早いものでことしも月日が4 分の1経ちました。何なんでしょう、この早さ。
この三ヶ月を振り返ってみると、やはり大震災が街を破壊してまったことのショックが脳裏のほとんどを埋めてしまいました。町は人のこころの拠りどころでもあります。
ぼくは知らない町が好きなので、よく唐突に、そして、ふらっと地図を見て電車やバス、タクシーに乗ったり歩いたりして町を探究します。山陰や大分などの都市から外れた小さな町は特に面白いです。
ほとんどの地方都市は駅を中心とした町割りで形作られています。そして、だいたたい駅前はいろんなお店で立ち並んでいます。駅を一歩出ると、その土地の匂いがするものです。
今どきのほとんどの街はカタカナ文字で店のサインで溢れ無国籍なイメージをつくっています。福岡や小倉の街の中心は原宿と同じ店の構えで、売っているものも似たようなものばかりです。
そして、今どき、中核都市の中心には必ずといっていいほど質感のない長高層のバブルの塔がそびえたっていて、無個性な街を形つくっています。
ぼくが住んでいる門司の門司港駅前のレトロ地区船溜りには観光客相手のお店が異空間をつくっています。原宿にあるスーベニールショップやレストラン店と何ら変わりありません。
門司港の街は港湾、鉄道で経済が動いていたころは、わりかし街が複合的だったのだろうと想像できます。それは貨物などを取扱う商社を中心とした経済的機能性からくるものと思われ、そこに夢を追い働く人たちの街であったと思われます。
門司港の栄町や錦町・老松町には当時の面影が残像としてあり、歩いているとデジャブな感覚に落ち入ることがあります。町の路地、道ち道との交わり、曲り角などは今風の街路ではなく、道路巾や家屋の高さは子どもの頃の感覚に戻ってしまいます。
門司港・栄町界隈。〈C〉永野宏三・ひろみプロ
この三ヶ月を振り返ってみると、やはり大震災が街を破壊してまったことのショックが脳裏のほとんどを埋めてしまいました。町は人のこころの拠りどころでもあります。
ぼくは知らない町が好きなので、よく唐突に、そして、ふらっと地図を見て電車やバス、タクシーに乗ったり歩いたりして町を探究します。山陰や大分などの都市から外れた小さな町は特に面白いです。
ほとんどの地方都市は駅を中心とした町割りで形作られています。そして、だいたたい駅前はいろんなお店で立ち並んでいます。駅を一歩出ると、その土地の匂いがするものです。
今どきのほとんどの街はカタカナ文字で店のサインで溢れ無国籍なイメージをつくっています。福岡や小倉の街の中心は原宿と同じ店の構えで、売っているものも似たようなものばかりです。
そして、今どき、中核都市の中心には必ずといっていいほど質感のない長高層のバブルの塔がそびえたっていて、無個性な街を形つくっています。
ぼくが住んでいる門司の門司港駅前のレトロ地区船溜りには観光客相手のお店が異空間をつくっています。原宿にあるスーベニールショップやレストラン店と何ら変わりありません。
門司港の街は港湾、鉄道で経済が動いていたころは、わりかし街が複合的だったのだろうと想像できます。それは貨物などを取扱う商社を中心とした経済的機能性からくるものと思われ、そこに夢を追い働く人たちの街であったと思われます。
門司港の栄町や錦町・老松町には当時の面影が残像としてあり、歩いているとデジャブな感覚に落ち入ることがあります。町の路地、道ち道との交わり、曲り角などは今風の街路ではなく、道路巾や家屋の高さは子どもの頃の感覚に戻ってしまいます。
門司港・栄町界隈。〈C〉永野宏三・ひろみプロ
よく見ると「好々亭」があるじゃ~ないですか!
懐かしい!
昔、門司港に北九州市立の予備校があって
そこに1年間、八幡から通いました。
好々亭に昼休みによく行きました。
好々亭は門司港に第一と第二のお店があります。たぶんのれん分けだと思います。大里にも以前ありました。hdsさんの青春のヒトコマですね。今も高校生に学生価格の焼そばで人気をとっています。
井上陽水さんも予備校生時代に門司港の港湾でアルバイトをしていたらしいと何かの雑誌で読んだことがあります。
“ほろ苦く 青春時代 真中に”