ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

母の日がやってくる

2008-04-20 10:03:14 | 
毎年かかさずに母の日にはプレゼントを贈っている。もう20年ほどになる。
小物の類から、観葉植物、健康食品、そのたびごとに、今年はどうするかと悩んできた。
最近は、ネタも尽きて、あっさり現金を送っている。
好きなものを買ってもらったり、父と旅行に行くとか自由に使えるので、それはそれで助かっているようだ。
全て「金で解決する」という風潮に、侵されてしまっているのかな。
誰かのために苦労すること、思いを何らかの形で伝えること。お金もその一形態だろうが実に侘しい限りだ。
と、思いながら今年も結局、お金になりそうな感じがする。

「かあさんの歌」もうあまり歌われることもなくなっているんだろう。
日本でこんな風景はもうない。僕たちの心象風景にとどまるのみ。
炊事をする母が、あかぎれのため、患部に生味噌をすり込み痛みを抑える。
日本に、そんな時代も確かにあったのだ。


かあさんが 夜なべをして
手ぶくろ 編んでくれた
こがらし吹いちゃ つめたかろうて
せっせと編んだだよ
ふるさとのたよりはとどく
いろりのにおいがした

かあさんは 麻糸つむぐ
一日 つむぐ
おとうは土間で わら打ち仕事
おまえもがんばれよ
ふるさとの冬はさみしい
せめて ラジオ聞かせたい

かあさんの あかぎれ痛い
生味噌をすりこむ
根雪もとけりゃ もうすぐ春だで
畑が待ってるよ
小川のせせらぎが聞える
なつかしさがしみとおる


母の日は、日頃の母の苦労を労り、母への感謝を表す日。
日本やアメリカでは5月の第2日曜日に祝うが、その起源は世界中で様々であり日付も異なる。
例えばスペインでは5月第1日曜日、北欧では5月の最後の日曜日に当たる。

イギリスにおける起源は17世紀の「Mother's day」「Mothering Sunday」(奉公中の子ども達が年に一度、教会で母親と面会出来る、復活祭のちょうど40日前の日曜日)にまで遡る。

アメリカでは南北戦争終結直後の1870年、女性参政権運動家ジュリア・ウォード・ハウが、夫や子どもを戦場に送るのを今後絶対に拒否しようと立ち上がり「母の日宣言」(Mother's Day Proclamation)を発した。
ハウの「母の日」は、南北戦争中にウェストバージニア州で、「母の仕事の日」(Mother's Work Days)と称して、敵味方問わず負傷兵の衛生状態を改善するために地域の女性を結束させたアン・ジャービスの活動にヒントを得たものだが、結局普及することはなかった。

ジャービスの死後2年経った1907年5月12日、その娘のアンナは、亡き母親を偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会をもち、白いカーネーションを贈った。これが日本やアメリカでの母の日の起源とされる。
ジャービスの母への想いに感動した人々は、母をおぼえる日の大切さを認識し、翌1908年の5月10日には同教会に470人の生徒と母親達が集まり最初の「母の日」を祝った。アンナは参加者全員に、母親が好きであった赤いカーネーションを手渡した。このことから、赤いカーネーションが母の日のシンボルとなった。
アンナ・ジャービスは友人たちに「母の日」を作って国中で祝うことを提案。1914年に「母の日」はアメリカの祝日になり、5月の第2日曜日と定められた。

日本では、昭和時代に皇后(香淳皇后)の誕生日である3月6日(地久節)に行われていたが、1949年ごろからアメリカの例に倣って5月の第2日曜日に行われるようになった。

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ミンナニデクノボウトイワレ

2008-04-19 22:18:06 | 
結局、自分以外の人間をどれだけ信頼・信用できるのだろうか。
自分以外の人間と言えば、親兄弟から始まって、女、友人、会社の同僚、地域社会の人々。
そう、自分以外の全て。
その誰とも僕は、なれ代われないし、僕に誰もなり代わってはくれない。
そういう意味では、僕は人間を、信頼・信用していないのかも知れない。
けれども、自分も含めて、それが人間なのだと、なかば諦めの境地でそれらを見れば、なぜか不憫で、見捨ててもおけない。
何か自分が高みに立ったような、傲慢な感じもするけれど、かなり今の僕の気持ちに近いからしょうがない。
高踏主義に依拠しているものでは決して無い。
ただ、悲しい人間と言う存在のサガに、諦めを感じる。
こんな僕には、もうあまり生きる積極的な意味など無いようにも思う。
かといって、消滅すべき理由も無い。
その微妙なバランスの上で、僕はぬくぬくと生をまっとうしているのだろう。

