コタツ評論

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抑圧移譲

2010-05-08 00:35:00 | ノンジャンル
丸山真男に「抑圧移譲」という言葉がある。強者に抑圧された弱者がさらに弱者を抑圧することだ。当然、普天間問題では、アメリカ→日本→沖縄という構図になる。鳩山は、アメリカ←日本/沖縄という弱者連合を組もうとした。ところが、内閣支持率20%台に低下という世論調査が示すとおり、この連合はできなかった。「国外移転」や「最低でも県外」という「沖縄県民の思い」に同意・同感する日本国民の声が上がらなかったどころか、国民の多くは「県内移設」で決着することを期待しているかのようだ。新聞・雑誌・インターネットを渉猟する限り、「基地はいらない」「米軍は出ていけ」という当然の主張や論陣はほとんど見かけなかった。

また、先日、民主党の山岡賢次国対委員長が、普天間問題を「国民生活と関係ない雲の上の話だ」と「失言」して、民主党の沖縄糸満市議から、「謝罪と撤回」を求められた件もまた、国民世論が「県内移設」で決着を求めていることををうかがわせるものだった。たぶん、党員を前にした山岡国対委員長の発言意図は、「普天間問題に国民の関心はそれほど高くない、来る参院選にそれほど悪影響は及ぼさない」という現状認識を示し、党員や所属議員の不安を沈静化したかったのだろう。

逆に言えば、末端党員や市議レベル、所属議員から、「迷走する普天間問題を抱える民主党」への落胆が広がっているという声を少なからず山岡が聴き、危機感を抱いていたからこそ、件の発言となったと思われる。党員や所属議員の声とは、いうまでもなく地元の支持者たちや不支持者たちの声を集約したものである。「迷走」とは解決の道が示されないことを指すが、この場合の解決の道とは、沖縄県民の思いに与して、普天間基地の国外移転や県外移転を押し進められない鳩山内閣を不甲斐ないとするものではなく、その逆のベクトルであると理解した山岡は、その名前のとおり、賢明にも普天間問題などないものにしようとしたと思える。

しかし、山岡の理解は、本当に正しいのだろうか? そして、「県内移設」で決着して、普天間問題などなかったかのように、私たち日本国民は忘れ去ることができるだろうか。私たちは、米軍基地の国外移転をめざした私たちの首相が、アメリカの高官から、「ルーピー(クルクルパー)」と罵られた屈辱を記憶から消せるだろうか。消せるかもしれない。アメリカと一緒に、「ルーピー鳩山」と唱和すればよい。そして、アメリカの抑圧を「沖縄の問題」に棚上げして、これまでどおり、枕を高く寝ればよい。「アメリカの機嫌を損ねさえしなければ、安心だ」と布団を被って。

丸山真男は、「抑圧移譲の原理」といった。抑圧を受けた弱者は、必ずさらに弱者を抑圧して、自らが受けた抑圧の屈辱と怒りを晴らそうとする。そうしなければ、自己の尊厳が保てず、自己同一性が侵されるからだ。さて、沖縄が抑圧移譲先になるだろうか。かつて、沖縄戦で米軍と死闘して「負けなかった」沖縄県民の子孫たちは、手強い相手だ。ならば、抑圧移譲は誰に対して行われるか。社会的弱者に向かうしかない。これから、女や子ども、老人、障害者、病者、外国人が苛められる世の中に少しずつなっていくだろう。「原理」であるならば。

しかし、まだ手はある。日本中どこも、「米軍基地の引き受け先はありません」と鳩山が泣きべそをかいて、アメリカに国外移転を訴えるのだ。もしかすれば、泣く子が地頭に勝てるかもしれない。いつまでも泣き続けていれば。

(敬称略)



 
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