椿峰のまち

所沢・椿峰ニュータウンでのまちから見えてくるものをお伝えするブログです。

6月9日のまち 東京・国分寺で その5

2020-06-13 10:26:57 | 樹木

この僧寺伽藍中枢部の近くで、ひときわ目立つ樹木がありました。

プラタナス(スズカケノキ)です。 → こちら

迷彩服に似た樹皮なので、自衛隊の木とも呼ばれているとか。

広々とした場所では、こんなに太くなるんですね。

           

明治時代に街路樹として導入され、狭い日本では大きくなりすぎて、また剪定でコブだらけになって邪魔にされがちだとか。  

ひょっとして、この国分寺跡が整備されたとき、どこかで邪魔になった街路樹の一部が幸運にも移植されたということでもあった?

 

プラタナスという名前はギリシャ語由来で、この木の下で哲学者たちが議論していた・・・・らしいです。

また日本のプラタナスは、広範囲の原産の種類の雑種となっている? → こちら

 

いろいろ奥深いプラタナスの木ですが、平和を訴えているようにも感じられます。 

東大寺とか国分寺とかを建てたびっくりの技術者集団からすると・・・・・ 

ひょっとして、日本の古代はギリシャにつながっていることでも主張したいとか?         


6月9日のまち 東京・国分寺で その4

2020-06-12 19:00:48 | 平和を考える

三輪車がありました。

武蔵国分寺跡資料館解説シート No.1  より

首(おびと)皇子(聖武天皇)は、701年(大宝元)、文武(もんむ)天皇と藤原不比等(ふひと)の娘宮子(みやこ)との間に生まれ、724年(養老8)に元正(げんしょう)天皇から皇位を譲り受け天皇に即位しました。

平城京整備が続く中、天皇即位後に、様々な出来事が、起こり始めます。聖武天皇と夫人の光明子(こうみょうし)との間に誕生した某王が満1歳ごろに亡くなってしまい、皇位継承の問題が起こります。そして、国内では相継いで飢饉(ききん)や干害、大地震による災害、疫病が流行し、人びとは苦しみの中にありました。

 

同解説シート No.3 武蔵国分寺関連年表から 

727年 光明子に皇太子誕生

728年 皇太子死亡

741年 聖武天皇が国分寺建立の詔を発布

743年 廬舎那大仏鋳造の詔を発布

747年 東大寺大仏殿の建設を始める 

749年 東大寺盧舎那仏成就

751年 東大寺大仏殿完成

752年 東大寺大仏開眼法会

756年 聖武天皇崩御

757年 この頃、武蔵国分寺の主要な建物が完成する

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大型公共工事で国難を乗り越えようとした面もあるのかもしれません。

銅を大量に産出することになって公害が起きてしまった?

広範囲で人間の移動があると、疫病を広げることになる?

上層部の近親結婚が続いて、子どもの健康に問題が出てきた?

この頃の藤原家系図をみると、藤原4兄弟が天然痘で亡くなるなど、男性たちに影響が多く出たようにも感じられます。

→ こちら

 

複合的な原因があって、疫病が流行したということではないでしょうか。

現代の日本では、どのように乗り越えていくのか、原因となりそうなものは少しでも避けてゆくべきと思いますがいかがでしょうか。


6月9日のまち 東京・国分寺で その3

2020-06-12 13:15:21 | 歴史あれこれ

僧寺伽藍中枢部です。

               

金堂解説板から

発掘の様子です。

版築とは こちら

8世紀半ばにこのような大きな建築物を建てる技術があったとはびっくりです。

 

大きな建築物の跡というものは、建物やそこにいた人物たちを想像して・・・・・

遠い記憶があるがごとくの気分になってきます。


6月9日のまち 東京・国分寺で その1

2020-06-10 23:31:02 | 歴史あれこれ

国指定史跡 武蔵国分寺跡は JR国分寺駅から徒歩約20分、JR西国分寺駅から徒歩約15分のところにあります。

暑い日でしたので、国分寺駅からタクシーでまず七重塔跡へ。

左下隅の写真です。このような配置になっていたようですね。

741年、聖武天皇によって国分寺建立の詔(みことのり)が発布され、造営に20年ほどがかかったとか。

武蔵国内の全郡が関わったようです。

沈黙というよりも何か語り始めたい気配が・・・・・


危機管理を考える

2020-06-02 12:32:47 | 防災

朝日新聞デジタル版より
 成田空港で1日未明、軽乗用車が立ち入りが制限されている駐機場に侵入した。成田国際空港会社(NAA)によると、車は航空機のそばを走り、約20分後、運転していた茨城県在住の男性(61)を警備員が確保した。男性は「空港に見学に来た」と話しており、施設や航空機への被害はないという。
 発表によると、午前0時45分ごろ、車は貨物北口入り口から貨物地区に入った。一時停止して入場手続きが必要だが、警備員2人の制止をきかず、前にいたタクシーの後に続いて入ったという。約1分後、約800メートル離れた第1警備所も、別の車が出るために門を開けた間に侵入した。
 貨物地区や第1ターミナルの駐機場など計約5・4キロを走行し、別の出口付近で停止したところで、警備員が男性を確保し、成田国際空港署に引き渡した。
 NAAによると、車が走り回った付近には当時、航空機21機が駐機していた。新型コロナウイルスの感染拡大の影響で通行量が減っているとして、警備態勢を5月から縮小し、第1警備所の深夜の警備員は1人に減らしていた。
 保安警備部の菅井理博部長は「駐機場に車両が侵入することはあってはならないことで、原因を究明し、再発防止に努めたい」と話している。(青山祥子)

 

空港の保安については委託で行われているようです。→ こちら

ゴーン氏の入国や出国のようなことがよくある、となっては困ると思います。

パスポートを複数持っている人たちがいるのなら、コロナ感染の多いところから日本に入国することも可能?

あるいはコロナだけの対策でいいのでしょうか? ほかの感染症についても気配りをお願いしたいですね。

委託であるなら、適正な人員、人材、方法などの監督は行政がしっかり行うとか

権限についての法整備を早急にするとか、どこも無責任にならないような危機管理であってほしいと思います。

ここのところの傾向で行政の面倒なことは委託で経費削減、という考え方ではさまざまな原因で日本に危機がしのび寄ってくるように感じられてなりません。

私たちも人任せにせずに、身近な自治会などの防災活動に参加して備蓄や活動できることを考えましょう。