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椿峰のまち

所沢・椿峰ニュータウンでのまちから見えてくるものをお伝えするブログです。

1月29日のまち 新宿へ〔3〕

2022-02-05 22:07:04 | 女性について

西新宿の高層ビル群にある新宿グランドタワーに午前10時に間に合って到着。30年ぐらい前のバブル期に戻ったかのように感じたりします。

この写真の花は造花でした。今や本物に近い色合いにできるんですね。

LIXILのショールームでは担当をしてくださっている女性の方にお世話になって、タイルを時間をかけて選びました。

家族連れでかなり賑わっていて、不景気だとは思えないほどでした。

コロナ禍で在宅勤務が増え、リフォームの必要があったりするのでしょうか。

こういった分野の内装関係では女性の社員の方たちが活躍しているようでした。

その割には、役員は男性の方たちが多いようです。

現場を知っている女性の役員の意見を尊重したほうが売り上げを伸ばすことができそうに思ったりします。

女性の力を活かすことで、内需拡大はまだまだできるのではないでしょうか。


我が家の改修計画から その1

2021-08-22 10:06:42 | 女性について

年齢差のあった主人が2014年に85歳で亡くなり、その後、青森の両親が亡くなり、神戸の義姉が一人暮らしからグループホームに入所することになったりして、今、私は70歳を迎えております。

椿峰ニュータウンの当初から住んだ家が築40年近くなり、建築家になった長男に改修を依頼していることは以前からこのブログで報告しております。

1階の全面改装と2階の断熱ということで何度か設計図が変わって、ようやく取り掛かることになりました。

ひとり暮らしで認知症予防のため、まちづくり活動に関わってきたことなどから、1階を近隣に開かれた家とすることになっております。

赤い服を着た女性が私の分身のイメージだとか。


イメージチェンジをしてみたいあなたへ

2021-07-24 16:21:43 | 女性について

雪国の出身である私は、根気強いというか諦めが悪い面があって、そのせいかイメージチェンジ願望といったものがあったりします。

高齢になった女性とおしゃべりをしてみると、けっこうイメージチェンジ願望を持っているようです。

以前にも書きましたが、高齢女性向けのビフォーアフター すなわち プロによる変身願望をかなえるプログラムがあれば、不機嫌な婆さんが減ることで、家族の免疫力が上がることもあるかもしれない・・・・

 

旅行もおしゃべりも思うようにできなくなった今、イメージチェンジで自分の気分の風通しをしておく、というのはいかがでしょうか?

旅行代やお葬式代があまり必要でなくなり、その分をアンチエイジングではなく、自分にもっとも似合う容姿はどういうものかを試すことにお金を使ってみると、あれこれの不満が解消されるかもしれません。

とくに介護をされている方は気分転換が必要だと思います。

 

自分のお気に入りの美容室がある方は、イメージチェンジをしたいとご相談を。

 

所沢・椿峰にはキートスという美容室があって、親身に相談に乗ってもらえます。

その美容室キートスが新所沢にも出店し、「バイ キートス」というお店が出来ています。

→ こちら

店長さんは、若い美容師さんたちの仕事の場をつくりたいのだとか。

 

こちらは西武新宿線の新所沢駅からすぐそばにあり、完全予約制になっています。

所沢は美容室もレストランも比較的ゆったりとした空間となっております。

 

日本のチェンジは、高齢の女性から、が効率的かもしれません。


ヒントを求めて その6

2021-01-27 00:40:31 | 女性について

元気のもらえる本を見つけました☆

広瀬寿秀著「日系アメリカ人最初の女医 須藤かく」です。

右側のすわっている女性が、須藤かく(1861-1963)

左の女性は一緒に渡米した 阿部はな(1866?-1911)

1861年、須藤かくは、幕末の弘前で藩士の娘として生まれ、英語を学びたいと10歳で上京、

横浜・共立女学校で長年英語を学んで、1891年、30歳の時に友人阿部はなと医師で宣教師のアデリン・ケルシーとともに渡米、渡米後の1年間は学費を稼ぐ目的で教会で講演会を行ったのだとか。上の写真はそのときのものとのこと。