人のため、世の中のために生きろ。
自分の残りの人生を、社会のために意味あるものにせよ。
頭を丸め、坊主懺悔するとか、イエスキリストの御心におすがりするか。
それで僕の心が救われたらいいのか。
人間と言うものへの期待がいくばくかでも僕のうちにあれば、そうでもしよう。

最近、人間に何か期待できるものがあるのかと、猜疑に狩られる僕であるなら、どうも救済の術がなさそうである。

いっそ誰かと失楽園でもするとか・・・・。
そんな、同じ境地に至る相手も見つからず、
僕は、ただこのぬるい日常を、自己嫌悪と猜疑心に包まれながら、
見せ掛けの笑顔と愛想を他に振りまきつつ、
ただこの醜悪な生を、浪費するだけなのだろう。

そう、僕は単なる「デクノボウ」としていき続ければよいさ。
宮沢賢治の「デクノボウ」にも似てね。


東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負イ
南ニ死ニソウナ人アレバ
行ッテコワガラナクテモイイトイイ
北ニケンカヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイイ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
ソウイウモノニ
ワタシハナリタイ


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資本の運動に踊らされる僕たち

2008-04-18 21:48:44 | 
今の僕たちは、資本主義の競争主義に踊らされているのだろうか。
本来の人間の幸せの要素のいくつかを、アングロサクソン的市場原理主義は、
大いに煽り、誇大化し、人間を支配し始める。支配され、その歯車の上で踊り始めると、そこから脱却するのは容易なことではない。
今、僕はその歯車の中で踊り、知らず知らずのうちに、何者かに支配され、半ば身動きが取れなくなっているようだ。
かつての「反逆の闘士」が、なんというざまだ。

■そこそこ健康な体
■そこそこの健全な精神
■ほどほどの自由な時間
■ほどほどのお金
■いくばくかの権利
■いくばくかの義務
■多少の欲望の充足
■多少の睡眠の充足


こんなことが満たされるなら僕は多分幸せを感じるだろう。
しかるに、かの「競争原理」は、「金」「権利」「欲望」を極端に煽り、
他の要素を飲みつくすようである。

正常な人間を「金の亡者」「権力欲の亡者」、総じて「欲望の亡者」と化す。
僕は、必ずしもこれに当たるとは思わないが、少なくともこれらを煽る世界の中で、「健康」と「精神」と「時間」と「睡眠」を喪失しつつあるように感じる。
お金が要らない、権力が要らない、欲望も要らないといえば嘘になる。
けれどもそれらは、バランスよくほどほどに、いくばくかあればよいのである。

金に狩られ、権力欲に狩られ、欲望に狩られ、自分以外の人間を蹴落としていく世界に、人間として互いに正常な関係性を保ち、共存共栄するなどという思想はまったくもって馴染まない。
金力、権力を持つものが語る「共生」は、暴君が善良な市民を支配下に置くための奴隷化としての「共生」に過ぎない。

よく思う。多くの友を失い、家族さえよそよそしくなり、その暁に得たお金と地位と権力とに、僕は満足して死ねるのだろうかと。
「ああ、いい人生だった」と死に際に心から言えるだろうかと。
多分、虚しく過ぎた時間を惜しみ、健康だったらまだ続いた人生に悲嘆し、離れていった愛しい人への悔悟の念に苛まれるのだろう。

僕は、いつまでいまの僕を演じていればよいのだろうか。

この喜劇にも似た舞台を降りる場面を、僕は想像する。

大病により。
精神の変調により。
義務を犯すことにより(犯罪)。

いつかは、いつかはと思いながら、また明日が来る始末である。

僕は、この苦しさゆえに、なにか災厄が僕の身に降りかかることを望まないでもない。

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弁当に納豆ってあり??・・・なしに決まってる!!

