ブログ人 話の広場

日頃の生活のなかで見つけたことなどを写真もそえて

103歳のエネルギー

2008-05-18 09:12:28 | 日記・エッセイ・コラム

 今年の1月103歳の天寿を全うした日本画家片岡球子を偲んで近代美術館では「追想 片岡球子の世界」と題して展覧会が開かれています。最後まで絵にかけるエネルギーは失われることはなかったといわれています。「めでたき富士」という版画の作品は、まさにご自分の人生を重ねるように真っ赤な富士、輝く太陽、そして裾野に松竹梅をあしらった作品です。

 ぼくたちの頭で描いていいる日本画はどこか清楚で静を思わせるようなおだやか作品を想像しがちですが、球子の作品は豪快で色彩も燃えるような原色を効果的に用い、構想もときには奇想天外とさえ思わせるようなものが多く、鑑賞者にこれも日本画なの、と驚きを感じさせます。ゲテモノと揶揄され、なかなか画家仲間と同列に見てもらえない不遇な時代もありましたが、ゲテモノと本物は紙一重だと師から励まされて勇気付けられてきました。

 球子の人生は波乱に飛んでいたかもしれませんが、解説をしながら作品から伝わってくる球子の息づかいは見る人の脳裏に張り付いて忘れることの出来ない強烈な印象を与えるに違いないでしょう。一度ご覧ください。今展示中です。

やさしいタイガー


リラの花咲く札幌

2008-05-13 08:40:12 | 日記・エッセイ・コラム

 札幌の中心に東西に大きな大通公園があります。幅凡そ100m、明治の初め防火線として作られたのですが、まるで牛や馬などの放牧場や乗馬の練習場のようになって、砂塵や糞を撒き散らし、とても周辺に人が住めるような環境ではなかったそうです。それを明治の終わりから大正にかけて、花卉園を営む民間の篤志家が花壇を3年ほどかけて完成させたという歴史があります。それを作った一人にぼくの友人の父上だということがわかりました。いまではとても美しい季節の花が多くの人々の心を和ませています。

 札幌の季節はこれからが一番素敵で快適な時期です。緑の木々は滴るようなみずみずしさです。その中にリラの花が丁度薄紫の色と香りで咲き始めるところです。ライラックといっていますが、これは宣教師の外国人が持ち込んで植えたのが最初といわれています。いまでは札幌の名物のひとつです。吉井 勇は「家ごとに リラの花咲き札幌の 人は楽しく生きてあるらし」という句をこの公園の一角に残しています。

 リラの花咲くころは急に冷え込んできます。これを「リラ冷え」というそうですが、たしかにこの数日寒い日が続いています。短い夏を楽しめるのはこれからです。人々は季節のはっきりした雄大な自然の景観の移ろいに楽しくしなったり、寂しくしなったりしています。

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母の日に寄せて

2008-05-12 09:54:45 | 日記・エッセイ・コラム

 海外に住む上の娘と東京に住む下の娘から、母の日にちなんでカードとメッセージを贈ってきてくれました。「今年はカードでごめんなさい。そのうちにマカロンを送ります。日ごろありがとう」といったことを書いてありました。何にせよ、折りあるごとに交信してくるわが子にぼくたち親も嬉しいのです。

 ぼくは母の生前、こんな気の利いたことをしたかどうか、とても己に恥ずかしく思っています。母の日に天に送られ葬儀をされた方のお手伝いをしてきましたが、ご家族の悲しみはもちろん、いっそう母への感謝を深くされたことだろうと想像しながら読経を聞いておりました。

 昨今の世の中、親子の絆が切れ、親は子に、子は親に互いに気遣いしながら、次第に信頼を失って行く人が多くなって行く中で、母の存在は本当に大きいものなのです。子どもたちは離れて生活をしていても自分の責任を果たす心構えを親の手元に居なくても身につけていくものなのでしょう。側にいなくてもこころの中には母という存在は生きていてもこの世にいなくてもしっかり根付いているものだといまさらのように改めて感じます。

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石狩浜の彫刻を観に

2008-05-04 19:17:46 | 日記・エッセイ・コラム

 石狩浜は海からの強い風のせいだろうか、全く大きな木を見ることは出来ません。海岸いったいはこんもりした小山があり、その向こうが広々と広がる日本海一面です。連休の日曜日どうしても本郷 信の「無辜の民」の彫刻観たいと思っていたので、スケッチ道具を小さなリュックに詰めて出掛けました。

 作品は海岸から少し奥まった見つけにくいところにあり、ごわごわした下草の荒れた地面におかれていましたが、しっかりとした土台の上に重厚な女性の彫像が悶えるように横たわっていました。この作品は北海道の開拓者への鎮魂のモニュメントです。本郷 新は自ら制作にあたり「この地に生き この地に埋もれし 数知れぬ無辜の民の霊に捧ぐ 1979年」と記しています。

 しばらく立ったまま彫刻に見入っていました。立っているのも困難なほどの強風にとてもスケッチできる状態ではありませんでしたが、意味の深さを考えながら3枚ほど描きあげました。近くに番屋だろうか、朽ち果てた建物や漁船らしいものが放置されたままおかれ、北国の寂しさを感じさせました。わずかな時間だったが、穏やかな陽の光の下で清々しいひと時を過ごせたことにとても感謝しながら帰路につきました。

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