えー、お題の「70億人が幸せになる方法[その18]」です。
工業高校を卒業した私は、叔父の勤める名古屋の会社に入社することになりました。
初めての社会人としての仕事がここからスタートしたのです。
会社の主な業務は繊維製品の卸売り業で、メインは高級和服の売買でした。
和服以外にも洋服や寝具、毛皮などの高級商品の取り扱いも行っていました。
規模は年間売り上げが100億円ほどで、従業員はグループ企業も入れて500人を超えるという、
名古屋では結構大きな会社でした。
私はその会社のコンピュータ室に配属されました。
基本的にこの部署は経理や経営に関する資料の作成が主な仕事で、売上や仕入、回収や支払の為の帳票作成、
給与計算、決算関連書類の作成、経営分析資料の作成などを自社開発のアプリを汎用機で作っていました。
その設計から開発、運営、データ入力、各種計算処理が主な仕事でした。
私はそこで、まずは汎用コンピュータのオペレーターとしてコンピュータの操作をすることを覚えました。
会社で使われているコンピュータはIBMのシステム/38という当時としては最先端のリレーショナルデータベースによる、
オペレーティングシステムを搭載しており、使用言語はRPG/IIIというこれまたデータベースアプリを作成するのに、
非常に強力な言語となっており、私はここで、業務用コンピュータの使い方と、データベースの基礎、
プログラミングの基礎を習得することができました。
仕事自体は大変面白く、勉強になったのですが、人間関係が少し複雑で、私は1年で辞めたくなりました。
当時、私の上司であるコンピュータ室の室長が私の叔父と社内で対立関係にあり、元々私が入社する予定がなかったところ、
無理やり、叔父が私をコンピュータ室にねじ込んだらしいのです。
それを良くないと思っている室長の今でいうパワハラが私に行われていました。
しかし、これも仕事のうちと思って私は内心、修行期間だから頑張ろうと思って、日々の仕事をこなすことに必死になっていました。
室長以外の先輩や同僚との人間関係は良好でした。これが救いになりました。
特に先輩には非常に良くしてもらって、この先輩がいるから、結局3年間なんとか勤めることが出来たのです。
しかし、本当は私が辞めたいと強く思った原因は、他にありました。それは叔母の存在でした。
[その19]へと続きます。
ではでは。
工業高校を卒業した私は、叔父の勤める名古屋の会社に入社することになりました。
初めての社会人としての仕事がここからスタートしたのです。
会社の主な業務は繊維製品の卸売り業で、メインは高級和服の売買でした。
和服以外にも洋服や寝具、毛皮などの高級商品の取り扱いも行っていました。
規模は年間売り上げが100億円ほどで、従業員はグループ企業も入れて500人を超えるという、
名古屋では結構大きな会社でした。
私はその会社のコンピュータ室に配属されました。
基本的にこの部署は経理や経営に関する資料の作成が主な仕事で、売上や仕入、回収や支払の為の帳票作成、
給与計算、決算関連書類の作成、経営分析資料の作成などを自社開発のアプリを汎用機で作っていました。
その設計から開発、運営、データ入力、各種計算処理が主な仕事でした。
私はそこで、まずは汎用コンピュータのオペレーターとしてコンピュータの操作をすることを覚えました。
会社で使われているコンピュータはIBMのシステム/38という当時としては最先端のリレーショナルデータベースによる、
オペレーティングシステムを搭載しており、使用言語はRPG/IIIというこれまたデータベースアプリを作成するのに、
非常に強力な言語となっており、私はここで、業務用コンピュータの使い方と、データベースの基礎、
プログラミングの基礎を習得することができました。
仕事自体は大変面白く、勉強になったのですが、人間関係が少し複雑で、私は1年で辞めたくなりました。
当時、私の上司であるコンピュータ室の室長が私の叔父と社内で対立関係にあり、元々私が入社する予定がなかったところ、
無理やり、叔父が私をコンピュータ室にねじ込んだらしいのです。
それを良くないと思っている室長の今でいうパワハラが私に行われていました。
しかし、これも仕事のうちと思って私は内心、修行期間だから頑張ろうと思って、日々の仕事をこなすことに必死になっていました。
室長以外の先輩や同僚との人間関係は良好でした。これが救いになりました。
特に先輩には非常に良くしてもらって、この先輩がいるから、結局3年間なんとか勤めることが出来たのです。
しかし、本当は私が辞めたいと強く思った原因は、他にありました。それは叔母の存在でした。
[その19]へと続きます。
ではでは。
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