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喫茶 輪

コーヒーカップの耳

「櫻」

2017-04-07 08:15:28 | 杉山平一先生
杉山平一先生の「櫻」です。

詩集『夜学生』より。
先生のお若いころの詩。
木版画の作者は高橋幸子さん。
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「杉山平一と花森安治」展資料。

2017-04-06 07:48:25 | 杉山平一先生
先日催された「杉山平一と花森安治」展だが、わたしは残念ながら行けなかった。

昨年、やはり帝塚山で行われた「杉山平一展」には行って収穫があったのだった。頂いた『こだはら』35は杉山平一先生の詩がいっぱい載っていて、わたしはそこにわたしなりの大発見をして、後、いいエッセイが書けたのだった。
だから今年も柳の下を狙って行きたかったのだが。
ということで、昨日だが、杉山平一先生のご息女、H美さんが今回の資料を持ってご来店下さった。

先生、若き日の探偵小説がたくさん収められている。
まだ全部読めてはいないのだが、非常に面白い。
先生の独自の視線が面白い。
江戸川乱歩が「探偵童話の試み面白く」と評価したことに納得する。
ただ、昨夜読んだ中に、先生、単純な間違いをなさっている個所を見つけて、わたしは密かに喜んでいる。
先生、上げ足取りのようなことでゴメンナサイ。
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「杉山平一と花森安治」展ほか

2017-03-11 08:41:21 | 杉山平一先生
次々と催し物の案内を頂きます。
出来るかぎり出かけたいと思っているのですが…。

「名筆研究会」のこの催しは行けそうにないなあ。
六車さん、申し訳ありません。

杉山平一先生関連のこちらは、どうしても行きたい。
今のところわたしのスケジュールも空いている。


 
可南さんが直筆で添え書きして下さっているのだが、そしてドリアン助川さんのパフォーマンスもあるのだが…。
この日に、わたしほかにも行きたい催しが重なっていて…。行けなかったら可南さん、ゴメンナサイ。

これは大谷美術館。
土井さんが講演なさる日が…。
これは聞きたい。

そして今日もある催しに誘われているのだが…。宿題山積なので、行けるかな?
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「歴程」№145

2016-12-29 17:00:08 | 杉山平一先生
朝から掃除ばっかりしていたら、疲れた。
若い時は何でもなかったのに、ダメですねえ。
途中でお墓の掃除にも。これは家内と一緒に。毎年はわたし一人で行くのだが。
それからまた店の大掃除。
と言っても、以前のように隅々までとは行かない。
今、ちょっと一服して最近入手した「歴程」145号をパラパラと見ていた。
昭和45年発行。
執筆者の中に、足立巻一、杉山平一、安水稔和などのお名前が。
その中の杉山先生の文章「坂本遼について」の、最初の二行を読んでわたしはニンマリしてしまった。
「これは使える」と思ったのだ。
こう始まっている。
《私は、自宅に他人に来られることがきらいだから、他人の家も殆ど訪ねることがない。》
わたしはうれしくなってしまった。
これを材料にどこかにエッセイを書きます。
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太陽は夜を見たことがない

2016-11-11 08:12:49 | 杉山平一先生
今朝の神戸新聞「正平調」欄に杉山平一先生の詩が引用されている。
←クリック。
「太陽は夜を見たことがない」
これにはわたしにも思い出が。
『コーヒーカップの耳』出版記念会の時の寄せ書きに、杉山先生が書いて下さった言葉だ。
たった一行の詩だが、その裏側に多くのものを含む。

今日「喫茶・輪」はお休みを頂きます。
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杉山平一先生と花森安治と秋田実と長沖一

2016-08-01 07:57:17 | 杉山平一先生
今朝の神戸新聞「正平調」
杉山先生と花森安治のことが。
←クリック



ここに出てくる、秋田実や長沖一は、宮崎修二朗翁も若き日に縁のあった人です。
「触媒のうた」で少し触れました。
「正平調」にある言葉、「貧しく苦しかったその昔、文学精神の何とまぶしく輝いていたことよ」に共感します。
正平調を書いてる人はどなたなのだろう?
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花森安治と杉山平一先生

