クールジャパン★Cool Japan

今、日本のポップカルチャーが世界でどのように受け入られ影響を広げているのか。WEB等で探ってその最新情報を紹介。

75歳 後期高齢者・なお伸び続ける英語勉強法

2024年04月29日 | 全般
私は、今年75歳、ついに後期高齢者になりましたが、毎日英会話の勉強を続けています。そして会話力がいまだに伸び続けていることを実感しています。数か月前に比べればさらに伸びたなと感じています。この調子で続ければ、もっと伸びるだろうと確信できます。そして、英語での会話力、発信力が伸びていると実感できれば、それが喜びとなり、ますますやる気なります。つまり好循環が生まれるのです。英語学習による脳への刺激、上達した実感による喜び、そしてさらに伸ばしたいという強い意欲は、全体として脳の健康にとってもきわめて効果的だと思います。

具体的にどんな勉強法をしているかは後半で語りたいと思います(動画をご覧ください⇒75歳 後期高齢者・なお伸び続ける英語勉強法)が、その前に英語を学ぶ上で私にとってもっとも大切なことを語りたいと思います。それは気持ちの問題です。取り組む上での姿勢、意気込みといってよいかもしれません。まずは、自由に英語を話せるようになりたいという強い意欲と決意をもつこと。絶対にそうなるのだという確信をもつこと。これがいちばん大切だと感じています。私の場合、この意欲と確信がかなり強いです。だから毎日楽しく英語学習が続けられるのです。

75歳にもなると、普通は大きな目標を達成したいとか夢を実現したいとかという意欲は持ちにくくなるかもしれません。しかし、それは人生に対する姿勢の問題であり、何歳になろうと夢や目標は持ち続けるべきです。それを持ち続ける方がはるかに脳を健康に若く保つことができるということです。

私の場合は、英語をもちいて世界中の人々と交流したり、ディスカッションしたりすること、ユーチューブなどのSNSを使って世界に向けて発信することです。特にオンラインで世界中の人々と討論する内容のユーチューブ動画を世界に発信することが目標の一つですが、それをするにはまだ英語力が足りないと思っています。そしてこれが英語を学び続ける原動力の一つとなっています。

脳をいつまでも若く健康に保つには、運動や食事なども大切ですが、メンタルな要素もとても大切です。一般的に言われている、脳を若く保つメンタルな秘訣は次のようなものです。
1) 語学でも楽器でもダンスでもなんでもよいから何かを学び続けること。
2) 健全な目標や夢を持ち、その実現に向かって努力しつづけること。
3) 物事への積極的な姿勢と肯定的で楽観的な見方を保つこと。
4) よき家族やグループなど、できるだけ多くの社会的な関係を保つこと。
5) ストレスを軽減する自分なりのリラックス法を持つこと。
脳の健康に対する、これらの効果についてはすべてある程度の科学的な根拠をもって主張できるとのことです。

私の場合、英語を学び続けることで、これらの秘訣の多くを実行していることになます。
最初の三つについてはすでに述べましたが、4番目のよき社会関係を保つことも英語学習を通して実現しています。オンラインで海外の人々と話したり、英語をつかってボランティアで日本語を教えたりを毎日実行しているので、オンラインですが人と接する時間はかなり長いです。五番目についても、海外の人々と楽しい会話をすることがリラックスのひとつ手段になっているような気がします。

続きは以下で御覧ください⇒https://youtu.be/Uy_o3oIbaEw?si=23TVqP3000DeeYk7


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日本の不思議・災害を乗り越える優しさの力

2024年02月23日 | 自然の豊かさと脅威の中で
日本は豊かな自然と森に恵まれた島国であり、異民族の侵略を受けずに、長年平和に稲作農業を営んできました。ときに大きな自然災害によって、苦境に陥ることもありましたが、互いに助け合うことによって何度もその苦境を乗り越えてきました。稲作農業は、互いの信頼やそれに基づく相互の絆をさらに強めました。それが日本人の優しさを作り、その優しさ、互いに尊敬し合い助け合う精神が、たとえ大規模な自然災害を経験しても、力強く立ち直れる強さにつながっているのではないでしょうか。
★詳しくは、次のユーチューブ動画で語りましたので、そちらをご覧ください。
   ⇒日本の不思議:災害を乗り越える優しさの力

かつて埼玉県の公立高校で社会科の教師をしていたとき、多くのALT(assistant language teacher)と友達になりました。そして彼らが母国に帰る前に、日本での滞在中に感じたことについてアンケートをお願いしていました。その回答の中から二つ取り上げてみます。

たとえば、「 日本と、その国民、文化について、長所は何だと思いますか」という質問への答えは、「日本人は、とても親切で互いに気遣いあっているように思います。文化が「尊敬」を中心にして展開しているのは素晴らしいことだと思います。」

あるいは、「あなたの国の社会や文化と、日本のそれとのいちばん大きな違いはなんですか」という質問に対しては、「いちんばん大きな違いは、アメリカ文化が個人に根差した行動を重視するのに対し、日本ではすべてがよりグループ中心です。アメリカ人は、自分の意見をずばりと表明する傾向がありますが、日本人はもっと互いを尊敬しているように見えるところです。」等々です。

日本についてのこうした感想の中に「尊敬」という言葉がよく使われるのが、私はとても印象に残りました。インターネットや本の中でも、日本の良さを語るのにこの「尊敬」という言葉を使っているのをよく見かけます。たとえば、

「日本人に根付いている礼儀正しさを高く評価します。このような尊敬の念のある平和な態度は、日本のどこに行っても私を心地良くさせてくれる優しさと落ち着きを表しています。」(カナダ人)
「日本のコミュニティー精神です。ここの人たちはとても正直で、コミュニティーと個人の尊厳に非常に誇りを持っていると思います。そのため、コミュニティーは強固で、大変なときには互いに助け合います。」(南アフリカ人)

日本の良いところを説明するのに「互いに尊敬し合うところ」という風に、「尊敬」や「尊厳」という言葉を使うところが、私は印象に残りました。別の言い方をすると、ちょっと違和感がありました。その理由を考えると、たぶん私は、「個人の尊厳」「個人の自由の尊重」というように個人主義や自由主義の方にこそ、「尊重」「尊敬」「尊厳」などの言葉がなじむように感じていたからす。ところが、海外の人から見ると、個よりも集団を優先する日本人の態度の中に、他者への尊敬の精神を感じているらしいのです。

もう一例挙げます。日本に在住するアメリカ人の政治学者R・エルドリッチ氏がユーチューブのインタビュー動画で話したいたことです。彼は、22歳のときに英語の教員として兵庫県の多可町という小さな町に住み始めたました。日本酒の「山田錦」の発祥の地だそうです。彼はこう言います、「私は、個人主義で自己主張する国から来て、相手を考え、自分を控えめにする国、そして連携し、協力してものを作る地方の町に来て、特に田舎だったのでアメリカとすごく対照的で、すごく新鮮でした。そこが好きになり、そして日本人を好きになって、1年滞在の予定が2年になって、そして35年になって……。」