2008-04-14 21:37:22 | 
僕の幼少の頃は、
   「巨人・大鵬・卵焼き」
と呼ばれるほど、プロ野球、大相撲の人気が凄かった。
またこの“三種の神器”は、まさに日本の高度成長期を代表する言葉でもあった。
巨人は川上監督の下、1965年から73年、ONを擁して9連覇、視聴率は20%。また大鵬は、62年から67年にかけて6場所連続優勝を2度達成した。


僕の地方では、プロ野球といえば巨人戦しかありえず、王・長島のホームランの競演に心躍らせた。

ファースト王、セカンド土井、ショート黒江、サード長島、ライト国松、センター柴田、レフト高田、キャッチャー森、ピッチャー堀内。。。。

記憶力の退化した僕の脳ミソであるが、当時の巨人の布陣がすらすらと出てくる。

大相撲もそうだ。大鵬の宿敵、佐田の山、柏戸、豊山、、、、

そして何よりも、ジャイアント馬場だ。



馬場とボボブラジル、馬場と吸血鬼ブラッシー、馬場とキラーコワルスキー・・・。
日本勢はアントニオ猪木、原爆頭突きの大木金太郎、坂口誠治、吉村、、、
こちら国際プロレスだっけ。毎週金曜夜8時から欠かさず見ていた。

全日本プロレスもよかった。こちらは水曜夜8時から。
豊登り、グレート草津、鯱横内。
こっちにはあのモンスター・ロシモフ(後のアンドレザジャイアント)がいた。
凄かったなこっちも。

テレビ漫画は、巨人の星、ハリスの風邪、キックの鬼、明日のジョー、タイガーマスク、アニマル1とやはりスポ根もの。アタックNO.1もあった。



小学校だった僕は、そんなテレビのスポーツやスポ根漫画に熱中していたのだが、もう一つの主役=卵焼きは、まさに弁当おかずの定番でありました。
アルミの弁当缶に、ご飯を目一杯詰め込み梅干に焼き海苔を引いて、小さなおかず箱に卵焼きやおしんこ、そんなシンプルな弁当が通例でした。



こんな最近のママさんたちが作るお弁当とは雲泥の差、天と地ほどの差がありましたが、それでもとても美味しかった。

しかし、ある時、何を思ったかうちの母は、弁当にあらぬものを入れてくれました。
僕のとても大好きで大好きでたまらない、『納豆』!!!!!!!そのまんま。
これってありなのかぁ????
醤油を入れてよーくかき混ぜた納豆を、焼き海苔の代わりにご飯の上に敷く。
弁当箱を開ける時にとてもいやな予感(いやな臭い)がしたが、「まさか・・・」、と思いふたを開けると、“それ”は確かにあった。
ふたに引っ付いた納豆粒は、数十本の糸を従え、きれいな曲線を引いた。
(おお!?なんと美しい・・・泣)
回りの友達は、当然大爆笑!? それ以来しばらく僕のあだ名は『納豆』となった・・・。

弁解の余地なしであった。

けれども、既に昼ともなるとご飯の上でほどよくふやけた納豆ご飯は、それはもうおいしゅうございました。開き直り完食したのは言うまでもない。
(意地でも食ったる!!・・・泣)

というような、そんな子供時代でありました。おしまい。

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眼鏡を買おうとしたら映画「めがね」

2008-04-13 09:59:54 | 
相当視力が悪化しており、眼鏡を買おうと思っていた。
そして、本日、それを実行しようと思い、まずはネットで下調べ。
そうしているうち、引っかかってきたサイトの中に、昨年9月に公開された「めがね」というのがあった。
何だろうと思い、開けて見ると、これがなかなか魅力的。
というか、今の僕の心情にもシンクロした。絶対観たいと思った。



人とは。旅とは。生きるとは。登場人物たちとゆるやかな時間を共有するうちに、心はいつしか大きなものへと向かいます。が、もちろん映画は、そんな命題を軽々と飛び越えたところで成り立っています。南国ならではの透明感あふれる日差しのもと繰り広げられる、生命力を呼び覚ますおいしい食事。心地よい暮らしの風景。凛と胸に響く音楽。そしてそれらをともにする、同志のような仲間の存在。スクリーンから五感のすみずみに届く、ひろびろろ手足を伸ばして生きる歓びを、ただ素直に受け止めればいい。たそがれる、それこそが旅の、そしてこの映画の醍醐味なのですから。

== イントロダクションより抜粋 ==

You live freely only by your readiness to die 
(死ぬことを恐れなければ、自由に生きられる)

どうやらこの映画のモチーフのようだ。
更に、イントロダクションはこう締めくくる。


思えば、人生とはしばしば旅にたとえられます。その途上での旅とはつまり、一生と言う大きな物語の中で繰り広げられる劇中劇のようなもの。決して永遠ではないその瞬間を、どこで過ごすか、誰と過ごすか。その果てに、何を知るか。ともあれ、行く先が見えなくなったら、なんとなく世界のピントが合わなくなったと感じたら、それがあなたのたそがれどき。まっすぐに歩いていけば、いつか必ずたどり着く。
あなたもきっと経験する旅、その理想形が、『めがね』を通してみえてくるかもしれません。
(同抜粋)

