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70億人が幸せになる方法[その15]

2015-08-20 10:07:15 | thought
えー、お題の「70億人が幸せになる方法[その15]」です。

学校でも、家でも居場所のなかった私は、空想の世界に居場所を見つけました。
自分が大人になったらやりたいことや、島を出て早く独立したいと強く思うようになったのです。

小6の時に初めて聞いたYMOのライディーンでカルチャーショックを受けた私は、
もしかしたら、これが私のやるべきことなのでは、と思いました。

当時はさとしくんと一緒にYMOの真似事をしていましたが、もちろんシンセサイザーも無ければ、
コンピューターもありません。

私は家にあった小学校からいらなくなってもらった壊れた電気オルガンをキーボード代わりにして、
いくつかの出ない音をとばして、耳コピしたライディーンの曲を弾き、さとしくんはボウルにチラシをくくりつけた、
簡易ドラムでリズムを取っていました。

即席のセッションをしていたのです。これがとても楽しくて、嫌なことを忘れさせてくれました。

小6の時の夢は、ロボットを作ることでした。
これは人が乗って動かすロボットで、当時はマジンガーZをモデルに考えていました。
その夢を叶えるためには、まずは電子工学について勉強して、コンピューターの勉強もしなければなりません。

おぼろげな知識で、私は中学を卒業したら、高等専門学校の電子工学科に入りたいと強く思い描いていました。
しかし、実際には中学の時に学力が不足していて、工業高校に入れるかどうかのギリギリの成績でした。

中学生になった私は、いじめが肉体的ないじめから精神的ないじめへと変わっていきました。
感情を表に出すことを禁じられたのです。

クラスで面白いことがあっても笑うと「笑うな」と言われたり、何かを話そうとすると「しゃべるな」と言われたり、
この時は本当に生きる屍でした。

私は中学の時から、ただ嵐が過ぎ去るのを待つようなそんな日々を過ごしていたのです。

中3の時に工業高校の受験を決めました。もし、そこで落ちたら、職業訓練学校の溶接科に入って、
とにかく手に職をつけて自立する事を一番に考えていました。

それが運命の分かれ道になったのです。

[その16]へ続きます。

ではでは。

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