10月9日から14日まで、母の葬儀のため青森へ。
今回のホテル青森の部屋は山側で、晴天の八甲田山が見えました。
通路からは東岳が見えました。ふるさとの山は励ましてくれる存在だと感じられます。
実家の入り口に母が気に入っていたシュウメイギクが咲いていました。
10月9日から14日まで、母の葬儀のため青森へ。
今回のホテル青森の部屋は山側で、晴天の八甲田山が見えました。
通路からは東岳が見えました。ふるさとの山は励ましてくれる存在だと感じられます。
実家の入り口に母が気に入っていたシュウメイギクが咲いていました。
実家でテレビを見ていたら、ローカル放送で八戸三社大祭を見てびっくり。
この年になってもまだまだ知らないことってたくさんあるんですね。
ついつい祭りはおらほが一番、みたいに思っていたのですが、漁業のまちである八戸の派手さっていうのはすごい!!
貧乏県であるはずの青森は、いろいろな意味で豊か☆ と思います。
八戸市役所HPからの動画です。開始までにちょっとだけお待ちいただく時間があります。
【公式PV】 "The Japanese Traditional Arts" 八戸三社大祭【Short ver.】
青森は八戸を含む旧南部藩の一部と津軽藩が一緒になってできたところです。
方言も違いますし、初めの苦労は大変であったのではないでしょうか。
弘前出身と八戸出身のご夫婦もいたりして、だんだん青森県がまとまっていったのでしょう。
気が弱めの青森市が県庁所在地☆
青森・弘前・八戸ともに大きな祭りが自慢☆
何かのご参考までに。
17日に行われた青森高校同期会に出席しました。
世話人の方たちのおかげで、同期会の集まりが年に3回もあったりします。
両親の見舞いで帰ることが多くなったため、そのうちの1,2回は出席することができるようになりました。
60歳を過ぎたあたりから、過去を振り返るようになるからでしょうか。
この中には幼稚園で一緒だった人たちが何人もいたりします。
地方都市のありがたさみたいなものですね。
また青森高校が青森中学と青森高等女学校の統合でできた共学校であったことに感謝したい思いがします。
幼稚園からの友達であるSさんに同期会出席を勧めたところ、今年の春から出席してもらえました。
高齢になって〇〇ちゃんと呼び合える関係は大事だと思います。
思い切って同期会などに出席してみることをお勧めします。
台風が接近で、いつになくずっと八甲田山に雲がかかっていたため、実家近くの川が溢れないかと心配になり、後半はホテルに泊まることにしました。
病院やホテルのようなところでは、冷房の調整方法が違うのか、冷えすぎることはあまりありません。
避暑にホテルというのもありですね。
また、高齢者が災害から早めに避難する場所としてホテルを利用することもよさそうです。
窓から見える陸奥湾には台風を避けるためか、多くの船が停泊中でした。
歴史的にも、青森は戦いからの避難先であったかもしれません。
また古代には流刑地でもあったのかもしれません。
人材が豊富だと思われるのですが、貧乏県になっております。
中国などから撤退される企業の方は、ぜひ青森をご検討ください。
お盆休みの関係で、10泊のうち、初めの1泊と終わりの3泊をホテルに泊まり、残りを実家に泊まって片付けをしながら見舞いに。
かなり離れたところにある病院なので、タクシー代節約のため、青森駅のバス案内所で青森市営バス時刻表を入手。
この時刻表があれば、かなり便利です。
ねぶた祭が終わったばかりの青森は、気が抜けたような雰囲気でしたが、台風接近の影響か、関東と変わらない猛暑でした。
母は呼吸器をつけて、呼びかけても反応がありませんが、痰の吸引のときは反応があるんだとか。
深い眠りについていて、苦痛を感じていないらしく見えるのはありがたいことでした。
延命治療は望んでいず、93歳という高齢で肺機能が低下しているのでそう長くはないだろうとのことでした。
主人、父、そして母の、死を迎える姿というのは、それぞれ異なったものとして感じられます。
施設で過ごしていた母が、骨折で入院し、その後大腸がんの手術、脳梗塞となって人工呼吸に、一時は心臓停止となったが回復したというので、予定を早めて8月9日から10日間の予定で出かけました。
ねぶた祭りが終わり、お盆前の時期でしたが、新幹線の指定券はグラングラスの2人掛け通路側しかとれませんでした。
暑い中、無理をするな、ということかもしれない、と思いました。
大宮駅のエキュートで、遅い昼食をとって新幹線へ。
初めてのグランクラスで、通路を挟んで2人掛けと1人掛けなので、2人掛けの通路側はちょっと残念な気分に。