彼が好きな日本人の良いところとは次のような点だといいます。「自分を優先せずに遠慮して、相手を色々な形で優先したり、考えて、配慮する国民、非常に優しい国民。世界的にはそのように評価されている。これがおもてなしの精神に繋がるし、世界各地に日本のファンがいることにつながっている。」

エルドリッチ氏はここで「尊敬」という言葉は使っていませんが、自己主張が強い個人主義よりも、相手を様々な形で配慮したり、優先したりしようとするところに日本人の良さや優しさを感じているようです。それを別の言葉で言えば、相手への尊敬、互いの尊重ということであり、つまり、世界の人々は、自由や自己主張を優先する個人主義よりも、つねに周囲の人々を配慮しながら行動する日本人の優しさの中にこそ、互いを尊敬する精神を感じ取っているということでしょう。海外の人々が感じる日本人の良さとは、尊敬、尊重する精神、つまり、日本人の配慮の精神であり、優しさだったのです。

では、日本人の優しさはいったいどこから来るのでしょうか。ある意味でそれは、日本が、大陸から適度に隔てられた島国であるという特殊な地理的条件から来るとも言えるでしょう。ヨーロッパ大陸やアジア大陸などの大陸においては、異民族間の戦争や、侵略、虐殺が繰り返されてきました。そういう歴史の中では、信頼を前提とした人間関係は育ちにくいのです。戦争と殺戮の繰り返しは、不信と憎悪を残し、それが歴史的に蓄積されていきます。

一方、海に囲まれた日本では、異民族による大規模な侵略や殺戮をほとんど経験せず、自分たちの言葉や文化が根こそぎ奪われてしまうような体験もしませんでした。国内に戦乱はあったにせよ、その規模は世界史レベルからすれば小さく、長年培ってきた文化や生活が断絶してしまうこともありませんでした。異民族による侵略や虐殺のない平和で安定した社会は、長期的な安定した人間関係が生活の基盤となります。互いの信頼に基づく安定した人間関係を大切に育てることが、日本人のもっとも基本的な価値観となったのです。

一方で日本では、自然災害による大きな被害は何度も繰り返されました。しかし、相手が自然であれば誰を恨むこともできず、諦めるほかなりません。そして、後に残されたか弱き人間同士は力を合わせ助け合って生きていくほかないないのです。互いを尊敬し合って協力していくほかありません。東北大震災の直後に見せた日本人の秩序ある行動が、驚きと賞賛をもって世界に報道されたのを思い出します。
★続きは以下で御覧ください。⇒日本の不思議:災害を乗り越える優しさの力

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日本語の響き:歌の魔力、海外250人が答えた

2024年02月20日 | 日本についてのアンケート
私は、自分のX(旧ツイッター)アカウントを利用して世界の人々に次のような質問をしました。「日本語を母国語としない皆さんにとって、日本語は美しい響きをもつと思いますか、それともきたなく聞こえますか。皆さんのお考えを聞かせてください。もし可能なら、あなたの国名も教えてください。」これに対し、一週間後の時点で 214 名の人が回答してくれました(プラス前回の50名)。

その内、日本語の響きは「美しい」と答えた人は191名、「何とも言えない」と答えた人は22名、「ひどい響き」と答えた人は1人でした。その答えの一部は、今回に先立ってにアップした動画、「日本語の響き・きたないorきれい?海外250人が直返答」でご紹介した通りです。興味あれば後で御覧ください。

今回の動画はこちらから見れます。⇒■「日本語の響き:歌の魔力・方言・女性語…海外250人が答えた」

今回は、日本語の歌の響き、方言・女性の言葉の美しさ、擬音語のユニークさなどについて触れた回答を紹介しています。とくに歌の響きの美しさに触れた回答が多かったので、これを中心に取り上げています。

最初に、インドネシアの歌手レイニッチの話をしたいと思います。彼女は、自分のユーチューブチャンネルで数々のJ-POPをカバーし、その抜群の歌唱力などにより世界的に人気になりました。現在チャンネル登録者が238万人もいます。彼女がJ-POPを歌い始めたのは、日本語の音の美しさに惹かれたからです。最初は彼女が子供の頃楽しんだ「ナルト」などのアニメ・ソングをカバーしていたのですが、やがてジャンルを広げ、とくに日本のシティ・ポップを歌うと爆発的にヒットします。世界にまったく知られていなかったシティ・ポップが、世界中で人気になったのは、彼女が果たした役割も大きいのです。

その世界的流行の理由はいろいろあるでしょうが、レイニッチがそうであったように日本語の音の美しさも大きな理由のひとつでしょう。また、ユーチューブでのコメントを見ていると、強いノスタルジーを感じるという人がかなり多いです。ユーチューブのコメントには、ちょっとしたジョークのパターンが何度となく繰り返されているのに気づきます。いくつか拾ってみます。

★80年代半ばに日本に住んでいた頃のありもしない記憶がよみがえっています。
My nonexistent memories from my time living in Japan in the mid 80’s are kicking again.

★ドイツ人の20歳で、ヨーロッパを離れたことがない私は、80年代の日本での、遠い楽しい日々について考えるのが大好きです。これらの曲ですべての思い出が蘇ります。
As a German 20-year-old who‘s never left Europe before I just love to think about the good ol‘ days in 80‘s Japan. All the memories just come back to life with these songs.

★私は20歳のロシア人女子ですが、放課後、友達と新宿御苑を歩いたのを覚えています。 そして夕方にはこの歌が流れました。決して経験したことのない温かい思い出を贈ってくれてありがとう。
As a 20-year-old Russian girl, I remember walking in Shinjuku Gyoen with my friends after classes. And in the evenings this music was played. Thank you for giving me warm memories of experiences that I never had.

これに類するジョークがシティ・ポップの動画の下には、いやというほど見られるのです。そしてこれらの人々のほとんどは、日本語を理解しないまま、音としての日本語の歌を楽しんでいるのです。

さて、Xでの日本語の響きについての私の質問に回答をしてくださった人々の中にも、日本の歌の響きが特に好きだという意見がかなり見られました。それらを紹介したいと思います。

★アメリカからです、日本語は最も美しい言語の一つだといつも思っています。それは日本の音楽から始まりました。人々が日本語で歌うのを聞くと、本当に魔法のように感じます。
I’m from the United States, and I have always thought that Japanese is one of the most beautiful languages. It started with Japanese music- hearing people sing in Japanese really feels magical! 

