岸田秀が『日本がアメリカを赦す日 (文春文庫)』という本の中で論じた、日本人が前提とする、言語化されていない人間観というのは、ほぼ間違いなくその通りであろう。そして、そうした人間観を前提として行動し、人間関係を作り、日本という社会を作っているのであろう。それは、このブログでも取り上げてきた、外国人が見た日本人の印象からも推測できるであろう。「日本人は穏やかで、非常に親切、かつお人よし。そのぶん騙されやすいともいえる。なぜあんなに簡単に人を信用してしまうのか、不思議だ」というのが、大方の外国人のほぼ共通の印象のようだ。
岸田秀は、こうした人間観のプラス面もひとつだけ取り上げている。それは、「一神教の文化のように、どちらが正しいかを徹底的に詰めないで、和の精神でごまかすほうが、あまり殺し合いにならなくてすむというメリット」だ。ヨーロッパの内戦、激しい宗教戦争などにくらべると、源平の合戦から、戦国時代、明治維新に至るまで、日本の内戦は桁外れに死者が少ないという。
しかし、メリットはそれだけではないだろう。岸田秀自身が近著(『官僚病から日本を救うために―岸田秀談話集』)でいう、「日本人は一神教の神をあまり信用しないが、欧米人は人間を信用しない。日本人が母子関係をモデルとして人とのポジティブな関係を結ぼうとするのに対して、人を信じない欧米人は、神を介することで人と人との関係を結ぼうとした。」と。
性善説に立って人を信用することを前提とした社会と、そうではない社会とで、どちらがうまく行くかは、自ずと明らかだろう。かつて紹介した『私は日本のここが好き!―外国人54人が語る』から少しだけ引こう。
中国から来て帰化した、日本滞在20年の女性の言葉。
「これは民族性の違いだと思いますが、日本では一歩譲ることによって様々な衝突を避けることができます。例えば自転車同士がぶつかったときなど、中国ならすぐ相手の責任を求めますが、日本ではどちらが悪いという事実関係より、まず、お互いに「すみません」と謝ります。その光景は見ていてとても勉強になります。」
同じ本から、あるアメリカ人教授の言葉。
「‥‥私たちは日本にくると、全体が一つの大きな家族のような場所に来たと感じる。」
日本人の人間観、基本的に人を信用して行動する関係、それこそが家族的な信頼関係を感じさせる背景だろう。詳しい説明は避けるが、殺人、強盗、強姦などの犯罪率は、世界の主要国のなかで日本がいちばん低い状態を保っている。これも、その背景に日本人の人間観があるのではないか。(続く)
岸田秀は、こうした人間観のプラス面もひとつだけ取り上げている。それは、「一神教の文化のように、どちらが正しいかを徹底的に詰めないで、和の精神でごまかすほうが、あまり殺し合いにならなくてすむというメリット」だ。ヨーロッパの内戦、激しい宗教戦争などにくらべると、源平の合戦から、戦国時代、明治維新に至るまで、日本の内戦は桁外れに死者が少ないという。
しかし、メリットはそれだけではないだろう。岸田秀自身が近著(『官僚病から日本を救うために―岸田秀談話集』)でいう、「日本人は一神教の神をあまり信用しないが、欧米人は人間を信用しない。日本人が母子関係をモデルとして人とのポジティブな関係を結ぼうとするのに対して、人を信じない欧米人は、神を介することで人と人との関係を結ぼうとした。」と。
性善説に立って人を信用することを前提とした社会と、そうではない社会とで、どちらがうまく行くかは、自ずと明らかだろう。かつて紹介した『私は日本のここが好き!―外国人54人が語る』から少しだけ引こう。
中国から来て帰化した、日本滞在20年の女性の言葉。
「これは民族性の違いだと思いますが、日本では一歩譲ることによって様々な衝突を避けることができます。例えば自転車同士がぶつかったときなど、中国ならすぐ相手の責任を求めますが、日本ではどちらが悪いという事実関係より、まず、お互いに「すみません」と謝ります。その光景は見ていてとても勉強になります。」
同じ本から、あるアメリカ人教授の言葉。
「‥‥私たちは日本にくると、全体が一つの大きな家族のような場所に来たと感じる。」
日本人の人間観、基本的に人を信用して行動する関係、それこそが家族的な信頼関係を感じさせる背景だろう。詳しい説明は避けるが、殺人、強盗、強姦などの犯罪率は、世界の主要国のなかで日本がいちばん低い状態を保っている。これも、その背景に日本人の人間観があるのではないか。(続く)