医王山最勝院国分寺は、分倍河原の戦いで消失し、その後新田義貞の寄進で薬師堂が再建されたとか。
徳川幕府は薬師堂に領地を与えて保護したとのことですが、今回、薬師堂に立ち寄らずに残念(泣
何の下調べもなく、地図もなく出かけたもので・・・・
本堂は1733年(享保18年)に再建、現在の本堂は1987年(昭和62年)に改築とのことです。
境内に、万葉植物園がありました。
前住職の方が武蔵国分寺跡を訪れるひとのためにと万葉集」に歌われた植物を約160種も例歌とともに展示してくださったのだとか。
目につくところに、ところづらがありました。所沢の地名の由来の植物です☆
万葉集の歌は
皇祖神(すめろぎ)の、神の宮人(みやひと)、ところづら、いや常敷(とこしく)に、我れかへり見む
ところづらについて
①「野老(ところ)」のつる
② (枕詞)同音を重ねて「常(とこ)しく」に、またつるをたどって「野老」を掘ることから、「尋(と)め行き」にかかる
所沢に薬師の道があったりしたとかなので、「尋め行き」というのは医師や薬を求めて、ということでしょうか。
それとも歴史上ので足跡など尋ね人のようなことでもあるでしょうか。