★私は話し言葉の日本語の響きが好きで(理解力はまだまだですが)、歌の中の日本語の響きも大好きです。 音楽のスタイルとしては、(少なくとも私にとっては)音色、ピッチ、母音と子音の完璧な組み合わせが気に入っています。 全部がぴったりとはまります (イギリス)。
I like the sound of spoken Japanese (though my comprehension is still lousy 😅) but I love the sound of Japanese in songs. For the styles of music, I like it has (for me, at least) a perfect mix of tone, pitch and vowel and consonant sounds. It just works. (UK) 

これ以外にも様々なコメントが寄せられました。それらについては、次の動画をご覧ください。

「日本語の響き:歌の魔力・方言・女性語…海外250人が答えた」




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ドイツ人巨匠が日本のサービスや清潔さに刺激されて傑作映画を! 役所広司主演『Perfect Days』

2024年01月28日 | 日本の長所
ドイツ人巨匠が日本のサービスや清潔さに刺激されて傑作映画を!
昨年12月22日に日本でも公開が始まった『Perfect Days』を見てきました。監督のヴィム・ヴェンダース (Wim Wenders)は、数々の受賞歴に輝くドイツ人巨匠です。1982年の『ことの次第』が、ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞。1984年の『パリ、テキサス』がカンヌ国際映画祭にてパルム・ドールを受賞。1987年、『ベルリン・天使の詩』ではカンヌ国際映画祭にて監督賞を受賞などです。そして『Perfect Days』は、2023年第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、役所広司が最優秀男優賞を受賞しました。

この監督が、東京を舞台に清掃作業員の平凡な日々を描いた『Perfect Days』を作ることになったのは、次のようないきさつによります。元々この映画は渋谷区内17箇所の公共トイレを新しいユニークなものに作り変えるプロジェクト「ザ・東京トイレット」のPRのために企画され、そこにドイツの映画界の巨匠ヴィム・ヴェンダース監督を迎えて作られたのです。当初は短いアート作品の製作を考えていたようですが、監督は、日本滞在時に受けたサービスや公共の場所の清潔さに感銘を受け、それを長編作品として再構想したというのです。

ヴェンダース監督が、日本で感銘を受けたサービスの質や公共の場の清潔さは、『Perfect Days』という映画の内容とどのようにつながるのでしょうか。まずこの映画の内容に触れたうえで、最後にこの問いに答えたいと思いすので、少しお付き合いください。

この映画のなかで役所広司が演じる平山という中年の男性は、スカイツリーが近くに見える押上の安アパートに一人で住んでいます。そして毎朝薄暗いうちに起き、ワゴン車を運転して仕事場へ向かいます。行き先は渋谷区内にある公衆トイレ。「The Tokyo Toilet」のプロジェクトで作られたユニークなトイレを次々と回り、隅々まで心を込めて磨き上げてゆくのです。

主人公の平山は、何かしらの過去があり、現在の孤独な生活に至りついたらしいことが暗示されますが、それが何であるかは語られません。彼はただひたすらに自分の仕事に打ち込みます。しかも、つねに何か満ち足りた表情をしています。それはまるで、禅の僧侶が、禅寺の中の雑務に修行として打ち込んでいる姿のようです。

それもそのはず、ヴェンダース監督は当初、平山に僧侶のイメージをだぶらせていたということです。しかし、過去に平山が僧侶だったというわけではなく、むしろ熱心なビジネスマンでありながら、心の中に虚しさを抱えているような男を想定しているようです。その虚しさが極限までに至ったとき、彼はこれまでの生き方をすべて捨て、トイレの清掃作業員として働くことを選ぶのです。

彼は、日々の生活の中で出会う木々を愛します。とくに昼休みに、樹木に囲まれた神社で見る木漏れ日の美しさを愛します。一瞬一瞬の木漏れ日の美しさは、彼がひたすらにトイレの清掃に励む姿と重なります。木漏れ日の一瞬一瞬の輝きの連続のような、トイレ掃除の日々。その姿が、禅寺でひたすらに座禅し、薪を割ったり、庭や廊下を掃除したりする僧侶の姿とも重なるのです。

ひたすらに座禅をする、それは只管打坐とも言われます。只管はひたすらとも読むのです。ひたすらに、只管に掃除をする平山の一瞬一瞬の充実。すべてを忘れて、自分の目の前の仕事にひたすらに、只管に打ち込む、それがそのまま悟りの姿なのだと仏教は教えます。それを意味するのが「修証一如」という言葉です。もっとも、平山自身はこんな言葉は知らないでしょう。ほとんどの日本人が、こうした言葉を歴史の背後に忘れ去っています。ただ、ビジネスマンとしての経歴を捨てて、一介の清掃作業員になったときに平山は、木漏れ日のように一瞬一瞬の輝きに生きることの充実を知ったのです。

そんな彼の、平凡ながら満ち足りた日々に、かすかな波風がたつこともあります。あまり仕事に熱心でない若い同僚の清掃員、そしてそのガールフレンドとのちょっとしたかかわり等々。

続きは動画でご確認ください。⇒ドイツ人巨匠が日本のサービスや清潔さに刺激されて傑作映画を!

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世界的ユーチューバーが日本に移住 その理由は日本人の英語力?

2024年01月25日 | 日本の長所
みなさんはピューディパイという世界的なユーチューバーを知っていますか。私の家族や友人は誰も彼を知りませんでした。日本ではほとんど知られていないと言えるでしょう。しかし世界的には彼は超有名人です。チャンネル登録者数が世界で最初に1億人を突破したYouTuberであり、King of YouTubeとも言われています。個人運営のYouTubeチャンネル世界一位を長らく保っていましたが、今は二位になりました。それでも1億1千万人以上の登録者がいます。彼はスウェーデン人ですが、英語で発信するゲームの実況プレイで登録者数を伸ばしていきました。英語圏ではあまりに有名な人物です。日本に移住する前はイギリスに住んでいました。

彼は2022年に妻や愛犬二匹とともに日本に移住し、東京の世田谷区に住み始めました。彼が日本に移住した理由は何でしょうか。日本に移住して一年が経ったころに彼はジャパンレビューというタイトルの動画を投稿し、日本の好きなところと嫌いなとことを挙げています。その中で彼が日本の好きなところの第一に挙げていることが、実は日本人の英語力のなさに深く関係しているのです。日本人が英語に弱いことと、ピューディパイの日本移住がどう関係するのでしょうか。

彼は、東京の人混みの中を歩いていても、誰も彼のことをじっと見ないし、追いかけてこないし、変なことをされることもないと言います。周囲の人々のことを気にしないで街中に出られるという感覚が大好きだと言っています。誰も彼のことを知らないのがいいというのです。これを日本の好きなところの第一に挙げているのです。確かに声をかけられることは少しはあるけれど、それは大抵日本に住んでいる外国人で、日本人に話しかけかれることはめったにないといいます。