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エプソン アクア スタジアム そして「アンフェア」

2008-04-12 22:55:15 | 
ついに念願の「EPSON AQUA STADIUM」に行って来た(「デート」?)。
品川プリンスホテルのすぐ脇を走る「いちょう坂」を登ったすぐのところにある。
手前には「品川プリンスシネマ」があり、映画、ショッピング、食事、ボーリング場、ゴルフ、、と、この一帯で遊ぶのには事欠かない。



水族館の入園料は大人1,800円、小中学生1,000円、こども600円。
やや高めだ。他に、アトラクションとして銀河鉄道999をテーマにした「ギャラクシープレス999(1,000円)」や不思議な無重力の世界を味わえる「ポート・オブ・パイレーツ(700円)」などもあった(どちらも体験しました)。

まずは、水族館の写真をどうぞ。
丁度、イルカプールにて「ドルフィンショー」が開始された。
十匹以上ものイルカが繰り広げるジャンピングアトラクション。
中々のものでした。



その後に、アシカプールに移動し、アシカショーを見ようとしたが、時間がだいぶあったので、水槽を見に行った(結局、アシカショーは見ず仕舞い)。
ここの「サメとエイの海中トンネル」は圧巻!
サメやエイの下腹を下から臨んだ写真は、何かエイリアンが漂っているよう。
とても不思議な空間でした。







それほど広い水族館ではないですが、パステルカラーの熱帯魚たちも一杯おり、飽きることがありません。
そうそう、ペンギンもおりました。皇帝ペンギンやイワトビペンギンなど種類も豊富で本当にかわいかった。
カニもいました。





ひと通り水族館を見物した後、銀河鉄道999とパイレーツを体験したわけですが、特に銀河鉄道999は、お勧めです。
心臓の弱い人は要注意。突然「それ」はきます。
けれども、あっと言う間に終了。前ふりはとても冗長なんですけどね。





ということで、十分楽しめました。
ノースタワーのレストランで遅い昼食を食べ、品川駅の東口の方でちょっぴり遊び、帰途に着きました。

帰ってきたら、テレビで映画「アンフェア」があることををすっかり忘れており、あわててテレビをつけました。もう後半に入っていてがっかり。

「アンフェア」という言葉に、すっかり「忘れていた」会社のことを思い出してしまい、多少気持ちが沈んでしまった。

アンフェア
いやな言葉だ・・・。

裏切り、正体不明、悪意、、、、アンフェア、か。
見えないことばかりだが、見る必要も無い。別に、犯罪を追っているわけでもあるまいし。

しかし

僕は、僕だ。

回りのことより自分をしっかりもとうと思った。

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命が消えかけた頃

2008-04-12 09:46:14 | 
国道の両端には、真っ赤に色づいたさくらんぼの果樹園が広がっている。
農園の前には、小さな手作りの直売店が軒を連ね、道行くドライバーが立ち寄りさくらんぼを購入する姿も見える。
山形は、盆地であるが故に、夏の暑さは厳しい。
けれど、蔵王の県境から続くこの『さくらんぼロード』は、まっすぐの道がどこまでも続くようで、回りの涼しげな風景とあいまって、ドライブする分にはとても快適なコースに思えた。

「風がとても気持ちいいね」

車の窓は全開である。僕はハンドルを握りながら、その時何を考えていたのだろうか。

「もっとスピードあげようか」

山寺にある立石寺にでも行こうかと、C子と話したのは前夜のこと。
そこに何があるとも思わなかったが、今いるところから僕らはしばし、離れる必要があると考えていた。

山形の夏は意外に心地よい。山並みもきれいだし、田園風景も牧歌的で、僕らのいる地方都市の喧騒からは、まるで別世界の様相に見えた。

「“ややこ”ができたみたい・・・」

困惑した顔をしながら告白したC子の言葉に、僕は動揺した。
そうか、それはよかった・・・などと歓ぶ心の余裕などなかった。
いつかは、、と考えないわけではなかったが、それが「今」であるなど、
考えもしなかったことだ。
その時、学生だったC子と無職の僕であるならば、この困難を打開する術を、
僕らは到底持ち合わせていなかった。
僕が全部引き受けて、C子を安心させていたならば、「最悪の選択」は避けられただろうか。
自分ひとりのことならば、当時の僕は失うものも無く、どんな辛酸も舐める覚悟はあった。
しかし、自分以外の人生を、全部背負う覚悟が、その時の僕にあったかと言えば、ほとんど言葉も無い状況であった。



