永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

町の記憶。

2011-04-02 14:08:33 | アート・文化
早いものでことしも月日が4 分の1経ちました。何なんでしょう、この早さ。
この三ヶ月を振り返ってみると、やはり大震災が街を破壊してまったことのショックが脳裏のほとんどを埋めてしまいました。町は人のこころの拠りどころでもあります。
ぼくは知らない町が好きなので、よく唐突に、そして、ふらっと地図を見て電車やバス、タクシーに乗ったり歩いたりして町を探究します。山陰や大分などの都市から外れた小さな町は特に面白いです。
ほとんどの地方都市は駅を中心とした町割りで形作られています。そして、だいたたい駅前はいろんなお店で立ち並んでいます。駅を一歩出ると、その土地の匂いがするものです。
今どきのほとんどの街はカタカナ文字で店のサインで溢れ無国籍なイメージをつくっています。福岡や小倉の街の中心は原宿と同じ店の構えで、売っているものも似たようなものばかりです。
そして、今どき、中核都市の中心には必ずといっていいほど質感のない長高層のバブルの塔がそびえたっていて、無個性な街を形つくっています。
ぼくが住んでいる門司の門司港駅前のレトロ地区船溜りには観光客相手のお店が異空間をつくっています。原宿にあるスーベニールショップやレストラン店と何ら変わりありません。
門司港の街は港湾、鉄道で経済が動いていたころは、わりかし街が複合的だったのだろうと想像できます。それは貨物などを取扱う商社を中心とした経済的機能性からくるものと思われ、そこに夢を追い働く人たちの街であったと思われます。
門司港の栄町や錦町・老松町には当時の面影が残像としてあり、歩いているとデジャブな感覚に落ち入ることがあります。町の路地、道ち道との交わり、曲り角などは今風の街路ではなく、道路巾や家屋の高さは子どもの頃の感覚に戻ってしまいます。


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門司港・栄町界隈。〈C〉永野宏三・ひろみプロ