たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

傘寿同窓会 その2

2018年04月21日 | 日記

わたしは副幹事でしたが役立たずでした。宴会の席では、それぞれが「どう生きて来たか」苦労話などを、一人づつスピーチする提案がされました。
一人の級友は、伝統的「飛騨染め・ゆはら染工」会長さんなので、席上スピーチと共に自らデザインし染め上げた馬頭観音・暖簾を全員にお土産にくれました。由緒書きは味のある級友の直筆です。

彼は祭りの鶏闘楽(けいとうがく・鐘打ち)や獅子舞の衣装を伝統的手法で染め上げる、現代の名工です。

地元の幹事さんも骨折ってくださり、地元女性幹事が席上で配ってくれた「北国の春(高山バージョン)」全員で生オケで、締めは「夜間部の歌」「斐太高校校歌」を合唱しました。

この種の替え歌が作られるのが飛騨高山らしいところです。現在の飛騨高山高校が「夜間部の歌」を今でも歌っています。幹事さんが作った「同窓会しおり」に歌詞が記載されており、3番歌詞の冒頭が斐太高時代の原歌詞、
「抱く巴城(はじょう)の 正義の鐘に
 若き血潮をたぎらせつ」・・・が、
「行こう若人 希望を胸に
 若き血潮をたぎらせつ」・・・に、改詞されています。巴城ヶ丘とは斐高の裏山のことです。
通信教育課程を卒業した級友が目ざとく見つけ、質問されました。


傘寿同窓会

2018年04月21日 | 日記

19日~20日、故郷飛騨高山市で開催された同窓会に行ってきました。
昭和33年3月高山高校、飛騨実業高校等を卒業した定時制(夜間部)、通信教育、転校者などの合同同窓会で・燦々会という会です。会員が傘寿を迎え記念すべき同窓会になりました。

 前回は3年前に開催され、3年で皆がそれぞれに、動作が鈍くなり年齢相応の再会でした。
今回が最終回ということで、感慨無量、話しが弾みました。観光施設「飛騨の里」近くの旅館「八平衛」で全員宿泊17名が参加しました。(1名は開催日を間違えて欠席)
19日一旦旅館へ集まり~旅館のバスで高山陣屋近くの神通寺で物故者法要を厳修しました神通寺は浄土真宗本願寺派で導師は観無量寿経をお勤めされ、お経の後で味わい深い説法をされました。お布施2万円を志納した。

旅館前からの北アルプス 笠ヶ岳~穂高連峰

車で行き、旅館を確認した後、級友の店「高砂」で中華そばで昼食、その後市内を少し回り、線路を跨ぐ形で新築されたJR高山駅を見ました。市内は外国人観光客が溢れていました。

旅館前には崇教・真光の本堂が光っていました。

車で行き、関IC~高速・東海北陸道~郡上八幡IC~せせらぎ街道~高山市へ の経路でした。道の駅・明宝から背後の新緑を見る。