九十九折の山寺の石段を僕らは黙々と登った。
頂上にある、こんな石山の天井に、よくぞ建立したなと思える、小さなお堂に登りつめたのは、山門から約1時間も経た後だろうか。
真っ青な空と、頬を過ぎるさわやかな夏の風が、汗ばんだ二人の体を癒やした。
そこから眺望する、山々や自然のパノラマに、しばらく僕らは心を奪われた。

「がんばって生きてみようか」

「そうだね」

お堂に二人で手を合わせ、生まれいずることを拒否された、
僕らの始めての生命に対し、深く深く祈りを捧げた。

その晩、名も無き温泉宿に僕らは身を置いた。
持参した薬を捨てた。
C子を心から慈しんだ。たおやかなその体を、これ以上に無いくらいに慈しんだ。

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なぜに山寺・立石寺に登ったか

2008-04-11 23:33:03 | 
山形県の山寺・立石寺に登ったのは、遥か遠い昔のことに感じる。
とても暑い夏の日で、蝉時雨がそこいらじゅうを覆いつくしていた。
九十九折に続く急な勾配の石段の坂道を、いつ果てるとも無く続く無限回廊のように感じながら、一段一段ただひたすらに登り続けた。



山形領に立石寺と云山寺あり。慈覚大師の開基にして、
殊清閑の地也。一見すべきよし、人々のすゝむるに依て、
尾花沢よりとつて返し、其間七里ばかり也。日いまだ暮ず。
梺の坊に宿かり置て、山上の堂にのぼる。
岩に巌を重て山とし、松栢年旧土石老て苔滑に、
岩上の院々扉を閉て物の音きこえず。
岸をめぐり岩を這て仏閣を拝し、佳景寂寞として心すみ行のみおぼゆ。

  閑さや岩にしみ入蝉の声

『奥の細道』より


この芭蕉の心境を味わいに赴いたわけではなかった。
せっかくだから、そうした気分も多少は堪能したかったが、そのような余裕は僕らには無かったような気がする。



「人生は苦界ユエ、僕ハ苦シミ抜カウト思フ。毎夜、睡眠薬ノンデモカマハヌ。正シキ道ヲ踏ンデ行キツクトコロマデ行キツカウ。」
歌集『赤光』の斉藤茂吉の生地もこの近辺にあり、菩提もここにあった。
彼女と、茂吉の墓に静かに手を合わせた。

この山寺・立石寺に来たのは、贖罪のためであった。
彼女と僕の間にできた、初めての生命が、
世に出ることも許されず、静かに、そして儚く消えた。

そんな遠い遠い昔の記憶の断片を、今更ながら思い出している。
なぜだか、ゆっくりと思い出している。

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『悪魔を憐れむ歌』

2008-04-10 21:21:07 | 
SYMPATHY FOR THE DEVIL

少しばかり、僕の自己紹介させてもらっていいかな
僕は、富と哀愁を持つ男なんだ
僕は、長いことこの星の上をうろついて
いろんな人の魂や忠誠心を頂いて来た

僕は、神の子ジーザスが
疑念と痛みに耐えていた頃、神の子を取り巻いて
総督のピラトに呪いをかけ
彼の手を綺麗にして、運命を封印したんだ

僕に会ってくれるかな
その前に、僕の名前を当ててみるかい
そうして君を悩ませてしまうのは
僕の商売の性なんだ

僕が、サンクト・ペテルブルクに居座っていた頃
まさに大ロシアは革命の一歩手前
皇帝を殺し彼の忠臣を葬り去り
アナースタシアは空しく泣き叫んでいたんだ

僕は、戦車に乗り込み
頂いた将軍の地位を満喫し
電撃戦が盛り上がるなか
そこいら一体に転がる死体は悪臭を放っていた

どうか僕に会ってください
僕の名前を当ててみなよ
こうして君を悩ませてしまうのは
僕の商売の性なんだ

僕は、心中ほくそ笑みながら眺めていたんだ
君の王様や女王達が
百年間も戦い続けているのを
それも君たちがこしらえた神の御名において戦っているのを

僕は、叫んでやった
「ケネディ一族を暗殺したのは、どこのどいつだ」と
結局のところ
それは君であり、僕であると

僕の自己紹介させてもらっていいかな
僕は、富と哀愁を持つ男
僕は、吟遊詩人のために身体を横たえよう
彼らこそ、ボンベイ(ムンバイ)に着く前になぶり殺された者達なのだから

