たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

初観音その2

2012年01月20日 | お寺参り

初観音

ある時、この尾張最古刹 寂光院 の七七月(ななつき)参りしたとき、何時もの締めの一口説法で「忠臣蔵を見ると、親戚がいっぱい出てくる」とおっしゃった。ウウン・・何?

後で、隣にお座りのご婦人にどういうこととお尋ねしたら、「徳川さんです。ここのご住職(山主と自称される)様は家康様の係累のお方です・・」、「ハハアー分りました」。
苗字が松平さま、家康さまは三河 岡崎城主 松平広忠 公のご長男、幼名竹千代君だったな。この辺では家康様は昨日会った知人のごとく親しげに語られるのです。

どうりでこの山主は物腰や言葉が上品で柔らかく、中高年のみなさま、綾小路きみまろ氏もたじたじの人気です。説法の最後に「皆様お寒い中、どうぞ、おいとい下さい」。
こんなお上品な言葉を使われ、また、似合う方はめったにお目にかかれません。

ご住職は地元紙中日新聞のコラムで有名です。ご著書「喜び上手」が手元にあります。この本で名古屋の由緒正しき格式のある寺の次男に生まれたことや、伊勢湾台風で壊滅的被害を受け、檀家が僅か17軒しかない大寺寂光院に学生時代に入り、再興する苦労が語られています。

ほん足元の方でゴルフ友達のあるご婦人は、寂光院は今の山主になられて、寂れかけていたが盛り返したとも言われていた。寺院経営も大変だからね。とにかく320段の白御影石の階段と手摺りの立派さはちょっとその辺にありません。

ある時の説法で「私がこの山へ入ったときはゴミの山でした。日本人は衣食足りて礼節を知り、確実にマナーがよくなりました。タバコの吸殻など目にもしません」。この山、特に本堂は特に水がなく火気厳禁なのです。織田信長がお参りし周辺の領地を拝領した由です。

余計な事に興味を持ち、要らざることを口にする悪癖の爺は昨日も帰り際、「お手伝いの皆さんは日当でも出るのですか」、「全くの無償奉仕です、お手伝いさせて頂いています」、紫に院の家紋を染めた法被を着たご婦人が数十人、駐車場整理など男の方もおられる。
一昨日は僅か3,000円のご祈祷料で、開運暦、祈祷お守りと、開運熊手の飾り物、全員にどぶろくのお振る舞いがあった。

お堂の本尊、千手観音菩薩は爺の生まれ年、子年、の一代守り本尊でもある。ご真言は「おん、ばざら、たらまきりく」。護摩供の最後に全員で何度も称えてもらえる。新緑と紅葉のお寺です。

 


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