たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

新聞一面コラム

2018年08月16日 | 日記

昨夜はお盆なので500円のお寿司パックを買い半分食べた。今朝はモーニング喫茶には行かず、残りのお寿司で済ませた。

昨日は藤本理稀(よしき)ちゃん生還で日本中がホッコリした。よしきちゃんの生命力にも驚いたが、捜索が難航していると知って大分から19万キロ乘ったポンコツの軽で駆けつけ、30分足らずでよしきちゃんを発見された、78歳の尾畑春男さんのボランティア活動にも感動した。

今日も相変わらず蒸し暑く例の運動に行きひと汗流し、帰りにコンビニで読売新聞を買った。読売を下から読ませるという1面コラム「編集手帳」は、ときどき喫茶店で読むが、筆者中村政明さん休養後の筆者も劣らず健筆ぶりで好感が持てる。

8月から永年取っていた朝日を止めて新聞を取っていなが、やはり寂しくコンビニで買うことが多い。
帰宅すると今日は間違って朝日が配達してあった。ありがたく拝読した。朝日の投書欄は読み応えがあるが、最近の「天声人語」はつまらないし、社会面には大きな不満がある。カラーページが多いのはいいが、全面広告も多い。

地元紙「岐阜新聞」も悪くはないが、どこの喫茶店も取っていて読める。来月から新聞なしの生活を続けるか悩ましいところだ。92歳になる姉はテレビで見ても翌日活字で見直したいと、似たような性格で「中日」を取っている。兄は「中日」から近年「岐阜」に変えた。