椿峰のまち

所沢・椿峰ニュータウンでのまちから見えてくるものをお伝えするブログです。

6月9日のまち 東京・国分寺で その4

2020-06-12 19:00:48 | 平和を考える

三輪車がありました。

武蔵国分寺跡資料館解説シート No.1  より

首(おびと)皇子(聖武天皇)は、701年(大宝元)、文武(もんむ)天皇と藤原不比等(ふひと)の娘宮子(みやこ)との間に生まれ、724年(養老8)に元正(げんしょう)天皇から皇位を譲り受け天皇に即位しました。

平城京整備が続く中、天皇即位後に、様々な出来事が、起こり始めます。聖武天皇と夫人の光明子(こうみょうし)との間に誕生した某王が満1歳ごろに亡くなってしまい、皇位継承の問題が起こります。そして、国内では相継いで飢饉(ききん)や干害、大地震による災害、疫病が流行し、人びとは苦しみの中にありました。

 

同解説シート No.3 武蔵国分寺関連年表から 

727年 光明子に皇太子誕生

728年 皇太子死亡

741年 聖武天皇が国分寺建立の詔を発布

743年 廬舎那大仏鋳造の詔を発布

747年 東大寺大仏殿の建設を始める 

749年 東大寺盧舎那仏成就

751年 東大寺大仏殿完成

752年 東大寺大仏開眼法会

756年 聖武天皇崩御

757年 この頃、武蔵国分寺の主要な建物が完成する

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大型公共工事で国難を乗り越えようとした面もあるのかもしれません。

銅を大量に産出することになって公害が起きてしまった?

広範囲で人間の移動があると、疫病を広げることになる?

上層部の近親結婚が続いて、子どもの健康に問題が出てきた?

この頃の藤原家系図をみると、藤原4兄弟が天然痘で亡くなるなど、男性たちに影響が多く出たようにも感じられます。

→ こちら

 

複合的な原因があって、疫病が流行したということではないでしょうか。

現代の日本では、どのように乗り越えていくのか、原因となりそうなものは少しでも避けてゆくべきと思いますがいかがでしょうか。


6月9日のまち 東京・国分寺で その3

2020-06-12 13:15:21 | 歴史あれこれ

僧寺伽藍中枢部です。

               

金堂解説板から

発掘の様子です。

版築とは こちら

8世紀半ばにこのような大きな建築物を建てる技術があったとはびっくりです。

 

大きな建築物の跡というものは、建物やそこにいた人物たちを想像して・・・・・

遠い記憶があるがごとくの気分になってきます。