くたびれたキャリーケースを棚にあげる腕力がないために足元に置いて、隣の席の人には迷惑になってしまうし、足置きも使えなくて・・・
スリッパが用意され、飲み物、軽食がありました。
機能性に富んだテーブルの出し入れがすぐできなかったりします(汗
軽食は食べないつもりだったのですが、隣の若い女性が頼んでいて、おいしかったからぜひ食べたほうがよいと勧めてくれたので、八戸あたりで頼んでみました。小さめのお弁当でおいしかったです。
他の車両でも販売してもらいたい、と思うような、ちょうどよい量と味付けでした。
昔の貯木場の様子です。青森が木材産業で栄えていたのがわかります。
青森ヒバの菜箸やしおりなどを購入できます。
この森林博物館で、昔の道具などをゆっくり見ておくことは大事そうな気がします。
自分で道具をつくらなけれはならない、ということがあったりするかもしれませんから。
青森のタクシーの運転手さんは話題が豊富な方が多いので、いろいろ話をしてみることをお勧めします。
青森はねぶた祭が行われるだけあって道路が自慢のまちですが、2月には、雪のため道路の幅がかなり狭くなります。
その雪の中を高齢者が自転車で走っていたり、少しのことで若者が切れやすくなっていたりで、運転手さんもたいへんなのだとか。
新青森駅には、ねぶたの飾りがあれこれあります。
青森は穏やかな人間が多いんですけれど・・・・・
新青森駅のいつも写真を撮るところからです。
同じ日でも太平洋側は雪が少ないのがわかります。
帰りの新幹線で、岩手の駅から乗ってこられて隣の席に座った同じぐらいの世代の男性の方とお話をしてみました。
雪中行軍で岩手出身の犠牲者が多かったことで、岩手の方とお話をしてみたいと思ったからです。
おじいさんが日露戦争に出征し、森鴎外のもとで衛生兵をつとめたんだとか。
歯科医をされているとかで、いろいろなお話を聞くことができました。
奥様が介護もお孫さんの世話もされているとかでたいへんそうでした。
私の父方の祖父は富山、祖母は青森・五所川原の出身で、母方の祖父母は岩手・湯田の出身です。
主人の本家は広島・呉の倉橋島で、主人は神戸で生まれて育ちました。
それぞれの土地での生活の知恵があるように思ったりします。
高校の同期会や、自治会で集まったときに、ひとりひとりが話をするのを聴くことが楽しく感じられます。
評論家や有識者の意見を拝聴というのではなく、ちょっとしたことに日本再生のヒントが隠れているのかもしれません。
多くの人たちがつながって、知恵の持ち寄りといったものがもっとあってもよいのではないか、と考えるこのごろです。
91歳の母は、大腸がんの疑いがあるとのことでしたが、本人が大腸がんの検査や手術は受けたくないとのことで希望通りにすることにしました。
施設で食事やトイレには杖をついて歩けたのですが、転んで足の骨を骨折してしまい、その手術を受けることは承諾して、青森慈恵会病院というところに入院しました。
弟夫婦に対応してもらい、入院の準備などは施設の方にお願いできました。
青森慈恵会病院は若いスタッフが多くいて、母は満足しているようでした。
とくにリハビリ部門が充実しているようです。 → こちら
北海道や北東北は、冬は室内にいる限りは関東よりも温かく感じられます。
高齢者にとって、電気代を安くしてもらえればありがたいですね。
冬というものをしっかり体験したい方は、ぜひ青森にお出かけください。
青森はものを考えるにはふさわしい場所であることに気が付きます。
放射性廃棄物は青森に集められていて、日本一の短命県であるのだとか。
青森のデパートやスーパーで買うリンゴは、高くて不味かったりします。
もしかしたら、日本の将来を先取りしているのではなかろうか・・・・・
日本の若者が振り込め詐欺やアジアで強盗事件を起こしていることについて、高齢になった私たちの世代はもっと責任を感じてもいいのではないでしょうか。
寒いときには所沢でもあまり出かけたくないのですが、母が転んで入院したため、青森に3泊の予定で出かけました。
そういうこともあるかと思い、青森でも大丈夫なコートや防寒用の下着を今年になって購入してありましたが。
ホテル10階からの写真です。海へ至る道は、雪を海に捨てるトラックが夜通し通っていました。
道幅は狭くなっていて、車はかなりゆっくりと走っています。
小回りのきくブルドーザーが活躍中。
久しぶりで大きなつららを見ました。
軒下には絶対に近づかないようにと小学校ではよく注意されたことを思い出します。
ブルドーザーが入れないところの細い道は片栗粉のような雪になっていて、歩くだけで運動になる感じがしました。
青森の子どもたちは、雪片付けを手伝い、雪道の通学で足腰が鍛えられることになるのかもしれません。