寺院の国分寺のすぐ近くに、国分寺市重要有形文化財の旧本多家住宅「長屋門」がありました。
代々国分寺村の名主であった本多家の屋敷の入り口に、表門と先代当主の隠居所を兼ねて、江戸時代末期に建てられたものだとか。
シンプルで合理的に感じられるのは、コロナウィルスのせいかもしれません。
隠居となった先代が門番に?
耳が遠かったりしたら・・・・・
たぶんお世話をする人がついていて、大丈夫なんでしょうね。
江戸時代から明治にかけて、国分寺村は堅実な合理性をもった名主がいてよかった☆
ということが感じられたりしました。
湧水地がすぐ近くにあるようなこの土地は、かなり価値があったのではないでしょうか。
守り方というものを参考にする必要があると思います。
高齢者もいろいろな形で防衛に参加できる、のではないでしょうか?
また当時もさまざまな疫病があったはず。
疫病対策として、この建物をみる、ということも大事そうです。
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それにしても、幕末期にこんな価値のある土地は大丈夫だったんだろうか、と思ったりしたんですが
よく考えてみれば、近藤勇はこの近くの出身でしたね。
つまり、かなり剛の者たちを育成していた、ということがあるのかもしれません。
ついつい京都での抗争や戊辰戦争ばかりを考えてしまいますが。