岸田秀が『日本がアメリカを赦す日 (文春文庫)』という本の中で論じた日本人の人間観について、いちばん手厳しく批判したのは、それが言語化されていないということだ。
「‥‥日本人の人間観の致命的な欠陥は、言語化されていないという点です。日本列島で日本人だけで暮らしているぶんにはそれでもいいかもしれませんが、これからの日本人は、暗黙の共通前提に立っていない人たちと付き合わなければならないのですから、言語化されていない規範に頼っているのは致命的なのです。その規範それ自体がどれほど正しく立派なものであろうともです。」
日本人が、自分たちの暗黙の前提を言語化せずに来たのは、これまではそうする必要があまりなかったからだろう。長い鎖国の歴史や、四方を海に囲まれ、他文化の人々との深刻な軋轢を経験せずにすんでいたからだ。
これからはそうはいかないというのは確かだろう。ではどうすればいいのか。他文化の人間観と日本人の人間観をつき合わせて違いを確認し、それを言語化していくほかない。ただし、文化の違う生身の人間同士が、トラブルや紛争のなかで違いを確認するしかない、というわけではない。
なぜか。そのひとつの手がかりが、いま世界で巻き起こっているクール・ジャパン現象のなかにある。テレビだけでなくインターネットの普及もあり、これだけ世界に日本のマンガやアニメ、J-POP、小説などが受け入れられている。世界中の人々がそれらを楽しんでいる。その作品には自ずと日本人の人間観も反映されていて、そこがクールと受けとめられている部分もあるのではないか。
「ああ、海外でいま日本の文化がえらい人気だな」とちょっぴり自尊心をくすぐられて終わりにするのではなく、なぜそういう現象が起っているのか、日本の何がクールと感じられているのか、それをしっかりと分析していくことである。世界のこれだけ多くの人々が、日本のサブカルチャーやその他の文化に接するようになった。その膨大な接点を利用しない手はない。世界中の人々の眼を通し、彼らの眼に映った日本を分析することで、他文化との人間観の違いを明らかにしていくことは、有力な方法のひとつであるはずだ。
もちろん、日本に来て日本で生活した人々の観察を参考にするのも、もうひとつの有力な手段だ。何回か紹介した『私は日本のここが好き!―外国人54人が語る』や、『どーもアリガトだよ―在日外国人32人の“渡る日本はいい人ばかりだった”』も参考になるだろうし、インターネット(とくにYouTubeなど)で情報を発信している外国人もたくさんいる。
「‥‥日本人の人間観の致命的な欠陥は、言語化されていないという点です。日本列島で日本人だけで暮らしているぶんにはそれでもいいかもしれませんが、これからの日本人は、暗黙の共通前提に立っていない人たちと付き合わなければならないのですから、言語化されていない規範に頼っているのは致命的なのです。その規範それ自体がどれほど正しく立派なものであろうともです。」
日本人が、自分たちの暗黙の前提を言語化せずに来たのは、これまではそうする必要があまりなかったからだろう。長い鎖国の歴史や、四方を海に囲まれ、他文化の人々との深刻な軋轢を経験せずにすんでいたからだ。
これからはそうはいかないというのは確かだろう。ではどうすればいいのか。他文化の人間観と日本人の人間観をつき合わせて違いを確認し、それを言語化していくほかない。ただし、文化の違う生身の人間同士が、トラブルや紛争のなかで違いを確認するしかない、というわけではない。
なぜか。そのひとつの手がかりが、いま世界で巻き起こっているクール・ジャパン現象のなかにある。テレビだけでなくインターネットの普及もあり、これだけ世界に日本のマンガやアニメ、J-POP、小説などが受け入れられている。世界中の人々がそれらを楽しんでいる。その作品には自ずと日本人の人間観も反映されていて、そこがクールと受けとめられている部分もあるのではないか。
「ああ、海外でいま日本の文化がえらい人気だな」とちょっぴり自尊心をくすぐられて終わりにするのではなく、なぜそういう現象が起っているのか、日本の何がクールと感じられているのか、それをしっかりと分析していくことである。世界のこれだけ多くの人々が、日本のサブカルチャーやその他の文化に接するようになった。その膨大な接点を利用しない手はない。世界中の人々の眼を通し、彼らの眼に映った日本を分析することで、他文化との人間観の違いを明らかにしていくことは、有力な方法のひとつであるはずだ。
もちろん、日本に来て日本で生活した人々の観察を参考にするのも、もうひとつの有力な手段だ。何回か紹介した『私は日本のここが好き!―外国人54人が語る』や、『どーもアリガトだよ―在日外国人32人の“渡る日本はいい人ばかりだった”』も参考になるだろうし、インターネット(とくにYouTubeなど)で情報を発信している外国人もたくさんいる。