先日、神戸文学館に行った時のことを書いたが、もう一つ書いておきたいことがあった。
このチラシです。
時実新子展があるのだと。
生前の新子さんとは折りに触れ書簡を交わす仲だった。
しかし、お会いしたのはたったの一度だけ。新子さんの文芸50年を祝う会だったと思う。
神戸のホテルで盛大に開かれたその会には、刑務所から出て来られたばかりの角川春樹さんもかけつけておられた。その時、忘れられない出来事があったがここには書かない。
以前、新子さんについての記事を書いてます。↓2年前です。
http://blog.goo.ne.jp/coffeecup0816/d/20110310
神戸文学館へ「ポエム&アートコレクション」を見に行ってきました。
・ ここには元々関西学院があった所。
兵庫県現代詩協会主催の展示でしたが、館内には、神戸ゆかりの他の文学者のものの展示も。
これは、竹中郁さんのコーナー。
久坂葉子の直筆絵も。
「KOBECCO」に掲載の司馬遼太郎さんのページ。
さて、現代詩協会の展示スペース。
わたしの知人の作品から、これは由良佐知子さん。→←これは谷部良一さん。
お二人とも、いい抽象画を描かれる。
これは、永井ますみさん。→←左、三浦照子さん。右はわたし交流はありませんが、丸太礼子さん。
今年の展示はこれまでと比べて展示の規模が小さかった。出品する人が少なかったのだろう。
・
今日、ここへ行って来たのは、もう一つ目的があった。
これです。 菅原洸人画伯の絵です。
これが館内の喫茶スペースに飾られている。
この絵は、洸人さんが若き日に一緒に修業された水木しげるさんを描かれた絵。
これまで写真では見たことがあったが、実物を見たのは初めて。いい絵でした。
今朝から随筆一本書いた。
孫たちが帰って行った昨夜から頭の中で練っていて、多少の調べ物をして、今朝一気に書き上げた。とはいっても原稿三枚半である。知れている。
けど、昨夜モチーフを思いついて書いたにしてはいいものが書けたと自己満足。
詩は難しいが、随筆は楽しい。
もう一つの届きものもコピーである。
今や入手困難なもの。
『文学雑誌』19号。相当古いものである。
街の草さんがその一部を27枚もコピーして下さった。
杉山平一先生が書かれた「風浪」が載っている。
わたしが杉山平一先生のファンだと知っておられて送って下さったのである。
ここに発表されたのが初出なのであろう。
後に『わが敗走』(1989年)に再録されている。
そして、『百艸句集』に寄せられた足立巻一先生の序文。
これがいいなあ!
足立先生は、序文や跋文も素晴らしいものがある。人情が溢れている。
やっぱり私は足立先生を心から敬愛している。
・
加納さん、ありがとうございました。
そして、松岡さんもありがとうございます。
みなさんに支えられて少しずつ勉強させて頂きます。とは言っても遅いなあ。もっと早くに勉強すべきだった。
けど、杉山先生の詩、「もうおそい ということは 人生にはないのだ」を胸に頑張ります。
今日は二つのうれしい届きものがあった。
一つは松岡さんから。
これ、手づくりなんです。
コピーしたのを糸で綴じてある。
貴重な一冊だ。
恥ずかしながら田内静三という詩人、わたし知りませんでした。
明治33年生まれ。昭和53年歿。
この詩集は昭和50年に発行された私家版ということだ。
洗練された作品が12篇。
読んでみると、半透明の心の容れものの襞をうちらがわから見ているような詩。読む者の心に密着するような詩。それでいて透明感もある。とわたしが解ったようなことを言っても作者にとっては見当違いなのかも知れない。
中に一篇、ちょっと気になるのが。
これのタイトルが。
「直指」とある。
内容から察すれば「直視」なのでは?と思う。
もしかしたら誤植?