どうか僕に一度会ってくれ
そして僕の名前をお当てみなよ
でも君を悩ませてしまうのは
僕のの商売の性なんだ

すべての下級警官が犯罪者同様であるように
全ての罪深き者こそが聖人なんだ
全ての頭が尻尾になり果てるだろう
僕のことを大悪魔ルシファーと呼ぶだろうか
僕にも晩餐を過ごす場所が必要なんだ

いいかい、君が僕に会いたいというのなら
少しばかり礼儀というものが必要だ
少しばかり共感やら哀愁やらも必要だ
洗練された儀礼なども存分に使う必要があるよ
そうすれば、僕は君の魂の中に入り込んで、そこを荒野にして差し上げよう

どうか僕に会ってください
僕の名前を当ててみてくれ
でも君を悩ませてしまうのは
僕の商売の性なんだから(さあ始めて!)

言ってごらん。僕の名前が何だか
言ってごらん。僕の名前を当てられるかい
言ってごらん。僕の名前が何だか
一度しか言わない。僕がここにいるのは、君のせいだよ。




Please allow me to introduce myself
I'm a man of wealth and taste
I've been around for a long, long year
Stole many a man's soul and faith

And I was 'round when Jesus Christ
Had his moment of doubt and pain
Made damn sure that Pilate
Washed his hands and sealed his fate

Pleased to meet you
Hope you guess my name
But what's puzzling you
Is the nature of my game

I stuck around at St. Petersburg
When I saw it was a-time for a change
Killed the czar and his ministers
Anastasia screamed in vain

I rode a tank
Held a general's rank
When the blitzkrieg raged
And the bodies stank

Pleased to meet you
Hope you guess my name
But what's puzzling you
Is the nature of my game

(whoo whoo, whoo whoo)
I watched with glee
While your kings and queens (whoo whoo)
Fought for ten decades (whoo whoo)
For the gods they made (whoo whoo)

I shouted out, (whoo whoo)
"Who killed the Kennedys?" (whoo whoo)
When after all (whoo whoo)
It was you and me (whoo whoo)

Let me please introduce myself (whoo whoo)
I'm a man of wealth and taste (whoo whoo)
And I laid traps for troubadours (whoo whoo)
Who get killed before they reached Bombay (whoo whoo, whoo whoo)

Pleased to meet you (whoo whoo)
Hope you guessed my name, (whoo whoo) oh yeah (whoo whoo)
But what's puzzling you (whoo whoo)
Is the nature of my game(whoo whoo), oh yeah, get down, baby (whoo whoo)
(whoo whoo, whoo whoo)
(whoo whoo)
(whoo whoo)
(whoo whoo) ..........

Pleased to meet you (whoo whoo)
Hope you guessed my name, (whoo whoo) oh yeah (whoo whoo)
But what's confusing you (whoo whoo)
Is just the nature of my game (whoo whoo) um yeah (whoo whoo)

Just as every cop is a criminal (whoo whoo)
And all the sinners saints (whoo whoo)
As heads is tails (whoo whoo)
Just call me Lucifer (whoo whoo)
'Cause I'm in need of some restraint (whoo whoo)

So if you meet me (whoo whoo)
Have some courtesy (whoo whoo)
Have some sympathy, (whoo whoo) and some taste (whoo who)
And all your well-learned politesse (whoo whoo)
Or I'll lay your(whoo whoo) soul to waste,(whoo whoo), um yeah (whoo whoo)

Pleased to meet you (whoo whoo)
Hope you guessed my name, (whoo whoo) um yeah (whoo, whoo)
Is the nature of my game, (whoo whoo) um mean it, (whoo whoo) get down

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僕の英語の悲劇

2008-04-09 23:18:49 | 
どうも仕事でロンドンに行く羽目になりそうだ。
困り果てた。英語は嫌いではなかったが、いざ実践となるとまったく使い物にならないのが僕の英語能力。
訳したり読んだりするのは多少は自信があるのだが、聞き取り話すのはペケ



1969年7月3日、自宅プールにてローリング・ストーンズ初期リーダー“ブライアン・ジョーンズ”が謎の死を遂げた。
その2日後の7月5日に予定されていたストーンズのフリー・コンサートが急遽、彼の追憶コンサートとなってしまう。
そう、有名な「ハイドパーク追悼コンサート」である。
ここハイドパークで行われた。