これが日本人の英語力のなさとどう関係しているのか、もうお気づきの人も多いと思います。日本では彼はほとんど知られていない人物なのです。1億人以上の登録者がいて世界中で名前と顔を知られているけれど、日本ではほとんど無名なのです。その理由はもうお分かりでしょうが、日本では、英語で発信されるユーチューブ動画を見る人の数は、きわめて限られているからです。つまり日本人は、英語のユーチューブ動画を日常的に楽しむほど英語が得意な人はそれほど多くはないということです。もし彼のことを知っている日本人がいても、自信をもって気軽に英語で彼に話しかける日本人はきわめて少ないでしょう。日本人が彼に話しかけないのは、シャイであったり、他人のプライバシーをやたらに犯さない慎み深さや、礼儀正しさもあるかもしれません。ともあれ、それらすべての理由で彼は、人々の注目や干渉を全く気にせずに、日本のどこでも歩けるという分けです。

ピューディパイと同じような理由で、日本に住みたいと考える海外セレブ達が最近増えているということです。たとえばハリウッド女優のレイチェル・マクアダムスは、都内に別宅を購入し、引退したら日本に住むかもしれないといっているそうです。イギリス人女優のデイジー・リドリーも京都に家を購入したことを明かし、ハリウッド女優のミラ・ジョヴォヴィッチは、将来子供と移住することができればと考えているようです。

彼らが日本に住みたい理由は、日本や日本人、日本文化を愛しているという背景は共通しているでしょう。しかし他にも大切な要素があって、人々にやたらにサインを求められたり、話しかけられたりせず、パパラッチに追われる心配もなく、気軽に外出したり旅行したりできるという点があるようです。つまりピューディパイと同じような理由があるのです

彼女たちが日本に住みたい理由はもちろん他にもります。主なものは食べ物のおいしさや犯罪率の低さ、新鮮で楽しめる体験の多さなどでしょう。ピューディパイが日本に住むことにした理由も、すでに述べた一つだけではありません。そのいくつかについて、彼が挙げている日本の嫌な面と共に紹介しましょう。続きは以下の動画で御覧ください。


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日本文化の10の秘密

2023年10月18日 | 日本文化のユニークさ
久々の投稿となる。これまでいくつかの項目に分けて日本文化のユニークさを考えてきたが、今回あらたに二項目加えて10項目とした。あらたに加えたのは4番目と10番目である。今回は10項目を列挙するにとどめるが、これを機にすべての項目を、もう一度順次振り返ってみたい思う。

 現在、日本のアニメやマンガが世界中で楽しまれているが、それらのユニークなポップカルチャーを生み出す日本の社会や文化は、他の国々と違うどのような特徴をもっているのだろうか。日本は、最先端の文明と独自の伝統文化とが併存し、融合しながら独特の文化を生み出している。それらの独自性を主に歴史的・地理的な背景から10項目にまとめた。
(1)大陸から海で適度に隔てられた日本は,異民族により侵略,征服されたなどの体験をほとんどもたず,そのため縄文・弥生時代以来,一貫した言語や文化の継続があった。
(2)漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が,現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。
(3)大陸から適度な距離で隔てられた島国であり,外国に侵略された経験のない日本は,大陸の進んだ文明の負の面に直面せず,その良い面をひたすら尊崇し,吸収・消化することで,独自の文明を発達させることができた。
(4)外国の文化のうち、日本にとって意味があり、プラスになるものは進んで受け入れ、合わないものは受け入れを拒んだ。そして受け入れたものは、日本人に合うように独自な文化へと作り変えていった。
(5)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら,西欧文明の根底にあるキリスト教は,ほとんど流入しなかった。
(6)日本文化は一貫して,宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなく,また文化を統合する絶対的な理念への執着が薄かった。その「相対主義」的な性格は,他の項目と密接に関連して形成された。
(7)ユーラシア大陸の穀物・牧畜文化にたいして,日本は穀物・魚貝型とも言うべき文化を形成し,それが大陸とは違う生命観を生み出した。
(8)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し,縄文時代から現代に至るまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた。
(9)海に囲まれ,また森林の多い豊かな自然の恩恵を受けながら,一方で,地震・津波・台風などの自然災害は何度も繰り返され,それが日本人独特の自然観・人間観を作った。
(10)「武道」,「剣道」,「柔道」,「書道」,「茶道」,「華道」や「芸道」,さらには「商人道」,「野球道」などという言い方を含め,武術や芸事,そして人間のあらゆる営みが人間の在り方を高める修行の過程として意識され,それが日本文化のひとつの大きな特徴をなしてきた。 

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なぜ日本にキリスト教徒は少ないのか、海外からの厳しい反論

2022年02月19日 | キリスト教を拒否する日本
最近、このブログでの発信はほとんどしなくなっていたが、今はTwitterYouTubeチャンネルで世界に向けて発信するようになっている。YouTubeの方は、今まで実験的に、日本の寺社や観光地などを紹介する動画を作っていたが、徐々に日本文化ユニークさに切り込む動画も作成していくつもりである。

最近は、「日本はなぜキリスト教徒が少ない?――「もののけ姫」が語らなかったこと」”Why are there so few Christians in Japan? -What “Princess Mononoke” didn’t say.”という動画を作った。日本語の字幕も作ったのでぜひご覧ください。
 
なぜ日本にはキリスト教徒がこれほど少ないのか。その理由を縄文文化との関係や日本文化の母性原理との関係で簡潔にまとめました。縄文文化といっても外国の人びとには馴染みのないと思われるので、『もののけ姫』のストーリーに触れ、縄文文化への導入としました。

この動画での、私の主張の論点は、曖昧さの中にすべてを飲み込むような、縄文時代以来の日本文化の母性原理的な特性が、父性原理的で唯一神以外は受け入れない、排除的な宗教とは相いれないというものでした。

私の主張に対して二人の外国の人が反論してきました。私のFacebookアカウントで、この動画を紹介したので、そこでの反論です。その論点を簡単に紹介します。最初の反論は、以下のようなものです。

~~~なぜ日本にクリスチャンが少ないのかという質問に対する答えは、哲学的というよりも歴史的なものです。 キリスト教が(布教に)「失敗」したと言うことは、満州が単なる「事件」であったと言うようなものです。
1500年代半ばから始まって、過度に単純化するリスクを冒して、日本はキリスト教の世紀を迎え、信者の人口は増え続けました。 キリスト教が「失敗」した理由は、信者の不足によるものではなく、仏教の指導者たちがキリスト教徒全体を火とはりつけで全滅させ、キリスト教を禁止し、世界から孤立させたためです。
何百年もの孤立から発展した文化的な思い込みは非常に深いので、多くの人はそれらやそれらの思い込みの背後にある歴史に気づいていません。
~~~

一読してお分かりのように、明らかにキリスト教の側からの反論で、キリスト教は「善」、それを排除しようとした暴力的仏教は「悪」という前提の上に立っています。そして鎖国という孤立によって日本人は「文化的な思い込み cultural beliefs」に陥って、真実の歴史が見えなくなっているというのです。しかし、このような独善性こそ、日本人が嫌うもので、キリスト教が日本で受け入れられにくい理由がまさにそこにあるのだということに気付いていません。

