子や使用人たちが無理矢理聴かされるという噺。
1.可楽 2.志ん朝 3.圓生の順だ。
可楽ダントツカンペキ。志ん朝は主人公の旦那を演じるには、若すぎて声が張りすぎ。圓生の方がきちんと旦那と他の店の使用人や店子たちを描き分けている。ただ、可楽に比べると、構成がアンバランス、何度か明らかにくすぐりが滑って客の呼吸を捕まえ損ねている。なるほど、可楽、圓生、たぶん文楽たちに比べれば、志ん朝は大学の落研レベルかもしれない。しかし、ここは志ん朝に座布団一枚。旦那の浄瑠璃に堪らず蔵に逃げ込んだ番頭の吉兵衛、あきらめず見台を抱えたまま蔵を周りながら唸る旦那、やがて蔵の小さな窓を見つけそこから浄瑠璃を語り込み、蔵の中で最悪となった音響に吉兵衛は七転八倒、という安珍清姫もどきスラップスティック風たたみかけに大笑いした。
三笑亭可楽の「寝床」の完成度の高さはどうだ。旦那の浄瑠璃の会に店子を誘いに出向いた使用人の清三だが、皆から理由をつけてことごとく断られる。そのなんだかんだ、あすこが痛いのここが悪いの理由を旦那に細々報告するところが白眉。清三の他人事だからはじめは棒読みのような冷淡さが徐々に心配げになっていく調子、ふんふん聴いていた旦那がだんだん憮然となりやがて苛立ち声が高ぶり、「清三!おまえは丈夫ですかっ」「何の因果か、ここ二三年丈夫で、トホホ」と半泣きとなる対照の妙に至るまでに、同じ人物の声音を変えていく巧みさ。旦那の不機嫌さは凄みすら漂って怖いほどだ。
浄瑠璃聴くのが嫌なら店子は追い出し、使用人には暇を出すという旦那の我が儘と冷酷さ、面従腹背ながらご馳走で別腹をなだめる小狡い店子たち、互いの虚実に陰影を与えるからこそ、旦那たちの愚かしさや浅ましさが際立ち、その人間くさい地面で交じり合うときにふと浮かび上がる可笑しみを我が事のように笑える。そんなドライな笑いを描き出す可楽の「新しさ」。洒脱や粋というより、モダンがしっくりくる。
また、くすぐりの一つひとつがたまらない。「金物屋の女房ときたら、四季孕んでやがる、まるで泥棒猫だよ」(四季孕むというデフォルメに気づかさせないほどさりげないブツブツ)「火事場で物食うようで忙しくっていけねえ」(聴くに耐えない浄瑠璃がはじまる前にと、せっかくのご馳走をあわてて食べる情けない様子が目に浮かぶよう。これもあり得ない行動と気づかさせない)「魚河岸にマグロを並べたようにゴロゴロしやがって」(ご馳走にマグロの刺身が出る伏線がある)。「うちは物食って寝る宿屋じゃありません」(寝床にやや強引につなげている。円生や志ん朝は、ただ、「宿屋じゃありません」で済ませたが、可楽のように、ここは「物食って寝る」でなくては。可楽は簡潔至極だが、細心緻密な描写をしている)。落語通には、「おめえさんが可楽を知らなかっただけじゃねえか」と笑われるだろうが、脱帽、参りました。
1.可楽 2.志ん朝 3.圓生の順だ。
可楽ダントツカンペキ。志ん朝は主人公の旦那を演じるには、若すぎて声が張りすぎ。圓生の方がきちんと旦那と他の店の使用人や店子たちを描き分けている。ただ、可楽に比べると、構成がアンバランス、何度か明らかにくすぐりが滑って客の呼吸を捕まえ損ねている。なるほど、可楽、圓生、たぶん文楽たちに比べれば、志ん朝は大学の落研レベルかもしれない。しかし、ここは志ん朝に座布団一枚。旦那の浄瑠璃に堪らず蔵に逃げ込んだ番頭の吉兵衛、あきらめず見台を抱えたまま蔵を周りながら唸る旦那、やがて蔵の小さな窓を見つけそこから浄瑠璃を語り込み、蔵の中で最悪となった音響に吉兵衛は七転八倒、という安珍清姫もどきスラップスティック風たたみかけに大笑いした。
三笑亭可楽の「寝床」の完成度の高さはどうだ。旦那の浄瑠璃の会に店子を誘いに出向いた使用人の清三だが、皆から理由をつけてことごとく断られる。そのなんだかんだ、あすこが痛いのここが悪いの理由を旦那に細々報告するところが白眉。清三の他人事だからはじめは棒読みのような冷淡さが徐々に心配げになっていく調子、ふんふん聴いていた旦那がだんだん憮然となりやがて苛立ち声が高ぶり、「清三!おまえは丈夫ですかっ」「何の因果か、ここ二三年丈夫で、トホホ」と半泣きとなる対照の妙に至るまでに、同じ人物の声音を変えていく巧みさ。旦那の不機嫌さは凄みすら漂って怖いほどだ。
浄瑠璃聴くのが嫌なら店子は追い出し、使用人には暇を出すという旦那の我が儘と冷酷さ、面従腹背ながらご馳走で別腹をなだめる小狡い店子たち、互いの虚実に陰影を与えるからこそ、旦那たちの愚かしさや浅ましさが際立ち、その人間くさい地面で交じり合うときにふと浮かび上がる可笑しみを我が事のように笑える。そんなドライな笑いを描き出す可楽の「新しさ」。洒脱や粋というより、モダンがしっくりくる。
また、くすぐりの一つひとつがたまらない。「金物屋の女房ときたら、四季孕んでやがる、まるで泥棒猫だよ」(四季孕むというデフォルメに気づかさせないほどさりげないブツブツ)「火事場で物食うようで忙しくっていけねえ」(聴くに耐えない浄瑠璃がはじまる前にと、せっかくのご馳走をあわてて食べる情けない様子が目に浮かぶよう。これもあり得ない行動と気づかさせない)「魚河岸にマグロを並べたようにゴロゴロしやがって」(ご馳走にマグロの刺身が出る伏線がある)。「うちは物食って寝る宿屋じゃありません」(寝床にやや強引につなげている。円生や志ん朝は、ただ、「宿屋じゃありません」で済ませたが、可楽のように、ここは「物食って寝る」でなくては。可楽は簡潔至極だが、細心緻密な描写をしている)。落語通には、「おめえさんが可楽を知らなかっただけじゃねえか」と笑われるだろうが、脱帽、参りました。
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