2016-07-12 15:38:33 | 杉山平一先生
今日の神戸新聞夕刊。


NHK朝ドラ「とと姉ちゃん」に出てくる「暮らしの手帖」編集長が話題に。
花森安治さんである。
花森さんは、我が杉山平一先生と縁のある人。
杉山先生が「わたしの会った人」の中で書かれている。
←クリック。


活き活きとした文章です。
杉山先生は、花森の後を追って東大美学科へ進まれたのだ。
≪…花森は、それから私を銀座へ連れてゆき、たばこの煙のもうもうとしたハイカラな喫茶店で「文学部には十七の学科があるが、これはボール箱に十七の穴があるようなもので、入ってしまえば中は一緒や。ただ、出るときには、もとの穴から出んならん」と、明快に大学を説明してくれた。≫

そして最後、
≪彼はよく、いまはホップステップのホップだといっていた。彼の死は大々的に報じられたが、彼はまだステップの段階にいた。もっと高く遠くジャンプする人だった。≫
いかにも杉山先生らしい文章です。

若き日の花森安治(左)と杉山先生(右)。『杉山平一全詩集』(編集工房ノア)よりお借りしました。
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「直線」

2016-05-28 17:16:46 | 杉山平一先生
昨日観に行った「田中積写真展」に出ていた作品。
「光芒」です。←クリック
見事な光の直線。
光の直線は水平線より直線ですね。
そこで杉山平一先生の詩「直線」を思い浮かべました。

 「直線」

山は蒼く波うち
河は銀色にうねる

かく私の心もゆがむのに
おお いま
雲間を洩れて
陽の光が落ちてくる
まっ直ぐまっしぐらに

光こそ世界の定規だ
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杉山平一先生と横光利一氏

2016-04-05 17:00:04 | 杉山平一先生
先日の帝塚山学院大学での「杉山平一展」で、
初美さんがお父様のことをお話しになった中で、印象的だった話を。



ある生原稿が出てきたと。もうなにか本に発表されているかも…とのことだが、わたしは知らない話。その原稿を朗読して下さった。
そばを電車が通って聞きにくかったりしたので、多少間違っているかも知れません。またどうしても聞き取れない言葉も。

「一度わたしは横光利一氏にお会いしたことがある。昭和14年のころであった。友人の田所太郎氏が雑誌「革新」の編集をすることになり、丁度その頃一年足らずで召集解除になって帰っていたわたしは、その手伝いを頼まれたのだ。ある時、田所君は「横光利一の所に行くんだが一緒に行かないか」と言った。「横光利一さん!」その頃、文学に関係する若者にとって、これほど輝かしい名前はなかった。小林秀雄による評価、また「改造社」の雑誌「文芸」の扉に描かれた佐野繁次郎のデッサンの書斎に〇する長髪の後ろ姿が示す文学者を象徴する風貌。神秘的な〇〇が〇〇するその姿勢。それらはそのまま人々に、(電車の音でしばらく聞こえず) 小さな応接間に通されると、間もなくあの写真で見る風貌そのままの人がわたしたちの前に座り、わたしの緊張は高まった。わたしは映画監督伊丹万作の「演技指導そう案」というエッセイの愛読者であるが、その中に「俳優は常に手を内懐かポケットの中に隠したがる。彼らの手を隠し〇〇から引っ張り出せ。でないと折り目正しい演技はなくなって全てが猿芝居になってしまう」というくだりがある。実際人間の手の置き所というのは難しいものである。聴衆に話す時など、卓のない壇上に立とうものなら、手をどうしていいかうろたえてしまう。わたしは文学の神様の前に座って手をどこに置くか迷ってしまう。わたしはどぎまぎした。思わずであろう、いつの間にか両手を胸に締め付けるようにしていた。それは腕組みのようになっていたらしい。話し始めると横光氏の目がふいにわたしの腕をとらえた。そしてすぐ、又、田所の方へと向かった。その視線は、ジロリという下品なものではなく、グサッと刺さったようだった。「しまった。腕組みととられたのではないか」。「無礼者め!」と言われたような気がして、スーッとわたしは腕をほどいて両手を膝の上に乗せて俯いてしまった。そして、その謎めいて神秘的であったであろう話の内容を聞くどころではなく、ひたすら恐縮してしまっていた。
間もなくわたしは関西に帰り、父の工場に勤めていたが、昭和18年、詩集『夜学生』を作ったので、横光利一氏にもお供えをするようなつもりでお贈りした。その横光氏から思いがけなく手紙をもらったのだから、わたしは文字通り飛びあがった。
(手紙文)≪御無沙汰いたしております。お變りございませんか 「夜學生」大變面白く拝見させていただきました。机の傍へ置いておくといつか無くなり、下へ降りてみると、家内が下へ持って降りてこっそり讀んでをり、また上へ持って上がって置くと、いつのまにやら、また下にある、といふような始末で、何だかあなたの夜學生みたいなことになってゐます。この詩集に流れてゐる哀愁は清らかで、羽根が透明、よく見るとこれは君の夕ごころ
 さやうなら
菜の花の茎めだたかれ夜學生
杉山平一兄         横光生≫