けど「直指」という言葉もあるのだ。
http://www.rinnou.net/cont_04/zengo/060501.html
「じきし」と読む。
この意味、難しいが、「直視」に通ずるものがある。
禅語である。けど、添えられていた田内さんの年譜に禅に関するものはない。とは言っても、東北帝国大学卒で後文部省に勤務するなど教養人である。知っていて使われたのだろう。
この詩集、また改めて読み直さなければならない。その時、また印象は変わるかもしれない。そんな悩ましい詩集だ。
・
あと一点の届きものはまた改めて。
作家の藤本義一さんが亡くなられた。
長く西宮在住だった。
西宮に越してこられて書かれた文章の中に「驚いた。西宮のような文教住宅都市が水洗化されていない」というようなのがあった。もう何十年も前だ。
西宮の水洗化は海岸に近い方から順に進められた。氏は甲東園に住まわれた。山手である。
氏の小説、それほど読んでいないが、若い頃読んだものに、直木賞作品『鬼の詩(うた)』があり、あれは良かった。感動した覚えがある。
氏には一度だけお会いしたことがある。直接お話はしなかったが、数年前、庄野至さんが『足立さんの古い皮鞄』で織田作之助賞を受けられた時の祝賀パーティーで主賓を務められて、その席に出た時だった。まだ数年前だ。お元気だったのに。
新居さん来店。
彼との会話はいつも刺激的である。
彼の好奇心にはいつも感心させられる。
子どものような好奇心だ。
今日は「自由律俳句」について話した。
自由律俳句は、荻原井泉水が主宰した句誌「層雲」で展開された俳句。
ここの同人に尾崎放哉と山頭火という異才の俳人がいた。
どちらも酒で身を持ち崩した元エリートである。
そのうちの山頭火について、彼の名前に新居さんが興味を示した。
「その意味は?」と。
わたし即答できませんでしたが、過去に、これについて短いエッセーを書いていました。
興味のある人はお読みください。
納音
「わたしももうトシです。死んだら家人がゴミにしてしまうかもしれませんので」と、兵庫県文苑のご長老、宮崎修二朗翁から託された有名文人の書簡の束がある。<o:p></o:p>
安西冬衛、北川冬彦、富田砕花、三好達治などに混じって、荻原井泉水(自由律俳誌『層雲』の主宰者)の自由闊達な筆跡のハガキがあって、翁はそれを示し、わたしに教えて下さった。<o:p></o:p>
「井泉水」という俳号は納音(なっちん)からだと。<o:p></o:p>
恥ずかしながら、わたしは「納音」という言葉を知らなかった。納音とは、
<o:p></o:p>
―六十干支を、五行のいずれかに帰属させるために、五音と十二律呂とを組み合わせた六十律をあてはめて、それによって各干支の五行を定める法。基本的には宮(土)・商(金)・角(木)・徴(火)・羽(水)の五音五行によって五分するが、さらに甲子・乙丑は海中金、丙寅・丁卯は爐中火というような名称をつけて三十種に細別する。運勢判断に用いられる。(後略)『日本国語大辞典』より―
因みに、井泉水を師と仰ぐ種田山頭火の「山頭火」も納音なのだと。<o:p></o:p>
「山頭火」の意味は、<o:p></o:p>
「山頂にて燃え盛る火。非常に目立った存在で、優れた知性を持ち、人を魅了する。ただし、制御を怠ると不用意に近づく者に危害をなす存在となりうるため注意」とある。<o:p></o:p>
あっ、これは当たっているかも、と思ったが、実は彼、自分の生れ年の納音を使わずに、字面と意味が気に入ってこの「山頭火」を選んだだけなのだという。<o:p></o:p>
彼の本来の納音は「楊柳木」だと。<o:p></o:p>
で、わたしの納音を調べてみたら、「楊柳木」だった。その意味は、<o:p></o:p>
「向上心は旺盛だが、流れに逆らわず、従順で素直な面を持つ。自分が先頭に立つよりも、他人のサポートをすることで成功する」<o:p></o:p>
これは全く当たってないと思った。<o:p></o:p>
わたしは、向上心はなく、流れに逆らい、従順ではなく、素直でもなく、成功もしないのだから。
御受賞のお祝いを、失礼ながらハガキでしていたのだった。
にもかかわらず、ご丁寧にその礼のお電話だった。
柏木さんは久坂葉子研究会の代表者で、その著書『その日の久坂葉子』を以前読ませて頂いていた。そして、御受賞の新聞報道で知った『告白の海』を今読ませて頂いている。
『告白の海』だが、これはご自分の体験を小説化されたもののようで、自らの性同一性障害をカミングアウトされたもの。
その細やかな筆致は魅力的だ。柏木さん、82歳である。時代を考えると大変な苦労をなさってきておられる。しかし、今日のお電話ではお元気な明るい声だった。ますますのご活躍をお祈りいたします。
『KOBECCO』10月号が出ています。
「触媒のうた」、今回は第20回、「啄木の妹・下」です。
「神戸っ子出版のHPから立ち読みできます。
http://kobecco.oide.or.jp/2012/12-10/nk1210/nk1210_05/nk1210_05.htm
70ページから73ページにかけての4ページです。興味ある方は、ページをめくって行ってお読みください。
次に書くものの参考にこの本を引っ張り出して来た。
和田英子さんの『風の如き人への手紙』です。465ページの大冊です。1998年発行。
わたし、この本、恵投されたのか購入したのか忘れましたが、神戸のホテルでの出版記念会に出席しました。和田さんはこの本のことも含めて後に兵庫県文化賞を得られました。惜しくも今年亡くなられましたが、うちの店にも何度かご来店頂きました。
けど、この本のこと、宮翁さんは評価なさいませんでした。小林武雄と中野繁雄の扱いがご不満だったのです。この二人のこと、翁は人間的に疑問符をつけておられます。
そのうちの中野繁雄の書簡の写真も掲載されています。
この中野の詩集『象形文字』に盗作作品が含まれていることをわたし翁からお聞きし、そのこと昨年『KOBECCO』に「剽窃」と題して詳しく書きました。
『風の如き…』の中の中野に関する箇所、改めて注意深く読んで見ると、中野の卑しさが…。それに対する富田砕花師の対応もなるほど。