退屈なので、初めてのHのことでも記そうか。
僕の初体験の相手は、実を言うと「1枚の写真」を手渡したC子その人であった。
だいぶ遅咲きであった。
そういうことはいけないことだと小さい頃から思っていた。
いや、厳しい祖父母の躾が、長らくそういう行為や関心から僕を遠ざけ、
心の壁を形作った。
男子校から大学の理科系に進み、また、大学では無垢なイデオロギーに熱中した、
そういう僕であるならば、なおさら時間がかかったのもむべなきこと。
もちろん男である限り、そうはいっても定期的に訪れる生理的な膨張感に苛まれ、
またいずれ、その処理の方法を知り、当然のごとく性に目覚めていくのであるが、
未だに女は「未知なる存在」に違いなかった。
いざ東京に出向くと言う、ぎりぎりの1週間、C子とのみ寄宿舎の一室で過ごした。
2人部屋を1人で使っていたので、誰に遠慮をするでもなくC子と共にそこで寝食を共にした。
初めはどうしたものかほとほと困った。時が過ぎ成り行きでいつの間にか布団に包まり、
互いに一糸まとわぬ姿で抱擁しあううちに、「すっ」とその瞬間が来た。
気持ちよさの手前に、とても驚いた。彼女は、静かに眉をひそめた。
C子もまた初めてであった。
「大丈夫だったか・・・」
「うん。気にしないで」
「痛くなかったか」
「少しだけ」
「そうか・・・悪かった」
「いいよ、別に気にしなくて」
こんなばつの悪い会話をしたような記憶がある。
僕らはそれから、数日の間、夜と無く昼と無く、布団の中で抱擁しあいながら過ごした。
これから訪れるであろう困難や目の前の漠然とした不安を、
繰り返し繰り返しの行為による悦楽と、ほどよくくる疲労感と倦怠により、
僕らは消し去ろうとした。
それから僕は東京へ赴き、C子は学生として当地に残った。
月に一度は会うように努めた。東京で会うよりも、僕がC子のところに出向くことが多かった。
今で言う「遠距離恋愛」だった。
その頃の僕は、確かにC子を愛していた。全て過ぎてしまった今となっては、
「愛していた」のか、単に「抱きたいだけ」だったのかはっきりしない。
しかし、その後も女はC子1人と決め、他は見向きもしなかったのは事実だ。
そんな一途な初めての恋であった。
その後のいろいろな出来事は、過去の日記にありますので、興味のある方は
さかのぼってご覧あれ。大してつまらぬ話ばかりではありますが。
僕の初体験の相手は、実を言うと「1枚の写真」を手渡したC子その人であった。
だいぶ遅咲きであった。
そういうことはいけないことだと小さい頃から思っていた。
いや、厳しい祖父母の躾が、長らくそういう行為や関心から僕を遠ざけ、
心の壁を形作った。
男子校から大学の理科系に進み、また、大学では無垢なイデオロギーに熱中した、
そういう僕であるならば、なおさら時間がかかったのもむべなきこと。
もちろん男である限り、そうはいっても定期的に訪れる生理的な膨張感に苛まれ、
またいずれ、その処理の方法を知り、当然のごとく性に目覚めていくのであるが、
未だに女は「未知なる存在」に違いなかった。
いざ東京に出向くと言う、ぎりぎりの1週間、C子とのみ寄宿舎の一室で過ごした。
2人部屋を1人で使っていたので、誰に遠慮をするでもなくC子と共にそこで寝食を共にした。
初めはどうしたものかほとほと困った。時が過ぎ成り行きでいつの間にか布団に包まり、
互いに一糸まとわぬ姿で抱擁しあううちに、「すっ」とその瞬間が来た。
気持ちよさの手前に、とても驚いた。彼女は、静かに眉をひそめた。
C子もまた初めてであった。
「大丈夫だったか・・・」
「うん。気にしないで」
「痛くなかったか」
「少しだけ」
「そうか・・・悪かった」
「いいよ、別に気にしなくて」
こんなばつの悪い会話をしたような記憶がある。
僕らはそれから、数日の間、夜と無く昼と無く、布団の中で抱擁しあいながら過ごした。
これから訪れるであろう困難や目の前の漠然とした不安を、
繰り返し繰り返しの行為による悦楽と、ほどよくくる疲労感と倦怠により、
僕らは消し去ろうとした。
それから僕は東京へ赴き、C子は学生として当地に残った。
月に一度は会うように努めた。東京で会うよりも、僕がC子のところに出向くことが多かった。
今で言う「遠距離恋愛」だった。
その頃の僕は、確かにC子を愛していた。全て過ぎてしまった今となっては、
「愛していた」のか、単に「抱きたいだけ」だったのかはっきりしない。
しかし、その後も女はC子1人と決め、他は見向きもしなかったのは事実だ。
そんな一途な初めての恋であった。
その後のいろいろな出来事は、過去の日記にありますので、興味のある方は
さかのぼってご覧あれ。大してつまらぬ話ばかりではありますが。