古い本を図書館からお借りしてきました。

亀井勝一郎選集1『私の宗教観』です。
この中におさめられている「親鸞」に用事があるのです。
「親鸞」に関しては昔々の若き日に「歎異抄」を読んで感心したことがあり、最近では五木寛之の小説を読んで感動したことがありました。
今回の亀井さんのものは小説ではないようです。
これに関心を持ったのは、最近取材させて頂いたあるお寺のご住職との会話でした。
今は85歳になられるその老僧が若き日に読んで大変感動したとのこと。
そして、友達の若い僧侶にも勧めたと。
すると、その友達が、葬式に行くのに、バス停でバスを待つ間に読んでいて熱中のあまり、来たバスに気づかず、葬式に遅れてしまったのだと。申しわけないことをしたと思いました、との話。
それほどのものならわたしも読んでみようと早速図書館に予約したのでした。
「あとがき」読んでみると、この選集は昭和40年の発行。そして「親鸞」が書かれたのは昭和18年。わたしの生れた年だ。
開いてみると、旧かなづかい。昭和18年当時のままの文章なのですね。
しかしそれほど難しくはなさそうなので、読むのが楽しみ。

亀井勝一郎選集1『私の宗教観』です。
この中におさめられている「親鸞」に用事があるのです。
「親鸞」に関しては昔々の若き日に「歎異抄」を読んで感心したことがあり、最近では五木寛之の小説を読んで感動したことがありました。
今回の亀井さんのものは小説ではないようです。
これに関心を持ったのは、最近取材させて頂いたあるお寺のご住職との会話でした。
今は85歳になられるその老僧が若き日に読んで大変感動したとのこと。
そして、友達の若い僧侶にも勧めたと。
すると、その友達が、葬式に行くのに、バス停でバスを待つ間に読んでいて熱中のあまり、来たバスに気づかず、葬式に遅れてしまったのだと。申しわけないことをしたと思いました、との話。
それほどのものならわたしも読んでみようと早速図書館に予約したのでした。
「あとがき」読んでみると、この選集は昭和40年の発行。そして「親鸞」が書かれたのは昭和18年。わたしの生れた年だ。
開いてみると、旧かなづかい。昭和18年当時のままの文章なのですね。
しかしそれほど難しくはなさそうなので、読むのが楽しみ。