日露戦争では、第八師団は満州軍の予備隊に属して黒溝台会戦に援軍として投入され、作戦的にも問題があって大きな被害を出したようです。→ こちら
雪中行軍を成功させた弘前第31連隊の隊長である福島泰蔵大尉と第5連隊の生き残りである倉石一大尉は、この会戦で亡くなりました。
映画「八甲田山死の彷徨」については こちら
観たような気がするんですがだいぶ前だったので記憶に残っていなくて・・・・・
高倉健が軽い凍傷にかかるなど撮影はかなりたいへんだったようです。
高倉健の演ずる役のモデルは、弘前第31連隊の福島泰蔵大尉
苦労したあげく、その努力はほとんど認められず山中の案内人の扱い方など問題点も指摘されている福島大尉にとって少しは慰めとなることかもしれません。
日露戦争の戦いを細かくみると、薩長出身の指揮官がいて、前線に東北の部隊が使われた場合があったのか、とついつい勘繰ってしまいます。
戊辰戦争の影響が相当に長くあったということでしょうか。
高木勉著「八甲田山から還ってきた男 雪中行軍隊長・福島大尉の生涯」 文春文庫 1990年 によれば
福島泰蔵は上野国世良田村平塚の利根川水運の拠点にある船問屋に生まれたようです。
裕福なころは父は名字帯刀を許されていて、幼少期に私塾で漢学も学んだとのこと。
この生家の衰退によって、苦労をすることになり、軍隊での士官は多くが士族出身であって、身分の差で福島泰蔵は努力しても越えられない壁があったり、難しい仕事が与えられたりしたことがわかります。
久米晶文著『「異端」の伝道者 酒井勝軍』 学研パブリッシング 2012年 は興味深い本です。
酒井勝軍(ふくしま・かつとき)については こちら
このころ日本軍の情報将校に、福島安正という人物がいたとのこと。→ こちら
福島泰蔵はこの福島安正を目標に努力したようにも思います。
福島安正少将は日露戦争での観戦武官100名近くを受け入れることにしたのだそうです。
このとき接待の通訳を酒井勝軍が務めることになったようです。
山形・上山藩の士族出身の当時は牧師であった酒井勝軍は日露戦争で何を見たのでしょうか。
(つづく)
歴史にはあちこちに収束点みたいなものがあるのか・・・・・
と思ったりします。
渦巻のように吸い寄せられていくみたいな。
戦争とはそういう形をしている?