これに対して私は、以下のように応答しました。

~~~14世紀末から15世紀初頭にかけてのキリスト教徒の割合は、当時の日本人人口の2%から4%と言われています。 キリスト教禁令と弾圧による犠牲者数は資料で確認できる人数は3,792人であり、実際の数は不明であるが、おそらくその数倍であっただろう。 多くの人が棄教したふりをして隠れキリシタンになりました。 秀吉だけでなく、その後の江戸幕府も260年間キリスト教を禁止しました。 それが、日本にクリスチャンが少ない理由のひとつとは思われます。 しかし、これだけでは、信教の自由が保証されている現代においても、日本人の1%しかキリスト教徒ではない理由を説明することはできません。~~~

つまり、秀吉の禁令や江戸時代の禁令は、日本にキリスト教が少ない理由の一つと言えるかもしれないが、それだけでは、現代日本においてもキリスト教が少ない理由は説明できない。そのもっと深い理由を、私は提示したのだということです。

この議論は、まだ少し続くのですが、長くなるので次回に回します。

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英国人記者が日本の四季を経験して変わった

2021年05月16日 | 自然の豊かさと脅威の中で
★「東京の四季 Four Seasons in Tokyo」を見て、外国の方々の反応 

インターネット上で様々なコメントを見ていても、多くの日本人が日本に四季のあることを誇りに思っているのは確かだろう。しかし、そんなコメントを見た外国人が、「四季は他の国々にもあるのに日本人がことさらそれを誇りに思うのはおかしい」とコメントし返すのを見かけることも何回かあった。

ところで、最近イギリス在住のある日本人女性が、自分のユーチューブチャンネルで、こんなことを語っているのを見かけた。日本に滞在しているイギリス人記者がイギリスの雑誌に書いた記事についてだ。彼は、確かにイギリスにも四季はあるが、日本に来てより季節を感じながら生きるようになったというのだ。春の桜、夏祭り、冬の鍋などを楽しみながら。さらに、日本に住んで、次に来る季節が楽しみになるようになり、自然の素晴らしさをより感じるようになったという。

確かに、日本人にとっては当たり前だが、外国人から見ると、日本では季節の行事や食べ物、人々の行動で、季節がより意識されるのかも知れない。日本人の生活や文化には、他の国に比べ、四季やその変化がより深く影響を与えているのかも知れない。

最近私は、「Four Seasons in Tokyo 東京の四季」という外国人向けのユーチューブ動画を作った(日英字幕付き)。これに対し、いつかのコメントを、チャンネルだけではなく、ツイッターやフェイスブックでもいただいた。特に私の動画に関連させ、ツイッターで上のイギリス人記者の感想を紹介し、意見を求めたら以下のような反応があった。

あるドイツ人女性は言う、「日本人は、季節の変化が生活や文化の一部になっていて、みんなが意識する。西欧では、その変化を個人として感じることはあっても、互いにあまり話さない。私が日本を愛する理由のひとつは、かれらの季節や自然へのこの態度です。それで彼は気候変動への意識が高いのかもしれません。」
最後の一文については、彼女の善意の誤解だとは思うが。

あるイギリス人男性は言う、「たぶん、それは降水量の違いにも関係するのではないでしょうか。英国は、日本に比べ降水量が少なく、それが季節の違いをそれほど強く意識させない原因の一つかもしれない。ドイツも似ています。また、夏は暖かく日当たりが良いですが、スペインほど晴れは多くないです。」
確かに、日本では梅雨があり、台風シーズンがあり、冬は日本海側では雪が多く、関東は晴れる日が多い。雨が季節に変化を与えているのは確かだろう。‎

また、ある男性(国籍不明)は言う、「日本では、それぞれの季節の特徴の差が大きいのではないでしょうか。そして台風や地震、津波などの自然災害も、日本人が季節や自然を強く意識する一因だと思う。」
この指摘はとくに重要だろう。日本は、森や海に恵まれて自然は豊かだが、台風や地震などの自然災害も多い。これが日本人独特の自然観や人生観を作り上げているのも確かだ。自然のこの二面性と四季の変化が、日本の文化に深いところで影響を与えているのだ。この点については、以前に書いたこの記事を参照してください。「大災害と日本人;自然の豊かさと脅威の中で(2)

上の記事で紹介したイギリス在住日本女性の動画はこちら「外国の人が感激「日本に住んで私はこんなに変わった!

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母性社会日本の意味(2)

2020年10月17日 | 母性社会日本
いま、「日本文化の母性原理とその意味」という論文を書いており、ほぼ完成した。ある紀要に発表する予定だが、ここではその結論部分だけ、二回に分けて掲載しようと思う。今回は、その後半である。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

西洋近代における自然科学の急速な発展は、「近代的自我」の目覚めと無縁ではない。自我を自然対象と切り離し、客観的な観察対象とする姿勢は、観察の意志を持った自律的な主体の成立と分かちがたく結びついている。そして観察者の状況に左右されない「普遍性」をもった科学的な知は、その応用である科学技術と相俟って、全世界を席巻する強大な力となり、その結果、非西欧世界の大部分が植民地化されていったのである。

西洋のような父性原理の一神教を中心とした文化は、母性原理の多神教文化に比して排除性が強い。対立する極のどちらかを中心として堅い統合を目指し、他の極に属するものを排除しようとする。排除の上に成り立つ統合は、平板で脆いものになりやすい。キリスト教を中心にしたヨーロッパ文化の危機の根源はここにあるかも知れない。そして父性原理を背景とする西欧の「近代的自我」も同様の危機をはらんでいると言えよう。それは、ひたすら科学の進歩や経済の発展を目指して突き進む男性像が中心的なイメージとなっている。そのような自我のイメージと相容れない要素が、抑圧され排除される傾向が強いのだ。具体的には、女性的なもの、異質な文化、無意識、そして病や死だ。

これに対し日本人の精神性の根底には母性的なものが横たわり、物事を区分したり一つの極を中心して堅く統合しようとする傾向は弱い。むしろ両極端をも包み込んでいくような融合性、曖昧性を特性とする。父性原理の伝統に根差した近代西欧は、自我を対象から切り離し、客観的に分析する方法を徹底的に洗練させていった。それに対し母性原理の伝統に育まれた日本文化は、融合性や曖昧性、自然との一体性や、仏教で説かれるような宇宙との融合というあり方を洗練させたのである。

このような日本文化や日本人のこころの在り方は、その独特の美学とも結びついている。それが「曖昧の美学」だ。「曖昧」は成熟した母性的な感性であり、母性原理と結びついている。単純に物事の善悪、可否の決着をつけない。一神教的な父性原理は、善悪をはっきりと区別するが、母性原理はすべてを曖昧なまま受け入れる。能にせよ、水墨画にせよ、日本の伝統は、曖昧の美を芸術の域に高めることに成功した。それは映画やアニメにも引き継がれ、一神教的な文化とは違う美意識や世界観を世界に発信している。また日本が、かつては中国文明、さらには欧米の文明をほとんど抵抗なく吸収できたものこの融合性によるのかもしれない。

