たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

高山陣屋・山岡鉄舟

2015年05月23日 | 日記

同窓会ブログネタも今日が最後に。「歌を巡る史跡巡り・飛騨高山」の最後は赤い中橋から飛騨陣屋でした。赤い中橋の吹きさらし東屋で皆腰をかけ、そこで「飛騨山娘」の歌を聞きました。
陣屋前は朝市が立つようです。その広場の横に山岡鉄舟の剣に励む少年像がありました。台座は「青雲」のプレートを埋めてあります。
わたしは日本の歴史をまともに勉強してないので、鉄舟もよく知らないのです。
幕末に活躍して清水の次郎長にも影響を与えた、などの解説を案内役の幹事がしてくれました。女性の一人は「幕末の三舟」と言って、勝海舟、山岡鉄舟、と後一人が思い出せないと言いました。私には初めて聞く話でした。

碑文の要約では山岡鉄舟は弘化2年(1845)飛騨郡代として着任した父母について高山陣屋に入った。書は岩佐一亭に習いとありますが、一亭は古い街並みの上三之町に開業されている産婦人科「岩佐医院」のご先祖だと、三舟を話してくれた級友の女性が教えてくれました。
鉄舟は高山在住時代の8年間に、書、剣、禅、国、漢学、絵画等を学び、人間形成の礎は飛騨の風土の中で培われたと考えられる、とあります。(「鉄舟研究」少年時代その1その2その3
鉄舟は江戸へ帰り、勝海舟や義兄の高橋泥舟(幕末の三舟のひとり)と共に、幕臣として仕え、西郷隆盛と会見して江戸城無血開城、江戸を戦火から救い、徳川家に安泰を導いた、とあります。
鉄舟が少年時代を過ごした、飛騨陣屋を何十年振りかで見学しました。高山は山の中の小さな街ですが、奥が深い街です。