ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

なぜに山寺・立石寺に登ったか

2008-04-11 23:33:03 | 
山形県の山寺・立石寺に登ったのは、遥か遠い昔のことに感じる。
とても暑い夏の日で、蝉時雨がそこいらじゅうを覆いつくしていた。
九十九折に続く急な勾配の石段の坂道を、いつ果てるとも無く続く無限回廊のように感じながら、一段一段ただひたすらに登り続けた。



山形領に立石寺と云山寺あり。慈覚大師の開基にして、
殊清閑の地也。一見すべきよし、人々のすゝむるに依て、
尾花沢よりとつて返し、其間七里ばかり也。日いまだ暮ず。
梺の坊に宿かり置て、山上の堂にのぼる。
岩に巌を重て山とし、松栢年旧土石老て苔滑に、
岩上の院々扉を閉て物の音きこえず。
岸をめぐり岩を這て仏閣を拝し、佳景寂寞として心すみ行のみおぼゆ。

  閑さや岩にしみ入蝉の声

『奥の細道』より


この芭蕉の心境を味わいに赴いたわけではなかった。
せっかくだから、そうした気分も多少は堪能したかったが、そのような余裕は僕らには無かったような気がする。



「人生は苦界ユエ、僕ハ苦シミ抜カウト思フ。毎夜、睡眠薬ノンデモカマハヌ。正シキ道ヲ踏ンデ行キツクトコロマデ行キツカウ。」
歌集『赤光』の斉藤茂吉の生地もこの近辺にあり、菩提もここにあった。
彼女と、茂吉の墓に静かに手を合わせた。

この山寺・立石寺に来たのは、贖罪のためであった。
彼女と僕の間にできた、初めての生命が、
世に出ることも許されず、静かに、そして儚く消えた。

そんな遠い遠い昔の記憶の断片を、今更ながら思い出している。
なぜだか、ゆっくりと思い出している。

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