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なぜ日本はキリスト教を拒否する(2):縄文からの伝統

2017年03月16日 | キリスト教を拒否する日本
前回に引き続き、宗教学者の島田裕巳氏の「キリスト教が日本で広まらなかった理由」というウェッブ上の論文をもとに、この問題を考える。日本にキリスト教が広がらないのは、家族親族のつながりや冠婚葬祭の関係で、キリスト教の信仰をもつことが邪魔になる場合が多いからではないかと島田氏は指摘する。つまり「家」の問題こそが日本にキリスト教が広まらない大きな理由かもしれないというのだ。(同様の指摘は『日本人の人生観 (講談社学術文庫)』の中で、山本七平氏も行っているので参照されたい。101頁以降)

しかし前回の最後に触れたように、私にはこれが、日本にキリスト教が広がらなかった根底に関わるいちばん大きな理由とは思えない。たとえば、韓国の場合を例にとろう。韓国の場合にも宗族と呼ばれる一族とのつながりの問題や冠婚葬祭に関わる問題も当然あっただろう。またいきなりキリスト教徒が30%を占めるようになったわけではなく、圧倒的な少数派であった状態から始まったのだから、条件は日本とあまり変わらなかったはずである。ではなぜ韓国ではキリスト教が広まり、日本ではそうではなかったのか。そうなった日本独自の理由こそが明らかにされるべきなのだ。(韓国のキリスト教との比較についてはいずれ触れてみたい。)

次に島田氏が、「キリスト教が日本で広まらなかった理由」として挙げるのは神道と仏教の存在である。東南アジアのなかで唯一のキリスト教国がフィリピンであり、ここにキリスト教が伝えられたのは日本と同じ十六世紀だという。しかも現代、この国のキリスト教徒の割合は9割を越え、大半がカトリックである。

同時期に伝わりながら、二つの国で対照的な広まり方になったのは、フィリピンには、インドのヒンズー教や中国経由の仏教などの影響をほとんど受けなかったことが影響しているという。日本では仏教や神道がキリスト教を阻む壁になっただが、フィリピンにはそのような壁がなかったというのだ。

しかしこの理由もあまり説得力を持つとは思えない。先ほど例に出した韓国の場合も、大陸から儒教も仏教も伝わっているが、キリスト教徒の割合は日本よりはるかに多い。儒教や道教や仏教など大陸の宗教の影響が圧倒的である台湾でさえ、キリスト教徒の割合は4.5%であるという。日本の1%以下という数字はやはり際立って少なく、島田氏が挙げる理由のいずれも、この特異性の根本的な説明にはなっていないと思う。

ではその根本的な理由とは何なのか。私は、このブログで追求し続けている「日本文化のユニークさ8項目」のほとんどが、相互に関連し合いながらその理由になっていると思う。8項目とは以下のようなものであるが、ここでは、それぞれの項目がなぜキリスト教が広まらない理由になっているのかについてごく手短に触れるにとどめたい。今後、項目ごとに本格的に論じたいと思う。また、これまでにもこのブログ内の項目に沿ったカテゴリー内で折に触れて論じているので興味があれば参照されたい。

(1)「漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が、現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。」
一万数千年続いた縄文時代は、磨製石器や土器を使用しながら本格的な農業は営まないという、世界史的にもきわめてユニークな時代であった。それだけ自然に恵まれ自然に依存し、自然と一体化した時代の記憶が日本人の心性の根底にあり、その心性こそが砂漠や遊牧を基盤として生まれた一神教を拒絶するのである。

(2)「ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた。」
世界史にもまれな特異な形での長い縄文時代とそれに続く稲作の時代は、母なる自然の恵みへの思いを基盤とした母性原理の宗教と文化を形作った。それが、砂漠や荒野を中心とした厳しい自然の中で生まれた父性原理の宗教への違和感を生むのである。

(3)「ユーラシア大陸の穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とも言うべき文化を形成し、それが大陸とは違う生命観を生み出した。」
ユーラシア大陸の大部分は、穀物と同時に牧畜や遊牧に深く根ざした文化を形成した。食用に家畜を育て、管理し、食べることが人間の食生活の重要部分をなすのだ。聖書を少し読めば、神と人との関係を人の家畜との関係に例えて語ることがいかに多いかがわかるだろう。本格的な牧畜を知らなかった日本人には、キリスト教を含む一神教のそうした発想が肌に合わないのだ。

(4)「大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず、そのため縄文・弥生時代以来、一貫した言語や文化の継続があった。」
アジア・アフリカ・南北アメリカの多くの地域は、多少ともヨーロッパの植民地支配を受け、その地域に深く根ざした言語や文化が時には根絶やしにされ、歪められ、あるいは片隅に追いやられたケースも多い。またヨーロッパでも農耕以前の文明が継承されたケースは少ない。日本の場合は、その地理的な幸運もあって、縄文時代以来の母性原理に根ざした文化や言語が現代にまで多かれ少なかれ継承されている。

(5)「大陸から適度な距離で隔てられた島国であり、外国に侵略された経験のない日本は、大陸の進んだ文明の負の面に直面せず、その良い面だけをひたすら崇拝し、吸収・消化することで、独自の文明を発達させることができた。」
良い面だけをひたすら吸収できたと同時に、自分たちの文化的伝統に合わないものは選ばないという選択の自由があったのである。だからこそキリスト教をはじめとする一神教は選ばれなかった。植民地支配を受けた国(たとえばフィリピン)では、支配者の宗教が現地の人々に与える影響は、植民地支配を受けなかった国に比べはるかに大きいであろう。

(6)「森林の多い豊かな自然の恩恵を受けながら、一方、地震・津波・台風などの自然災害は何度も繰り返され、それが日本人独特の自然観・人間観を作った。」
この項目の前半(豊かな自然の恩恵)部分は、(2)の項目で述べたことと重なるので繰り返さない。後半部分は今回のテーマとの関係が薄いのでここでは触れない。

(7)「以上のいくつかの理由から、宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなく、また文化を統合する絶対的な理念への執着がうすかった。」
「以上の理由」の中でいちばん大きいのは「異民族により侵略、征服された体験」がないことであろう。異民族の侵略に出会えば防衛上、異民族の宗教よりも自分たちの宗教の方が優れていることを示すため、その理論化や体系化を強いられる。キリスト教国家による侵略の危険に晒されれば、自分たちの宗教もそれに対抗しうる理論化を果たさなければならない。日本人にはその必要がなく、ただ肌に合わないからと拒否すれば済んだのである。

(8)「西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかった。」
その理由こそが、これまでにかんたんに説明した「日本文化のユニークさ」の各項目だったのである。

以上の説明は、各項目に添ってごくかんたんに述べたものに過ぎない。説明はきわめて不十分なものなので、いずれ一項目ごとに本格的に、キリスト教が広まらなかった理由との関係で論じてみたい。

《関連図書》
ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
日本の曖昧力 (PHP新書)
日本人の人生観 (講談社学術文庫 278)
古代日本列島の謎 (講談社+α文庫)
縄文の思考 (ちくま新書)
人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉 (NHKブックス)
山の霊力 (講談社選書メチエ)
日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)
森林の思考・砂漠の思考 (NHKブックス 312)
母性社会日本の病理 (講談社+α文庫)
日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)
アーロン収容所 (中公文庫)
肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公文庫)
日本人の価値観―「生命本位」の再発見

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