たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

飛騨川バス事故から50周年

2018年08月17日 | 日記

明日8月18日は飛騨川バス転落事故から50周年だそうだ。1968年(昭和43年)8月18日、豪雨のため土砂崩れで行く手を阻まれ、引き返そうにもままならず、待機中の岡崎観光バス2台が土砂崩れの直撃を受け、増水していた飛騨川に転落し乗員・乗客107人中104人が死亡した我が国最大のバス事故です。

転落した場所は川辺町下麻生~白川町に至る国道41号線で、当時私は結婚し長男が生まれ、住む家もなく美濃加茂市の家内の実家の一間を間借りし新婚生活をしていた。
当時の私の年齢は後1ヵ月で32歳になる夏で、長男は3歳と4ヵ月だった。
白黒テレビを持っていたのか事故の重大さが報じられ数日後、折から日曜日だったので、犠牲者の遺体収容所になっていた、美濃加茂市産業産業会館(と、言ったと記憶している、集会所かもしれない。古い木造のがらんどうの空間の建物だった)へ、息子を自転車のこども椅子に乗せ見に行ったら、次から次と遺体が運び込まれ並べられていった。

もちろん中へは入らず入口で見ていた。これは大変な事故だと転落した場所も見たいと、野次馬根性で息子を乗せたまま北上し、川辺町まで行ったところで、暑さに参り無謀だと悟り帰宅した。

あれから50年です。後で建てられた「慰霊塔・天心白菊の塔」は、何度かお参りしました。
故郷飛騨へは県道の通常・飛騨街道(関市~飛騨金山)を通るので、事故のあった中山七里は通りません。先日新聞で奇跡的に助かった当時中学生だった人の記憶が語られているのを読みました。

息子は3歳だったので当時の記憶は当然ないでしょう。息子はこの春田舎の小規模校の校長になり、先日「お前のところはプールは開いているのか」と聞きました。「ほとんど開いていない」というので「この猛暑では事故があったら大変なので閉鎖がいいだろう」と言っておきました。妻は早死にし20年経ち、私は来月82歳になる。