当時は、そんなロックを大変好んで聴いていた。しかし、歌詞カードに書いてある和訳の下手さや、そもそもの詩の内容の稚拙さゆえに、いつからか歌の意味を知るという興味は失せて、メロディーラインや「のり」を楽しむだけになった。
そこで使われる英語は、単なる楽器の一つと化してしまった。

これが悲劇の始まりだったかも知れない。聞き取ることを放棄したも同然。
僕の耳はそこから退化していった。



ともあれ、とても困り果て、ネットで「英会話上達法」や「駅前留学」を捜しまくる始末・・・
NOVAの一件もあり、どれもこれも怪しく見える。
また、教材にしても「留学」にしても値段がえらく高いのに驚く・・・

どうしたものか。

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みんな笑顔で

2008-04-07 23:11:46 | 
座右の銘と言うわけではないが、いくつか好きな言葉がある。
その中のひとつに、次のような言葉がある。

一人は万人のために、万人は一人のために

これは、僕の中ではすっかり埃を被った陳腐な言葉である。
が、これを実践できるということの大切さを、今更ながら感じている。
労働組合でも生協でもない。普段の会社の日常であっても、
地球の環境と言う観点でも、それは実践できよう。

困った時はだれでも助けが欲しい。
助ける手を惜しまないことだ。
出来ることもできないこともたくさんあるが、全力を尽くそう。
そういう気持ちは伝わるものだと言うことを、よく感じた。

また、次の言葉。

一隅を照らすもの、これ国宝なり

普段から黙々と頑張ってくれている人。
目立たないが、縁の下で支えてくれる、そういう人たち。
こういう人こそ疎かにしてはならない。組織や会社の宝なのだから。

人を大切にしよう。心からそう思った一日でした。

話は変わりますが、面白かったらおなぐさみ。

まずは本物のビヨンセです。

偽ビヨンセ(和風)です

最近、「いいとも少女隊」になったとか・・・・

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聖サルジオ教会 カズや聖子ちゃんが・・

2008-04-06 20:47:20 | 
本日もいい天気に恵まれ快適なランニングとなりました。
昨日のアルコールの名残がまだ体内に残留している中、「毒素」の分解を促す意味でも、本日は外せないRUNでした。
お蔭様で、たっぷり汗をかき、だいぶすっきりしました。
ただし、仕事のことが頭から離れず、あれやこれや思い悩んだ一日でもありました。

聖サルジオ教会。こちらもよく行くコースです。碑文谷のダイエーのすぐ裏にあり、この先には、「すずめのお宿」という竹林と懐かしい民家の公園があります。

この辺りも桜並木が多く、この時期はとても華やいでします。
どうやらその桜も、本日が見納めと言ったところでしょうか・・・



僕はクリスチャンではないけれど、何度かこの教会の中に入り、お祈りしたこともあった。
ステンドグラスが素晴らしく、キリストの像やマリア様の絵、古いパイプオルガンがあり、内部は天井が高くとても荘厳な空間です。
いつ行っても自由に入館できるので、機会があればどうぞ。

ずいぶん古い話であるが、この場所で松田聖子と神田正樹の壮大な結婚式がありました。また、サッカーの「カズ」も設楽さんとここで式を挙げた。一時期、芸能人の結婚式場として賑った教会ですが、最近はすっかり静かになりました。



この碑文谷一帯の桜を眺めながら、西小山から武蔵小山に向かったのですが、途中で道に迷ってしまった。
一度、方向感覚を見失ってしまうと、知っているはずの道路や景色も、うっかり見過ごしてしまい、なかなか自分の内なる迷路から脱出できなくなる。
そして、「あっ。ここか・・」と、全てが開ける瞬間がある。

仕事も同じようなものか。今まで虜になっていた見方や考え方を少し違った角度から考えた時に、見えるものもある。現在の仕事の「迷路」も、多少、光が見えた気がする。しかし、その光が正しいかどうかは、いまだ確信が持てずに居る。

自分自身の限界性を突破せよ!!