2人は1892年、オハイオ州シンシナティ女子医科大学に入学、1896年に名称が変わったローラ・メモリアル女子医科大学を卒業

1897年、3人で日本に帰国して慈善の医療活動を忙しく始めるものの、病院の経営に行き詰り、1902年、再び3人は渡米する。

そのときに須藤かくの妹の夫成田ヤソキチがその子ども3人と同行し、ケルシー家の農場を手伝いつつ、子どもの教育をすることになった。母親である妹は小さい子どもがいたため、遅れて渡米したものの、シアトルで伝染性のトラコーマと診断され、入国ができずに帰国させられ、子どもたちに会うことができないまま日本で亡くなったという。

ケルシー、須藤かく、阿部はな、成田家はひとつの家族のように暮らし、成田家の子どもたちと近隣の子どもたちも教育し、近所の病人を治療した。30年以上ともに暮らした阿部はなは44歳で亡くなった。

2人をずっと支援したアデリン・ケルシー(1844-1931)は87歳で亡くなった。

2人を看取った須藤かくは92歳でアメリカ市民権を獲得し、1963年、102歳で姪夫婦に看取られて静かに息を引き取った。

 

詳細な内容については、ぜひご一読ください。

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この本を読んで思い出したことがあります。

ほぼ同じ時期に、津田塾大学を創立した津田梅子を支援したアナ・ハーツホーンのことです。

津田塾大学HPから こちら

明治時代、士族の娘たちは苦しい思いをした人たちもいたのでしょうが、いっぽうでは現代以上に思い切った人生を送った人たちもいたんですね。

人生をかけて支援してくれたアメリカの女性たちがいたこともあわせて大きな勇気が湧いてくる気がします。

女性同士の助け合いは大きな力を生み出す、ということではないでしょうか。


ヒントを求めて その2

2020-12-30 20:16:26 | 女性について

かつての西欧の魔女はけっこう高齢だったような。

魔法使いのおばあさん、でしたよね。その年代になってみるとなるほど、と思ったりします。

さまざまな経験や見聞を積んできて、妊娠や出産、子育てなどは男性にはできない体験を経て獲得した能力というものは、自分の若いときにはなかったものです。

その能力を生かす場があまりないんですよね

女性の活用と叫ばれて久しいのですが、これは主として若い女性のことのようです。

中高年の男性は、もしかしたらご家庭で奥様に辟易していることがあるのか、中高年の女性の能力は無視している面があったりします。

能力を評価するとしても、補助的な役割に使えるかどうかが多いのではないでしょうか。

女性の立場からすると、頭の固い男性の上司にうんざりしている場合が多い、ということはないものでしょうか。

 

考えてみれば、高級な織物など昔の日本の女性の能力は高かったのだと思います

私の母も洋裁を習い、私の子どものころの写真をみると今では売っていないような手のこんだ洋服を着ています。

経済成長の中で、既製服が簡単に手に入るようになると手作りの洋服はあまり見かけなくなりました。

日本の女性の能力の多くの部分が隠れて見えなくなってしまった面があります。

男性と同じ能力が求められることになったというか。

さて、先日、私と同年代のご近所の方から、すてきな手作りのリースをいただきました☆

あれこれ色あいなど考えつつ、作って楽しんでいるんだとか。

コロナ禍なので、こういった華やかなものを欲しい方はけっこういるんではないでしょうか。

 

受注生産で一品物 を適切な価格設定で という商品はこれから売れそうに思います。

元気を出すための何か が必要であり、それには高齢の女性たちの能力を引き出すことが有効

かもしれません。

 

 


ヒントを求めて その1

2020-12-29 15:55:12 | 女性について

不器用で運動も苦手なのですが、何かを見つけるのは比較的得意です。

乱読気味な日々を過ごしておりますが、課題のヒントをもらえることがよくあります。

最近は森鴎外とその周辺の読書が多かったりします。

森於菟「父親としての森鴎外」はお勧めの本です。

現代には、父親というもののモデルが必要ではないでしょうか。

並行して、小林勇「人はさびしき」文藝春秋 1973年 を読みました。

著者は岩波茂雄の娘婿で編集者で岩波書店の会長になった人物。

作家の夫人たちの横顔が書かれています。

森鴎外の妻志げについて

・しげ夫人は美人である。その手は実に美しかった。私はいつもそう思い、百済観音の手を思い浮かべた。

・鴎外夫人しげ女史が亡くなったのは昭和十一年四月十八日である。その日私はふと森家のことを考え、電話をかけた。出て来た茉莉さんに、お変わりありませんかというと「ただ今母が亡くなりました」と意外な返事であった。