文面の最後に「菜の花の…」という俳句まで添えてあったその手紙を何度、〇〇したか知れない。わたしはただ一人胸にしまいつづけていた。そのうれしさを伝えようにも仲間や友人は次々戦場へ出て行く大戦争の真っ最中だった。」


初美さんの朗読は素晴らしく、その内容と相俟って、わたしは深く感動した。
さて、この文章、どこかに発表されているのでしょうか?わたし、読んで忘れているのでしょうか?


追記 林さんがこんなブログを過去に書いておられた。
やはり発表されていたのですね。ということで、初美さんが朗読して下さったのは草稿ということで、これを推敲の上、発表されたということなのでしょう。たしかに初美さんが読まれた原稿はまだ整理する余地がある文章だ。
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杉山先生の試験問題

2016-04-04 07:48:11 | 杉山平一先生
今朝の神戸新聞「正平調」
←クリック



先日、帝塚山学院大学であった「杉山平一展」の展示物についての話。
杉山平一先生の学生への試験問題である。
わたしも見て驚いたのだった。
こんな問題を出されたら、わたしならどう答えただろうか?と。
茫然としてしまいそうな問題。正平調子も「難問だ」とおっしゃっているが本当に難問。

わたし、写真撮ってます。

こんなのが展示されてるのにも驚きました。
いいものを見せて頂きました。
それから、横光利一からの『夜学生』を送られた礼状もユニークで興味深いものでした。
これはご息女、初美さんの講演の中でも紹介されて感動しました。
また改めて紹介したいと思います。
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杉山平一詩「櫻」

2016-04-02 20:34:39 | 杉山平一先生
3月31日の朝日新聞「天声人語」欄に杉山先生の詩「櫻」が引用されていたとお知らせを受けた。
←クリック。
丁度、今の季節にピッタリ。
別れと出会い。
胸の高鳴る季節。
今年は特にわたしは別れが多かった。
今日は長く西宮に住んで県の仕事をしていた姪が転勤で田舎へ帰ると。
他に、神戸文学館の館長、Nさんが代わった。
西宮郷土資料館の学芸員、Hさんが遠くへ行った。
長くお世話になった「神戸っ子」編集長、Tさんが寿退社。
「酒造会館」の職員のT岡さんが退職。
神戸新聞記者のI川さん、新人でこちらにこられたのだが、3年が過ぎて今年は神戸へ。
なんでだろ。
わたしの周りの文化的な仕事をしておられる人が軒並み代わってしまわれた。
せっかく仲良くなれたのに、わたしは淋しくて仕方ない。
これも神さまのせいかな?
うちにある、杉山先生の「櫻」の版画です。


