えー、お題の「社会人になって[その1]」です。
高校卒業後、私は、叔父の勤める名古屋の繊維問屋に入社しました。
そこでは、電算室という部署があり、コンピュータが好きなら
出来るのでは無いかということで、紹介してもらい、入りました。
所謂、コネ入社ですね。一応役員面接があり、そこで、自分の
コンピュータに関する想いを話しました。
しかし、予想していた仕事とは、全く違った仕事でした。
そこでは、社内システムは全て自社開発で、コンピュータは
汎用コンピュータのIBM S/38という機種でした。
言語は簡易言語のRPGIIIという言語で、私は、最初はオペレータとして
コンピュータの操作や、プリンタの操作、データ入力の仕事をしていました。
データ入力は専用のキーパンチ入力機という機械を使って入力していました。
なれないうちは、腱鞘炎になったりもしました。
S/38という機種は、リレーショナルデータベースが使える機種で、
その基本をIBMの研修センターで6ヶ月ほど色々な種類のプログラムを
覚えていきました。
その研修が終わった時点で、始めてRPGIIIのプログラマーとして
仕事をする事になったのです。
実際の仕事は電算室の室長が、私の直属の上司でその人が社内SEとして、
基本的な設計をして、私は、それをプログラミングしていくという
仕事をしていました。
私は、仕事自体はなんとかこなしていましたが、会社の人間関係が上手く
行かない為、1年足らずで辞めたいと思う様になりました。
結局会社にその旨を伝えてから辞められたのは3年経った頃でした。
そして、故郷の香川に戻る事になりました。
現在、その会社は倒産してしまいました。今となっては、早めに
辞められて良かったのかな、と思いました。
その2に続きます。
高校卒業後、私は、叔父の勤める名古屋の繊維問屋に入社しました。
そこでは、電算室という部署があり、コンピュータが好きなら
出来るのでは無いかということで、紹介してもらい、入りました。
所謂、コネ入社ですね。一応役員面接があり、そこで、自分の
コンピュータに関する想いを話しました。
しかし、予想していた仕事とは、全く違った仕事でした。
そこでは、社内システムは全て自社開発で、コンピュータは
汎用コンピュータのIBM S/38という機種でした。
言語は簡易言語のRPGIIIという言語で、私は、最初はオペレータとして
コンピュータの操作や、プリンタの操作、データ入力の仕事をしていました。
データ入力は専用のキーパンチ入力機という機械を使って入力していました。
なれないうちは、腱鞘炎になったりもしました。
S/38という機種は、リレーショナルデータベースが使える機種で、
その基本をIBMの研修センターで6ヶ月ほど色々な種類のプログラムを
覚えていきました。
その研修が終わった時点で、始めてRPGIIIのプログラマーとして
仕事をする事になったのです。
実際の仕事は電算室の室長が、私の直属の上司でその人が社内SEとして、
基本的な設計をして、私は、それをプログラミングしていくという
仕事をしていました。
私は、仕事自体はなんとかこなしていましたが、会社の人間関係が上手く
行かない為、1年足らずで辞めたいと思う様になりました。
結局会社にその旨を伝えてから辞められたのは3年経った頃でした。
そして、故郷の香川に戻る事になりました。
現在、その会社は倒産してしまいました。今となっては、早めに
辞められて良かったのかな、と思いました。
その2に続きます。