今夜、大阪駅前第二ビルで行われた「大阪自由大学講座」に行ってきました。
講師は木津川計さんです。
楽しかった。面白かった。流石、木津川さんは語りの名人です。
講座のタイトルは「帝塚山派への評価」。
戦後から今日までの大阪文化への根拠のない(あるにはあるが)悪評価を一新すべく、含羞の文学者が集った帝塚山派を措定してはどうかとの話。ヒューマンやピューリタンな作風で大阪を温かく清潔に描き、人生と誠実に向き合った作家たち。阪田寛夫、藤沢桓夫、庄野英二、庄野潤三、杉山平一、長沖一などの文学を改めて評価すべきと。その作家たちがみな含羞の人だったから、声高く自己宣伝する人たちでなかったから、これまで大きく評価されることがなかったが、これからは大阪文化復権のためにも評価して行かなければならないというような話。
全く同感でした。
実際の木津川さんの講演は、ユーモアたっぷりで笑わせながらのすこぶる楽しいものでした。
ICレコーダーを持って行っていたのですが、一時間あまりを過ぎたところで電池切れ。残念でした。が、大事なところは録音出来てました。しかし、許可なく録りましたのでCDにしてお頒けするということはできません。
編集工房ノアの涸沢さん、杉山先生のご息女、初美さんとも同席させて頂きました。ありがとうございました。
4日(火)にある人をインタビュー取材した。
「宮っ子」の「わが町この人あり」のための。
5月号用である。
さて、取材の翌日、その人から電話があって「あれはやめて下さい。わたし、しゃべってはいけないことを話してしまいました」と。
わたし「決してご心配なさるようなことは書きませんから」と言ってなだめたのだが、どうも不安な様子。そこで「とにかく原稿を見て下さい。FAXしますから。それで不都合ならボツにします」ということにした。すると「今日ですか?」と。そんなに早く書けるわけがない。今度の休みにゆっくり書こうと思っていたのだ。
そんなことで、あわてて書き始めた。なんとか草稿まで書けた。もうちょっと推敲して、あと5行ばかり減らさなければならない。
いや、あわてました。もしキャンセルなら新しい人を探してまた一から取材しなければならない。原稿は20日までに送らなければならない。えらいことです。
でもこんなことは過去にも何度かあった。
お一人は、出稿前にお見せした原稿を見てから「やめてくれ」と。プライドの高い人だったのに、わたしが少し庶民的な面を書いたもので。もうお一人は、やはり出稿前にその人の奥様が「なんであんなことを「宮っ子」に書かれなければならないのですか?!」とけんもほろろのお電話だった。聞く耳持たぬと言った感じで。もうお一人はすでに発行されてから、あんなこと知られたらわたし殺されないかしらと。これはこの人の思いすごしだったのだが。まあ、その他いろいろあります。人のことを書くのは難しいものですね。
「宮っ子」の「わが町この人あり」のための。
5月号用である。
さて、取材の翌日、その人から電話があって「あれはやめて下さい。わたし、しゃべってはいけないことを話してしまいました」と。
わたし「決してご心配なさるようなことは書きませんから」と言ってなだめたのだが、どうも不安な様子。そこで「とにかく原稿を見て下さい。FAXしますから。それで不都合ならボツにします」ということにした。すると「今日ですか?」と。そんなに早く書けるわけがない。今度の休みにゆっくり書こうと思っていたのだ。
そんなことで、あわてて書き始めた。なんとか草稿まで書けた。もうちょっと推敲して、あと5行ばかり減らさなければならない。
いや、あわてました。もしキャンセルなら新しい人を探してまた一から取材しなければならない。原稿は20日までに送らなければならない。えらいことです。
でもこんなことは過去にも何度かあった。
お一人は、出稿前にお見せした原稿を見てから「やめてくれ」と。プライドの高い人だったのに、わたしが少し庶民的な面を書いたもので。もうお一人は、やはり出稿前にその人の奥様が「なんであんなことを「宮っ子」に書かれなければならないのですか?!」とけんもほろろのお電話だった。聞く耳持たぬと言った感じで。もうお一人はすでに発行されてから、あんなこと知られたらわたし殺されないかしらと。これはこの人の思いすごしだったのだが。まあ、その他いろいろあります。人のことを書くのは難しいものですね。
少し前に、西宮市教育委員会から「感謝状をお贈りしたい」との申し出がありました。
「宮水ジュニア・将棋」の講師を長年してきているということで。
しかしわたし、その感謝状にわたしの名前が載るのでしょうか?それならご辞退いたしますと返答していたのでした。
「宮水ジュニア」の講師はわたしがしていますが、25人ほどもの子どもの面倒はとても一人では見られません。実際の指導は「用海将棋会」の他の会員3人のご協力を頂いています。ので、わたしの名前だけが載っているのならご辞退をということでした。
すると「用海将棋会様」でということでしたので、戴くことにしました。
ところが贈呈式が3月2日ということで、わたしちょっと忙しく、藤永さんに出席して頂きました。
そして昨夜の将棋会の例会に持って来て下さり、見せて頂きました。これです。
「用海将棋会様」となってます。
今月末の総会で会員の皆様にご披露したあとは、藤永様にお持ち帰り頂くようにお願いしました。
しかし、添えられた資料によれば、「宮水ジュニア」の指導を始めてから、もう10年にもなるのでした。あっと言う間でした。が、その間に仲間のお一人が亡くなられ、もうお一人は病気で辞められました。今は、二年前に一人新しく入って頂いて、4人態勢でやっています。
今年度もまた5月から新しく始まります。さて、いつまで続けられるか?
今回、感謝状を受けられたのは2団体だけだったようです。現在、50講座以上(?)あるのですが、10年続けた団体が他にはなかったということのようですね。