 急いで団子坂へ行って見るといつもと同じように静かだ。夫人の遺骸は奥の間にあった。茉莉さんと看護婦が白い装束を縫っていた。杏奴さんは障子を切り張りしていた。夫人は実に美しい顔であった。白い長い指は組み合わされて胸の上にあった。

芥川龍之介の妻文について

・「芥川が亡くなった時に、知人の或る人や、世間では、家庭のいざこざに煩わされたことが死の原因の一つだといいましたが、私はそのように考えません。養父母も、叔母もよい人たちでした」

「私が家庭のことに没頭していることを芥川は気にしていました。或る日夕方になって、二階から、仕事に疲れたのでしょう、降りてきました。そして縁側にしゃがんで、私に、お前は一日中襷(たすき)をかけているね、といいました。みると芥川の目が光っているように感じられました」

・「私たちの結婚生活はわずか十年の短いものでしたが、その間私は、芥川を全く信頼して過すことが出来ました。その信頼の念が、芥川の亡きのちの月日を生きる私の支えとなったのです」

・芥川夫人は十年の結婚生活で、芥川のさびしさを、自分への深い思いやりを、十分に知っていたと思う。芥川亡きのちの文夫人の生活は苦しいことさびしいことが多かっただろう。しかし亡き人が支えになったということのできた夫人はしあわせであったと私は思う。

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森鴎外の最初の妻登志子は生まれたばかりの於菟を置いて離縁となりました。

また再婚するまでは妾的な存在の女性がいたのだとか。美しい妻を望んだ理由の一つはその女性にあきらめさせる目的もあったのかもしれません。そういえば、太宰治「グッド・バイ」もそんなことがあったような。

比較的女性を尊重していたはずの鴎外や太宰治でも・・・・

戦前の女性の地位はかなり低いものであったと思います。

今、高くなったといってもひとたび不況となると、女性にしわ寄せが来るようです。

 

小林勇の書いたものによると、森家では酒飲みがいなかったとか。

ほかの作家たちは酒飲みが多く、また編集者や新聞記者といった人たちは職業柄生活が不規則であるせいもあって、酒豪が多いようです。

コロナ自粛で、アルコールの摂取量が多くならないように対策が必要そう。

なお、次のような一文がありました。

・人は簡単に「悪妻」などという言葉を口にする。とくに芸術家の妻に対してこの尊称が奉られることがあるようだ。妻に苦しめられたといい、それ故に立派な芸術が生れたなどと説く人もある。芸術家でなくても男性は皆妻で苦しみ、女で苦しんでいる。芸術家、特に作家は神経質で、鋭く、生みの苦しみのためいらいらすることがあるだろう。その夫人たちもはじめ親切で明るくても、そのうち刀折れ矢つきて、変形することが多いのではないだろうか。

現代では男性と女性が入れ替わっても同様に考えられそうですね。

夫婦間でアルコールではないイライラ解消法が必要だ、ということでしょうか。

 

まずは現代の問題をはっきりさせていくことが大事だと思います。

人間関係のhow-to本ばかり読んでいても解決が難しそうなので、幸福、あるいは健全といったことについて具体的に思い描けるようになる必要はないでしょうか。


2020年11月 神戸へ その6

2020-12-15 18:52:05 | 女性について

ホテルオークラ神戸には売店が数店あります。

地味好みの私としては、関西で洋品店を見て歩くこともありませんでしたが・・・・

「シャーロック・ホームズ」というお店にはいってみました。開店して間もないのだとのこと。

靴やセーターなどキラキラした品が並んでいて、私などには宇宙人の店かと思えたりしました。

興味深く見ていたら、スタッフの女性に声をかけられて、さすが勧め上手であれこれ試したあげくに手染めのシルクのショールを買うことに。

コロナ禍で換気のため、部屋でも乗り物の中でもちょっと寒いことがありますので、気に入ったものがあれば重宝だと思います。

あらためて写真に撮ってみると、無意識で何かパワーを感じるものを求めていた?のかもしれません。

 

ただ、私にしてみれば高価な品だったので、関西だということもあり値引きはないのか、と厚かましく聞いてみました。

値引きはしないかわりにオマケがあるとのこと。

厚手のソックス、シリアの?ハンカチ、上等なマスクをオマケとしてもらいました。

しばらく旅行はできなくなり、子育てや介護から解放されて骨休めといったこともできなくなりそう。

大病をしたりすれば、愚痴ばかりが出てしまうことにならないとも限りません。(汗

 

