連合 神津会長 「原発ゼロ」の表現 使わないよう求める
2020年8月27日 21時10分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200827/k10012587121000.html
「『原発ゼロ』のことばが1人歩きすると、原発が悪いことのような誤解が広がる」
「いまそこで働いている人のことを忘れてはならず、新党の政策論議などでは表現の置き換えを徹底してもらいたい。発言の際には『原発ゼロ』を使わないでもらいたい」
立憲民主党と国民民主党が合流して新党を結成する際、その新綱領に『原発ゼロ』を載せてはならない。もし、『原発ゼロ』を綱領に入れるなら支持しないと枝野代表に「厳命」したといえる。日本最大の労組代表の神津会長は、日本に『原発ゼロ』の選択肢はないといっているわけだ。
その理由として、『原発ゼロ』では「原発が悪いことのような誤解が広がる」として、「いまそこで働いている人のことを忘れてはならず」と労働者への配慮を欠くからだそうだ。あたかも、言葉や表現の問題であるかのようだが、もちろんそうではない。
3.11の福島原発事故を経験した民主党時代から、連合という大手労組の支持を当てにする限り、国民政党には成り得なかった。連合が反対する『原発ゼロ』や『消費税廃止』については口にすることさえ憚られ、「稼働原発の見直し」や「消費税率の低減」などを議論することもできない。
消費税減税とか言うなとか、何が言うなだよ(立憲民主党を離党した須藤元気参議院議員)
世界を見渡せば、『原発ゼロ』は趨勢とさえいえ、エネルギー源の「脱原発」への取り組みや議論は先進各国で活発に行われている。消費税減税もまた然りである。曲がりなりにも「国民政党」である自民党においては、「脱原発」や「消費減税」などの議論そのものが禁じられることはない。
原発推進、もしくは現状維持などを連合が指針とするなら、その具体的な政策論を立憲民主党や国民民主党と議論を交わすべきであり、「誤解を招き、配慮を欠く」という「言葉の問題」に「矮小化」しておきながら、「要望」として「原発推進」の踏み絵を迫るという「極大化」はとても真っ当な姿勢とはいえない。
経団連会長が就任のたびに、「国民の痛みを伴う改革」を政府の求めるのと好一対ではないか。その分際を越えて国民に注文を付ける経団連会長と、国民の合意がいまだ形成されていないはずの原発稼働問題について、公党の議論さえ封じる労働界トップを戴く理不尽に、枝野代表はただうなだれるばかりのようだ。
その一方、労働者の40%を占める非正規雇用や正規であっても中小零細企業雇用者、零細自営業の利害を代弁してくれる政党や組織はほとんど皆無といえる。もはや、ファシズムだけが希望ではないか、いや、冗談ではなく。
(止め)