重要なことは、「日本的自我」の在り方を「近代的自我」と比較し、劣ったものとして批判することではない。むしろ、日本人の自我の在り方の特性を歪めずに、優劣の判断から自由に、事実として正確に把握することである。我々は、すでに西欧で生まれてた科学技術や社会制度を大幅に受け入れ、これからも受け入れ発展させ続けるだろう。それは父性原理も基づく制度を受け入れ、それを枠組みとする社会に生きているということなのだが、自分たちの特性を充分に理解しないまま受け入れたため、あちこちで混乱を生じているのも事実だ。その混乱を少なくするためにも、自らの在り方への十全な自覚がますます大切になる。その自覚によってこそ混乱への正しい対処法が生まれてくるのだ。

また、現代の国際関係は、父性原理の力学で動いているもの厳然たる事実だろう。そこに自らの母性原理を充分に自覚しないまま関わることで無用な混乱や不利益が生じている場合がある。国際関係で不利益を被らないためにも、彼我の違いを明確に認識しておくことが必要だ。先進7ヶ国首脳会議(G7)において、非キリスト教圏からの参加、つまり母性原理の国からの参加は日本だけである。その意味を自覚して行動すべきだろう。さらに言えば、自らの母性原理の在り方を充分に自覚し、それをこれからの世界にどう生かせるか、その積極的な意味を認識することが、今後の日本にとってきわめて重要な課題なのではなかろうか。

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《関連図書》
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母性社会日本の意味(1)

2020年10月16日 | 母性社会日本
いま、「日本文化の母性原理とその意味」という論文を書いており、ほぼ完成した。ある紀要に発表する予定だが、ここではその結論部分だけ、二回に分けて掲載しようと思う。

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戦後における日本人論、日本文化論は、R.ベネディクトの『菊と刀』で、日本の文化を「恥の文化」とし、西欧の「罪の文化と比較したのに始まると言ってよよいが、それは同時に二類型による比較文化論の代表例でもあった。この本は今日まで読みつがれ、またこの本に影響を受けたり、それを批判的に乗り越えようとするなどして、その後様々な日本人論が生まれた。母性原理の日本を論じる本稿とこの本の主題は、直接関係しないのでその内容にまでは立ち入らない。しかし、ベネディクトが、日本を「恥の文化」と捉え、西欧の「罪の文化」は内面的な行動規範を重んじるのに対し、恥の文化は外面的な行動規範を重んじるとしたとき、そこに価値判断が忍び込んでいたのは確かなようだ。恥という外面的な行動規範より、罪という内面的な行動規範のほうが優れているという密かな価値判断が見え隠れするのである。さらに言えば、「罪の文化」には、内面的で自律的な行動規範を重視する「近代的自我」に対応し、「恥の文化」は、外面的で他律的な行動規範に影響される「非近代的自我」が対応する。そしてベネディクト以来の、欧米人による多くの日本人論がまた、このような欧米的な価値観を基準にした分析だったのも確かである。

欧米の研究者だけではなく日本人の研究者が日本の社会や文化、そして日本人のこころの在り方を論じるときにも、西欧的な価値基準を絶対視し、それによって日本の在り方を論評するという姿勢から自由になっていない場合がいまだに多い。特に「近代的自我」は、近代民主社会の基盤としてほとんど絶対視される傾向があった。近代的自我を唯一の正しい在り方として捉えるかぎり、日本人の自我の在り方が批判的にしか見れないのは当然であろう。そこから「日本人には自我がない」とか、自己主張が弱く集団に埋没するだとかいう批判が生まれる。

しかし、日本人の自我が西欧人の自我に対して発達が遅れた劣ったものする見方は危険である。すでに見たように日本人は、外(他人)に対して自分を社会的に位置付ける場合、資格よりも場を優先する。資格によるヨコのつながりよりも、会社や大学などの枠(場)の中でのつながり(タテの序列的な構成になっている)の方がはるかに重要な意味をもっている。日本人のアイデンティティは、その個人が所属する「場」によって支えられる傾向がある。そして日本人の自我は、つねに「場」に開かれており、「場」との相互関係のなかで変化する。自他の区別は弱く、自我は曖昧な全体的関連のなかにあり、また自らの無意識との切り離しも強くない。そしてこの事実は、すでに確認してきたように、日本が縄文時代に深い根をもつ母性原理の強い社会を歴史的に形成してたことと深く関係し、この母性原理の社会こそが、日本人の自我形成の基盤となっている。

一方、西洋で生まれた「近代的自我」は、父性原理の一神教、とくにキリスト教の伝統を背景にして生まれたと言えよう。「包含」よりも「切断」を特徴とし、物事を明確に区分する父性原理の思考法は、個の独立という考え方と結びつきやすい。しかし、もちろん最初から個人主義や近代的自我が確立されていたのではなく、キリスト教の伝統が根強かった中世には、個人の意思や欲望が尊重されていたわけではない。父性原理の宗教の基盤の上に、絶対的な神との長い関係と戦いの中で、徐々に人間の自由意志や主体性を確立するに至った。父性原理的な宗教の伝統の中にあり、それに支えられていたからこそ、「個人」の重要性を認識するようになったのだろう。

ここで、本稿の冒頭近くで触れたことをもう一度確認したい。「母性原理」と「父性原理」にしても、あるいは「母性宗教」と「父性宗教」にしても、それは価値的な優劣を意味するものではない。現実の宗教そして文化は、両要素がさまざまに交じり合い融合しており、ともに重要な働きをなしている。どちらが強く働いているかの違いがあるだけである。だとすれば、父性原理をその背後にもつ「近代的自我」を基準として、母性原理に根差す「日本的自我」を一方的に批判するのは、あまり生産的とは言えないでろう。

★最近、筆者がアップロードしたYouTube動画もご覧ください。

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YouTubeで英語による日本文化の発信、チャレンジは始まった!

2020年10月10日 | 全般
SNSを使って英語でどれだけ日本文化を発信できるかというのが、最近の私の活動の中心で、このブログの更新が途切れているのも、私の関心がそちらに変化しているのが主な理由だ。これまでは、TwitterやFacebookが主な活動場所であった。とくにTwitterは、フォローも1万人を超え、私のtweetも毎回1万人前後の人が見てくれるようになった。

→ Tokyonobo 

ここでいろいろ交流できたことは、日本文化論をまとめるにあたっても、何かしら役に立つのではないかと思っている。

ここ数か月は、Youtubeにもチャレンジし始めた。Youtubeでは、音声も英語なのでよりハードルが高くなる。私の英語での動画をどれだけ外国の人々に見てもらえるか、大変だが挑戦のし甲斐はある。チャンネル登録者がようやく100人を超えた程度だが、継続していれば必ず爆発的に増加するときがやってくると信じている。

→ Kiyosumi Garden・清澄庭園

