書類を整理していたら、間から葉書が二枚出てきた。
宮崎修二朗翁から託されたものだ。
その内の一枚。これは、
朝倉斯道氏からのもの。

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昭和31年の消印でしょうか。
ということは、朝倉氏はすでに社長から会長(昭和24年)になっておられたということ。朝倉氏が神戸新聞社内では宮崎翁の後ろ盾だったと聞いている。
文面。
≪故里の実兄の病気見舞と自らの病後の〇〇を兼ねて北陸へ来ました(妻の附添いで)好天に恵まれましたので身体の調子に合せて永平寺や山中温泉や金沢まで足を伸しました。私には珍しいことです。御自愛ください。≫元社長から部下への葉書にしては丁寧な文章だ。
若き宮崎翁、斯道さんからも尊敬されておられたのですね。
もう一枚は詩人、
伊藤信吉さんからのもの。

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伊藤さんからはわたしも『コーヒーカップの耳』をお送りした時にお葉書をいただいているが、これは古いですねえ。
85と消印がありますので1985年なのでしょう。31年前です。
≪謹啓。今日、富田砕花についての思い出のコピー、拝受いたしました。舊居の方へお送りになり、更めて現住所へお送り下さったとの事、恐縮いたしました。富田さんについては資料乏しく、貴文がそれを埋める最初となるべく。≫
宮崎翁の富田砕花師に関するお仕事を評価しておられる。