思い切って元気が出そうなことにお金を使ったりして、景気浮揚に貢献することも大事ではないでしょうか。

また、自分ファースト過ぎるのも他人ファースト過ぎるのもほどほどに、と思ったりします。

 

いろいろとおしゃべりをして、値引きはせずにオマケをつける、というのは、セールスのスキルとして参考になりそう。

Oさん、楽しい時間をありがとうございました。

ホテルの売店はお勧めの場所といえます。


2020年11月 神戸へ その1

2020-12-08 10:22:06 | 女性について

11月25日から28日まで神戸に出かけてきました。

95歳の義姉の認知症が進んで、今後をどうするかの相談のためです。

新幹線は空いていて、いつものように富士山の見える席の指定券を購入。

何とか頭だけの富士山を撮りました。

コロナ感染者数が増えていて、旅行中に発熱でもしたら、とか義姉に感染させることになったら、とか心配しておりましたが、何とか今のところ無事に済んだといえそうです。

義姉は独身で自宅で洋裁の仕事を長くして、また神戸の震災では親の代からの古い家だったため全壊したのに助かり、自力で小さな家を建てて暮らしてきた人です。

ほんとうにしっかりした人でしたが、耳が聞こえなくなってから少しずつ認知症が進んできたようにも思います。

対人関係が苦手で、若いころ幼稚園に就職してすぐ辞めてしまったとか、友人と旅行に出かけると必ずといっていいほどケンカして帰ってくるとか。

主人の解説によると、4人兄弟 女 女 男 女 の二女であって、小さい時からの不満がたまってしまったのだとか。

神戸の大震災で義姉の自宅が全壊したとき、我が家では高3、高2の息子がいて、私は初めてかつただ一度のフルタイムの産休代替の高校教師として1年間勤めていた時期でした。

とても義姉をこちらに呼べる状況にはなくて、まだ現役で忙しい仕事があった主人が出かけて親戚の方や知人の方に短期間同居をお願いしたりしました。

事情を想像できない義姉にしてみれば話を聞いてもらえないなど不満がたまった、そういうタイミングの悪さみたいなこともありました。

多くの親戚の方や知人の方がほんとうに親切にしてくださったのだと思いますが、完ぺき主義的な義姉としては不満を持つことがけっこうあったように感じられました。

神戸の震災の1年前に、主人の母は亡くなっていて、また義姉は震災で家屋が全壊したのに中にいてケガをすることもなかったということが不幸中の幸いとして感じられたことを思い出します。


2020年6月 青森へ その5

2020-07-02 22:41:20 | 女性について

主人や両親を見送り、人間は自分がどれぐらい長く生きるのかあるいはどのように亡くなるのかよくわからないのだ、と思ったりします。

考えたくない、ということもあるでしょうか。女性は男性よりも長生きをすることが多いので、考えてみることも必要かもしれません。

そんなことを考えるのには、青森のようなところがよさそうです。

山と海が広がっていて、時間というものを考えるのにふさわしいところだから、というか。

高校1年生のころ、土木学科などと進学の希望を書いていたりしたことを思い出します。

体力に全く自信がないのに、なぜだったんでしょうか。日本列島のあちこちで大工事があったから、だったのか。

現代では、さまざまな分野で頼もしい女性が活躍しているようで羨ましいかぎりです。

高校時代からの友人と会って、陸奥湾を見ながら食事をして、これから何ができるかおしゃべりをしました。

彼女は東京の大学を出てから青森にもどり、家庭と仕事を立派に両立させた人です。

青森は女性にとって働きやすい土地といえるかもしれません。

しっかりした女性が多くて、女性同士であれこれ相談できる環境があると思います。

父や母の介護で多くの女性の方たちに助けてもらうことができました。

青森は人材が豊富なところではないか、と思うことがよくありました。

青森での女性の働き方や考え方を発信していくと、参考になることが多そうです。

帰りの新幹線から、夕方の八甲田山です。

負けるなと励ましているように見えますね。

 


12月8日のまち 〔3〕

2019-12-15 00:12:51 | 女性について

椿峰キルティングビー(パッチワーク)

購入したいような作品があります。

 

このグループの講師をされている方の作品です。

秋田のご出身だそうで、昭和19年生まれだとか。

藍染の布で洗って色を落としたものを組み合わせているようです。

東北の女性の底力みたいなものが感じられました。