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「直線」

2016-03-31 08:12:08 | 杉山平一先生
帝塚山学院大学から戴いてきた『こだはら』を昨夜読んでいた。

あるページを開いた途端に、わたしを射す光があった。
字面(じづら)という言葉は使いたくない。
並び立つ字の姿に反応した。

その光は右下の詩、「直線」から発せられていた。

一読わたしは、本当に声に出して「アッ」と言った。

このブログを読んで下さっている人で、ここまでで、「その話、わかる」という人がいてくださるでしょうか。
お手元に「火曜日」119号をお持ちの人がありましたら、その号の随想欄を見て頂きたいです。
わたしが感動した理由が解って頂けるかと。
この話、いつかどこかにちゃんと書きます。

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「帝塚山学院大学の杉山平一」展

2016-03-30 17:15:02 | 杉山平一先生
帝塚山まで行ってきました。

尼崎で乗り替えて、難波でまた乗り替え。
しかも難波の駅で乗り換えのために歩く距離が半端ではない。
二度尋ねましたが、行けども行けども…、といった感じでした。
もう少しで次の電車になるところ、最後、走って乗り込めました。
行くのにはややこしいですね。
杉山先生、よく通われたものです。
帰りは難波から西宮まで直行でしたが。

帝塚山学院は重厚感のある校舎でした。
今は春休み中で静かでしたが、普段は賑やかなのでしょう。


平一先生のご息女、初美さんのお話が興味深かったのですが、特に朗読が素晴らしかった。

平一先生の原稿(多分未発表)の朗読。そして詩の朗読。
いずれも感動的でした。
正直に言って、あれほど上手とは思ってもみませんでした。
と言っても、大げさに読まれるのではない。
ごく自然な朗読なのだが、声がいいのと、テンポがいい。
そして間がいい。
恐れ入りました。

いいもの戴きました。

帝塚山学院大学の『こだはら』(非売品)。文集ですが、いつも杉山先生が巻頭詩を載せておられたのだと。そしてこの第35号は追悼号ということで、これまでに載った作品が全て掲載されている。『こだはら』の分だけではなく、『帝塚山学院大学大学通信』に載せられたものも収録されている。いい詩がいっぱいだ。

会場で何人かの知った人とお会いしたが、多くは話せずに帰ってきました。
というのも、わたしは早くに着いて展示は見てしまっていましたので。
ノアの涸沢さんはどなたかとお話し中だったし、神田さんや香山さんなどは開始直前に来られて、会が終った後、展示を見ておられたので、わたしはチャッチャと帰ってしまいました。
皆さん、愛想なしでゴメンナサイ。
あ、ちょっと恥ずかしかったのは、会場に来ておられた、初美さんのお兄さんに話しかけたのはいいのですが、初美さんのご主人と混同してました。変だなと思われたでしょうね。後で気づきました。それでも「ブログをたまに見せて頂いてます」とおっしゃったので、私のことはわかっておられたのですね。別にわたし名乗らなかったのに。なんででしょう?
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「杉山平一 展示会」

2016-03-14 22:12:13 | 杉山平一先生
このような案内がありました。
杉山平一先生のファンの方、また興味のある方は是非お出かけ下さい。





わたしも行きたいと思っています。
出来れば30日の「お話し会」にも参加したいのですが…。
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アマコー扇風機

2016-02-28 09:17:46 | 杉山平一先生

先日、著者の中村廣人さんから戴いた本『軌跡の小片』です。
この中のこのページは興味深かった。

杉山平一先生の会社「尼崎精工」が昔作っていた扇風機の写真が載っている。
これが収蔵されているのが「尼崎市立文化財収蔵庫」だと。
アッと思った。
なんかこのごろわたし「アッ」ということが多い。
老人にしてはいいことかな?
しかし、良くないことでアッということも多く、微妙。
まあ、今回の「アッ」はちょっと新鮮。
でもなあ、残念なものでもある。
というのも、この「尼崎市立文化財収蔵庫」は、わたし昨年訪れているのです。



いろんな文化財を見せて頂いたのでした。
ところが、日本の扇風機の黎明期に杉山先生が制作にかかわった扇風機がそこにあるとは知らなかった。
知っていたら当然見せてもらっていた。
残念。
また次の機会にということで。
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