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コンテンツは、ツイッターへの投稿などでこれまでに蓄積した写真と、これから撮る動画の組み合わせてで、とりあえず東京の日本庭園や大公園を紹介していくことだ。前回は清澄庭園でアップロード、次回は上野公園ということで準備している。この方式だと、これまでに撮りためた写真を再利用して比較的気軽に一つの動画を作れるという利点がある。神社と寺の違いを説明しながら、日本の宗教の特質に迫るという企画も考えている。ここでも、これまでに撮りためた写真が大いに利用できる。東京やその周辺の紹介が終わったら、東京以外の名所にも対象を広げていくことができるだろう。

これまでの活動で、世界中に日本や日本文化のファンが信じられないほと多く存在することはわかっているので、日本文化の紹介という企画は、やり方次第では、かならず伸びるコンテンツだと思う。問題は、英語力をどれだけ高められるかだ。

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Youtubeで英語で日本文化を世界にどれだけ発信できるか

2020年10月03日 | 全般
このブログを、ほとんど更新しなくなって久しいが、最近、ここに書き溜めたものをまとめる形で、短大の紀要に発表するための論文を書いている。実は昨年、「日本文化の相対主義的性格とその現代的意味」という論文を同じ紀要に発表したが、それはこのブログの9項目の視点のうちのひとつ、「(1)日本文化は一貫して、宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなく、また文化を統合する絶対的な理念への執着がうすかった。 その相対主義的な性格は、以下の項目と密接に関連して形成された」に対応するものだった。これは残りの項目を概観する意図も込めてまとめられた。

現在は、「(3)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し,縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた」に関連す論文を書いている。タイトルは「日本文化の母性的性格とその意味」。やはり、このブルグに書き溜めたものを整理して書いている。小まめにこのブログを更新していたころの蓄積が大いに役に立っているわけだ。

そんなわけで、日本文化論全体への関心も、再び高まり始めており、全体の構想を一冊の本にまとめるためにも、このブログの更新を再び活性化する意欲が湧いてきている。

ただ、この数年は、日本文化についての英語による世界への発信に私の関心が向いており、もっぱらそちらにエネルギーを注いていた。活動場所は、ツイッターが中心であった。

→ Tokyonobo 

ここでいろいろ交流できたことは、日本文化論をまとめるにあたっても、何かしら役に立つのではないかと思っている。

さらに最近は、英語によるYoutubeでの発信も始めた。初心者で不慣れだから動画作りに時間がかかり、まだチャンネル登録者もほとんどいない状態だが、徐々に工夫して発信力をたかめていくつもりだ。

今日は、久しぶりに東京、江東区にある清澄庭園という日本庭園を約6分の動画にしてYoutubeにアップした。今後、日本の庭園や寺社を英語で解説した動画をいくつかアップしていく予定だ。英語での発信がどれだけ通用するか、チャレンジし続けたいと思う。

→ Kiyosumi Garden・清澄庭園

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「森林の思考」と「砂漠の思考」

2020年09月30日 | 母性社会日本
鈴木秀夫氏の『森林の思考・砂漠の思考 (NHKブックス 312)』については、まだここで論じたことはなかったと思う。最近、母性社会としての日本を論じる論文を書いていて、この本にも触れたので、論文のその部分をここに紹介したい。

地理学者の鈴木秀夫氏は、「森林の思考」と「砂漠の思考」という二類型によって人間の思考の違いを分析する。まずは、人間が周囲の環境を見るさいの「視点」の違いが指摘される。森林では地上に視点を置き、その視点から発想する傾向が強く、砂漠では広域を上から鳥瞰するような視点から発想が強い。森林的思考とは、視点が地上の一角にあり、下から上を見る姿勢であり、砂漠的思考とは上から下を見る鳥の眼を持つことであるという。

森林では、周囲を木々に囲まれる狭い視野から周囲を見渡し、樹林にさえぎられた空を見上げることになる。森林は湿潤地帯であり、食物は比較的豊富で種類も多い。そこでは食物や水をめぐって生死を分けるような重要な決断に迫られることは多くない。全ての物はお互いに相まって存在する。草木が繁茂し、多くの動物が住む森林地帯では多神教が生まれやすい。そして、実が朽ちて土に帰り、また芽生えてくる循環的な輪廻転生の概念も加わる。

これに対し、砂漠で生き残るのに最も重要なことは水を見つけ、食べ物を見つけることだ。そのため、長い距離を移動しなければならず、広範囲を視野に入れて行動する必要がある。遠くの泉に今、水があるかないか、生死を分ける決断をして行動しなければなない。それゆれ砂漠民は、鳥のように上から自分と全体を認識する必要に迫られる。そして、砂漠的思考の「上からの視点」が、天、すなわち一神教の神を生み出したというのである。広大な砂漠の中で人間は、風に飛ばされる砂粒と変わらない。そんな人間と万物を創造し、支配するのが絶対的な神であるという一神教が成立する。時間も空間も含めてすべてが、この絶対神によって創造されたのである。一神教の神のイメージは、砂漠の風土と砂漠民の生活に密接に関係しつつ成立した。
森林の思考とは、極端に言えば「世界は永遠に循環し、続く」という思考であり、砂漠の思考とは、逆に「世界は始まりと終わりがある」というものだ。

こうした思考の違いはやがて、キリスト教的な世界観と、仏教的な世界観のとの違いへと発展していく。しかしそれは、どちらが優れているとか、どちらが正しいとかの問題ではなく、森林あるいは砂漠という、それぞれその風土に生きるために必要な思考から生じた違いである。

こうして、多神教や、さらには仏教を生んだのが森林であり、ユダヤ教やキリスト教そしてイスラム教を生んだのが砂漠であった。歴史的に言えば、人類は狩猟・採集の時代には、圧倒的に森林的な思考が優位であった。森林に囲まれた環境では多神教的な宗教が生まれ、砂漠の環境では一神教的な宗教が生まれる傾向が強い。人類が農耕・牧畜を始めるころから、一神教的な文化の影響が徐々に森林的な思考の世界にも広まっていった。

ただし森林と砂漠とは言っても、必ずしも現在の気候風土とそのまま合致してはいない。いまから数千年前に地球が砂漠化していた頃につくられた思考方法を人類は綿々と受け継ぎ、こうした思考方法が現代の人間に対しても明らかに大きく影響している。森林的思考を代表する地域は日本である。対して砂漠的思考を代表するのは、欧米諸国である。以上の考察から、森林的思考が母性原理の文化に対応し、砂漠的思考が父性原理の文化に対応することは、容易に推察できるであろう。

鈴木秀夫氏が考察した「森林の思考」と「砂漠の思考」の違いは、かつて人類が経験した気候変動と世界史の展開のなかでも、大枠としては確認できるだろう。狩猟・採集の時代には「森林の思考」が優位であり、それゆえ宗教も自然崇拝的で母性的な性格のものであった。やがて人類が農耕を開始しても、豊饒な大地を基盤にする母性的な宗教が支配的であった。

農耕の開始は,大地を母とし,農耕を生殖活動と同じとみなす母性的宗教の世界観と結びつく。世界に広く出土する土偶も,豊饒な母なる大地をあらわす地母神である。それは多産,肥沃,豊穣をもたらす生命の根源でもある。地母神への信仰は,アニミズム的,多神教的世界観と一体をなす。

