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70億人が幸せになる方法[その16]

2015-08-24 09:38:45 | thought
えー、お題の「70億人が幸せになる方法[その16]」です。

中3になった私は、高校受験を迎えました。
当初の目標よりも下でしたが、私の当時の学力で入れそうな工業高校に進路を決めました。

その時に自分に対する「にんじん」を目的に、父が酔った時に証文を書かせました。
当時私が一番欲しかったものはシンセサイザーでした。YMOの影響が非常に大きかったのですが、
シンセサイザーはとても高価で、ウチの経済状況からはとても買えるものではありません。
そこで、太鼓が好きだった私は、ドラムを覚えようとドラムセットを買ってもらう事を父に提案しました。

父は、「合格したら買ってやる」と言質をとったので、それを紙に書いてもらったのです。
母印も押してもらいました。

私は、内心、本当に買ってくれるか解らないけれども、自分の「にんじん」が出来たので、
それを目的に、受験勉強を頑張りました。

最終の模擬テストでは、合格するかギリギリのラインでした。
2月に受験し、3月の中旬に合格発表がありました。
結果は合格でした。

私はすごく嬉しかったのでした。これで、島から出られるという事が一番大きかったですが、
「にんじん」が貰えるかもと期待が膨らみました。
父に結果を知らせると、なんと買ってくれると言いました。

私は天にも昇る気持ちでした。
そして、カタログとかを取り寄せてみたのですが、当時の値段で15万円もしたのです。
ちょっと無理かなとかも考えました。
しかし、このドラムセットがパーソナルコンピューターに変わる事態が起こるのです。

高校の合格後の春休みに、従兄弟のいる名古屋へ遊びにいきました。
その時に当時はマイコンと呼ばれていたパソコンを見学する事になったのです。
従兄弟の家から少し離れた家電量販店にパソコンが展示されていました。それを見に行ったのです。

その前に近くの書店でマイコンの雑誌を2冊ほど購入して、プログラムリストを入手しました。
当時の私はマイコンの使い方なんて全然知らなかったのですが、なんとかなるだろうとタカをくくってました。

展示されたマイコンを触る事が出来たので、プログラムを入力してみました。しかし、うまくいきません。
そりゃそうです。プログラムリストの入力方法自体、知らなかったのですから。

そこで私は店員さんに聞いてみました。すると店員さんは、まるで「そんな事も知らないで触るのか」とでも言うように、
鼻で笑われたのでした。
私は顔を真っ赤にして急いでその場から従兄弟と逃げ出しました。従兄弟は大笑いです。

後で従兄弟の家に帰った時に叔母に「知ったかぶりするからよ」と怒られました。
私はそのことがショックで、悔しくて、「よし、それならマイコンを使えるようになろう」と決意したのです。

従兄弟の家から島に帰ってきた私は、父にドラムセットはいいからマイコンを買ってくれと交渉しました。
値段的にドラムセットと同じくらいだったので、父は「わかった、やってみろ」と言ってくれました。

当時、そのマイコンはプログラミングで音楽やゲームが作れました。私はそのゲームや音楽をやりたくて、
高校に入学してから、マイコンの入門書を買い、必死でプログラミングを勉強しました。

当時はユーザーがプログラミングをしないと、ソフトウェアを動かすことが出来なかったのです。
必死でBASIC言語を覚えました。そのおかげで、高1の夏休みにはデモンストレーションプログラムが、
数分で入力できるようになったのです。

乱数で四角形と色を変化させて、ある数に達すると画面がクリアされて再度描画するプログラムを自力で書くことができました。
それから、私は学校でFORTRAN言語を習い、学校のコンピューター室で実習をしたり、
高松のコンピューター学習センターでプログラミング実習をしたりしたのです。
そこで、コンピューターの基礎を叩き込まれました。

それ以来、私はコンピューターの虜になったのでした。それが今の仕事につながるとは夢にも思いませんでした。

[その17]へ続きます。

ではでは。

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