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『宮廷画家ゴヤは見た』

2013年03月30日 | 日本文化のユニークさ
ミロス・フォアマン監督の「宮廷画家ゴヤは見た」(2006年)という映画を見た。スペインの画家フランシスコ・デ・ゴヤ(1746~1828)の目を通して、ナポレオンの侵攻前のカトリック教会の腐敗や、ナポレオン軍の蛮行、スペイン独立後の歴史の激変に翻弄される人間たちを描く。

この映画をブログで取り上げる気になったのは、映画のテーマがここ数年の私の関心にかなり重なるからだ。そのためもあって久しぶりに充分に見ごたえのある映画だった。以下に書くのは映画そのもののレビューではなく、私自身の関心と重なる面からこの映画をどう見たかについての論考である。

このブログでは、日本文化のユニークさを8つの視点から考察しているのだが、この映画とかかわりがあるのは次の3視点だろう。

(4)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず、そのため縄文・弥生時代以来、一貫した言語や文化の継続があった。

(7)以上のいくつかの理由から、宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなく、また文化を統合する絶対的な理念への執着がうすかった。

(8)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかった。

(以下あらすじ、ネタバレ注意)
18世紀末、フランスは革命の動乱の最中であったが、スペインはまだ絶対王政と教会の支配下にあった。宮廷画家ゴヤは、富裕商人の娘イネスを壁画の天使や肖像画のモデルとしていたが、彼女はちょっとしたことで教会の異端審問にかけられてしまう。異端審問は、神父ロレンソが教会の権威を取り戻すため仕組んで再開したのだが、たまたま居酒屋でブタを食べなかったイネスは、ユダヤ教徒ではないかと疑われ、拷問のすえ事実に反し自分がユダヤ教徒だと告白してしまう。

ばかげた理由で異教徒と疑われ、密室でおぞましい拷問に晒される恐怖がひしひしと伝わる。魔女裁判にも似た愚かしい審判が、フランス革命の前夜においてさえ、キリスト教の名の下にスペインで行われていたのである。宗教がこのような狂気を内包し、罪なき人々に地獄の苦しみを与えるという現実を、私たち日本人はそれほど経験していない。

神父ロレンソは、イネスの父親に追い詰められて娘を救うと約束するが、逆に牢獄で苦しむイネスを犯す。その上、イネスの父親と取引したことが教会に知られてしまい、逃亡する。

ところがロレンソは15年後、スペインに侵攻したナポレオン軍とその傀儡政権の高官となってマドリードに姿を現す。今や彼は、かつての信仰をかなぐり捨て、フランス革命の理念の信奉者となっている。革命や解放、自由や平等、博愛といった理念は美しいが、現実のナポレオン軍はスペインに対する解放者であるどころか、残虐な侵略者であり征服者であった。映画はそのようなナポレオン軍の本質を短いが印象的なショットで描いている。イネスの家族もこの侵略の最中にすべて殺される。

一方フランス軍は解放者らしきことも少しは行っていた。異端審問を行った神父らを裁き、異端審問で牢獄に拘束されていた無実の人々をすべて解放したのだ。その裁きの中心に、かつて異端審問の復活を提案した神父ロレンソがいた。彼は自分が仕えたグレゴリオ神父に死を宣告する。

牢獄から解放された人々の中にイネスがいた。かつての天使のような面影はなく、やつれた痛ましい姿でよろよろと街をさまよう。自分の家にたどりつき、そこで家族の死骸を発見する。ゴヤの家にたどりついたイネスは、牢獄で起こったことをゴヤに伝える。ゴヤは当初気づかなかったのだが、その時すでに彼女は精神を病んでいた。牢獄で神父ロレンソの子を産んだが、すぐに赤子と引き離され、赤子を奪われた苦痛もあって正気を失っていたのだ。

やがてイギリス軍が上陸しスペイン軍とともにマドリードに向かったとの知らせを聞いたロレンソは、フランス軍とともに国外に逃亡しようとするが、途中で見つけられ連れ戻される。立場は逆転し、グレゴリオ神父がロレンソを裁くことになるが、改悛すれば死を免れることを宣告する。これまで保身のために自ら信奉する理念を何度もかなぐり捨ててきたロレンソだったが、改悛を拒むことによって自らの矜持を守り、民衆の罵声を浴びながら死を選ぶ。

イネスは、混乱するマドリードの路上にとり残された見ず知らぬ赤子を見つけ、奪われた自分の子どもを取り戻したと喜ぶ。死刑執行を見守る群衆の中でイネスは、死の恐怖におののくロレンソに、見つかった自分たちの子どもを見せようとして叫ぶが、その直後にロレンソは処刑される。

ロレンソの遺体を運ぶ荷車に寄り添うのは、自分から奪い去られた赤子と、赤子の父とを取り戻した幸せに満ちたイネスであった。近所の子供達がイネスとロレンソを囲うようにして歌い踊り、荷車は、あたかも天に昇るかのように坂道を遠ざかっていく。

この映画は、日本の歴史がほとんど経験しなかったいくつかの歴史的な背景のなかで展開される。まずは国境を越えて繰り広げられる、異なる民族相互の熾烈な戦い。そうした戦いの結果、異民族に支配されたり、異民族を支配したりという関係を、ヨーロッパ大陸は数えきれぬほどに繰り返した。この映画もそうした歴史の一部が切り取られているが、日本の歴史は、異民族による暴力的な支配を経験していない。

民族と民族の戦いは同時に、異なった宗教やイデオロギー相互の戦いでもある。大陸では、キリスト教とイスラム教、カトリックとプロテスタントとの戦いなどが延々と繰り返されてきた。映画では、スペインのカトリック教と、ナポレオン軍のフランス革命の理念との対立が描かれているが、フランス革命の理念は、反キリスト教的な「理性宗教」という一種の信仰という側面ももっている。ロレンソは、カトリック教会から追われたが、フランス傀儡政権の高官として支配者となってからは、かつて自分も率先して行った異端審問の罪でグレゴリオ神父に死の宣告を与える。しかし状況が急変し、あやうく死を免れたグレゴリオ神父が、今度はロレンソを宗教裁判にかけて処刑することになる。人々の運命の中に、イデオロギーの対立が凝縮されたような物語展開である。

日本の歴史は、激しく大規模な宗教戦争をほとんど知らない。織田信長の比叡山焼き討ちや、島原の乱などがあったにせよ、異なる宗教相互の戦争というよりも、支配者の都合による宗教弾圧である。異民族の侵入という危険にさらさられず、また国内にほとんど異民族を抱えていなかった日本は、強力な宗教やイデオロギーで国内を一元的に支配する必要もなかった。仏教や儒教によるイデオロギー支配があったにせよ、それは大陸にくらべ不徹底なものであった。まして他民族による宗教やイデオロギーの押し付け、他民族による自分たちの信仰の弾圧などは経験していない。

フォアマン監督は、米国への亡命前、祖国チェコの共産党政権時の体験とスペイン異端審問が重なり、映画化を決意したという。宗教やイデオロギーと、それに翻弄される人間というテーマは普遍的であるが、一方で日本の歴史と文化は、宗教やイデオロギーとのかかわり方が、大陸、とくにヨーロッパ大陸と比べるとかなり特殊であった。その比較に思いを馳せるのは、映画のテーマとは外れるが、私自身はそのような関心が強烈であるため、そのような視点からもこの映画をいっそう興味深く見ることができた。

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