しかし、古代地中海世界では紀元前1500~1000年頃に大きな世界観の変化があったという。それまでの大地に根ざす女神から、天候をつかさどる男神へと信仰の中心が移動したというのだ。これには紀元前1200年頃の気候変動が関係しており、北緯35度以南のイスラエルやその周辺は乾燥化した。その結果、35度以北のアナトリア(トルコ半島)やギリシアでは多神教や蛇信仰が残ったが、イスラエルなどでは大地の豊饒性に陰りが現れ、多神教に変わって一神教が誕生する契機となったという。

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「道」の文化という大切なもの

2020年04月22日 | 相対主義の国・日本
本ブログでは、日本文化の特徴の以下のようないくつかの項目の視点から総合的に把握することを志している。 ただ、これ以降は、これまで示してきたものと順番を少しかえる。いままで7番目にあった「絶対的理念への執着がうすかった」という項目を一番目に移動した。 この項目が、日本文化の特徴をもっとも全体的に表現していると思うからである。 また、新たに9番目の項目を加えた。

(1)日本文化は一貫して、宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなく、また文化を統合する絶対的な理念への執着がうすかった。 その相対主義的な性格は、以下の項目と密接に関連して形成された。

(2)漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が,現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。

(3)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し,縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた。

(4)ユーラシア大陸の穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とも言うべき文化を形成し、それが大陸とは違う生命観を生み出した。

(5)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略,征服されたなどの体験をほとんどもたず、そのため縄文・弥生時代以来,一貫した言語や文化の継続があった。

(6)大陸から適度な距離で隔てられた島国であり、外国に侵略された経験のない日本は,大陸の進んだ文明の負の面に直面せず、その良い面をひたすら尊崇し、吸収・消化することで,独自の文明を発達させることができた。

(7)海に囲まれ,また森林の多い豊かな自然の恩恵を受けながら、一方で,地震・津波・台風などの自然災害は何度も繰り返され、それが日本人独特の自然観・人間観を作った。

(8)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は,ほとんど流入しなかった。

(9)「武道」、「剣道」、「柔道」、「書道」、「茶道」、「華道」や「芸道」、さらには「商人道」、「野球道」などという言い方を含め、武術や芸事、そして人間のあらゆる営みが人間の在り方を高める修行の過程として意識され、それが日本文化のひとつの大きな特徴をなしてきた。

実は、トップに移動した日本文化の相対主義的性格については、残りの7項目が要因となって、いかにその性格が形成されてきたをまとめ、この4月にある論文集の中で公にした。それが、これまでこのブログで書いてきたことのかんたんな整理になっている。この論文の内容も、すべてではないが一部を要約してこのブログに順次掲載するつもりである。

新しく追加した9番目の内容については、これまでこのブログではほとんど触れていない。今後、少しづつ触れていきたいと思う。もしかしたら私たちは、「道」の文化という日本文化の大切な遺産を、ほとんど忘れかけているのかもしれない。言葉としては残っていても、その内実を現代人はほとんど受けついていないのではないか。その負の面をも含め、もう一度私たちはこの大切な伝統を思い起こし、その良い面を積極的に現代日本に生かしていくことが、今後の日本の社会にとってきわめて重要なことだと思う。

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「辺境」日本の世界史的な意味(6)現代のジャポニズム

2020年04月21日 | 相対主義の国・日本
そして現代の日本は、長い受容の歴史の結果、その豊かな蓄積の内側から次々と独自の文化を生み出すようになった。浮世絵に代表される江戸時代の豊かな庶民文化も、幕末から明治初期にかけてフランスなどヨーロッパに知られ、その流行はジャポニズムと呼ばれた。

それぞれの文化の背景にある宗教やイデオロギーに縛られずに、さまざまな要素を融合させてしまう柔軟さは、現代のポップカルチャーにもいかんなく発揮されている。それが、インターネットなどの情報革命によって江戸時代とは比較にならないほど広範に世界に影響を与え始めた。

現代のジャポニズム(マンガ・アニメに代表されるポップカルチャーなどの世界的な人気)は、中国文明だけではなく西欧文明やアメリカ文明の受容と蓄積が加わり、それが縄文時代以来の日本の伝統の中で練り直され、磨かれることによって豊かに開花したものといえよう。例を挙げればきりがないが、たとえば宮崎駿のアニメ作品のなかにどれだけ神道的な要素や古代中国的な要素や西欧的な要素が融合しているかを見ればよい。

今、世界は「普遍宗教」同士の深刻な対立を背景にした紛争やテロが後を絶たない。環境問題や経済の混乱の深刻化などにより、西欧近代の文明原理がかなり問題をはらむのではないかと疑われ始めもした。では日本は、それに替わる新たな「世界標準」を生み出すことが可能なのだろうか。これに対する私の答えは、上に述べたような「世界標準」という意味でなら「否」というものである。しかし、「世界標準」という言葉にこだわらずもっと柔軟な見方をすれば、必ずしも否と言えない。

逆説的なことだが、ひとつの「世界標準」にこだわらず、つまり絶対視せず、相対主義的な姿勢で自由に学び吸収しつづけたからこそ、そこから生まれた独自の文化が、今後の世界にとって新たなモデルになる可能性を秘めるようになったのではないか。

近年の日本人は、「世界標準」同士が張り合ったり、宗教同士が争い合ったりすることが、どれだけ悲惨な結果を生んできたか、そして今も生みつつあるかを、かなりよく知るようになった。そして自分たちのようにあまり原理原則にこだわらず、それぞれのいいところを自由に受け入れて、自分たちに合わせて作り替えていく行き方が、逆に豊かな結果をもたらすことをようやく知るようになった。そして、そういう日本のあり方や日本が発信する文化を、世界がクールと感じ始めたのではないか。

《引用・参考文献》
(1)「原型・古層・執拗低音―日本思想史方法論についての私の歩み」(『日本文化のかくれた形』加藤周一・木下順二・丸山真男・武田清子編、岩波書店、1991年所収)
(2)『日本辺境論』内田樹著、新潮新書、2009年
(3)『日本とは何か』堺屋太一著、講談社、1991年
(4)「日本文化の選択原理」小松左京著(『英語で話す「日本文化」』講談社インターナショナル、1997所収)
(5)『ユニークな日本人』グレゴリー・クラーク、竹村健一著、講談社現代新書、1979年
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