仕切りと自分に発破をかけているのではあるが・・・

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連日の花見にて

2008-04-06 09:20:59 | 
芝公園で、前日のプレ(場所取り)花見を含め、2連荘でお花見を満喫した。
花見と言うより、日本酒がぶ飲み大会といった様相だったのだが

昨日も、日中から始まった本番戦は夜中まで続き・・・



目の前の東京タワーは、この時期には24時間ライトアップ。
幻想的な風景を醸し出しています。



浦霞、男山、上善水如、菊姫・・・ よく飲んだなあ。

ほどほどにしないと体を壊すね

本日は、まだ酒が残りつつも、打って変わって健康な一日にしようと思います。
そう、トレーニング、ランニングの日です。

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会社の中の様々な人々

2008-04-02 23:05:23 | 
会社とは人生の縮図だとつくづく思う。

会社は普通は、仕事をしに誰もが集う。
アルバイトや学生気分とは違う。
生活をするための糧を労働の対価として獲得するためだから。
会社は、また、その中に様々な小集団を形成する。
会社自体、集団ごとに上下関係があり給与もそれに応じて異なる。
こうした中に、男がおり女がおり、様々な思惑が蠢く。

金・権力・女、、、いろんな欲望が、その人ごとの背景と事情の中で、醜く絡み合う。
そうした欲望を満たすために、いろんな類型の人物が居て、不思議でもある。

一見誠実を装い、影で権謀術策で動く頭脳プレーヤーもいれば、
実にわかり易い、単純ズル系がおり、もう籐も立つのにいまだ現役のつもりで、
欲を満たそうとする晩節汚しの爺さん。
神経質で、大望と称して目先のポジションに拘る小さき奴。
表裏がまったく別人のジキルとハイド。

自分の理想や信念で会社をやる人は多分一握りであろう。
そんな欲望も、何かを背負ってのものと考えれば、人間の悲しさの現われと、
僕は、なるべく怒りもしない、軽蔑も嫌悪も感じないようにと、
そういうスタンスを貫いてきたように思う。

これからもそれを貫くのだろうかと、今日ふと考えた。
諦めの思想にも似たあり方。人に期待しない。それはとても淋しいこと。
期待して裏切られることの落胆もまたきつい。もうそれはいいや、と思ってきた。
少しは立腹してみようか。そう思った。

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C子との思い出を再び

2008-04-01 22:53:57 | 
退屈なので、初めてのHのことでも記そうか。
僕の初体験の相手は、実を言うと「1枚の写真」を手渡したC子その人であった。
だいぶ遅咲きであった。

そういうことはいけないことだと小さい頃から思っていた。
いや、厳しい祖父母の躾が、長らくそういう行為や関心から僕を遠ざけ、
心の壁を形作った。
男子校から大学の理科系に進み、また、大学では無垢なイデオロギーに熱中した、
そういう僕であるならば、なおさら時間がかかったのもむべなきこと。

もちろん男である限り、そうはいっても定期的に訪れる生理的な膨張感に苛まれ、
またいずれ、その処理の方法を知り、当然のごとく性に目覚めていくのであるが、
未だに女は「未知なる存在」に違いなかった。

いざ東京に出向くと言う、ぎりぎりの1週間、C子とのみ寄宿舎の一室で過ごした。
2人部屋を1人で使っていたので、誰に遠慮をするでもなくC子と共にそこで寝食を共にした。
初めはどうしたものかほとほと困った。時が過ぎ成り行きでいつの間にか布団に包まり、
互いに一糸まとわぬ姿で抱擁しあううちに、「すっ」とその瞬間が来た。
気持ちよさの手前に、とても驚いた。彼女は、静かに眉をひそめた。
C子もまた初めてであった。



「大丈夫だったか・・・」

「うん。気にしないで」

「痛くなかったか」

「少しだけ」

「そうか・・・悪かった」

「いいよ、別に気にしなくて」

こんなばつの悪い会話をしたような記憶がある。
僕らはそれから、数日の間、夜と無く昼と無く、布団の中で抱擁しあいながら過ごした。
これから訪れるであろう困難や目の前の漠然とした不安を、
繰り返し繰り返しの行為による悦楽と、ほどよくくる疲労感と倦怠により、
僕らは消し去ろうとした。

それから僕は東京へ赴き、C子は学生として当地に残った。
月に一度は会うように努めた。東京で会うよりも、僕がC子のところに出向くことが多かった。
今で言う「遠距離恋愛」だった。
その頃の僕は、確かにC子を愛していた。全て過ぎてしまった今となっては、
「愛していた」のか、単に「抱きたいだけ」だったのかはっきりしない。
しかし、その後も女はC子1人と決め、他は見向きもしなかったのは事実だ。
そんな一途な初めての恋であった。

その後のいろいろな出来事は、過去の日記にありますので、興味のある方は
さかのぼってご覧あれ。大してつまらぬ話ばかりではありますが。

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