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喫茶 輪

コーヒーカップの耳

『軌跡の小片』

2016-02-27 08:52:44 | 杉山平一先生
昨日、一昨年の暮れに一度ご来店下さった、尼崎の中村廣人さんがご来店。
一冊の新刊書を持って。

『軌跡の小片』(中村廣人著・澪標)
副題に「事業家杉山平一をたどる」とあるように、これは主に事業者としての杉山先生を書かれている。
この視点はこれまであまりなかったものではないだろうか?
杉山先生については多くの人が書いているが、みな、詩、エッセイ、小説、映画評論などに重点を置いていた。そして、付け足しのように「尼崎精工」という会社の経営に携わった人というのを書かれていた。
ところがこの『軌跡の小片』は全く視線が違う。
真正面から「尼崎精工」という会社を背景にそびえさせ、その背景の中で立ち動く杉山先生を描いておられる。
文章に多少硬さがあるように思うが、それは技術系の会社が倒産に向かう話でもあり、仕方のないことなのだろう。
また、奥付けの経歴に「コンクリート主任技士・コンクリート診断士」とある。
要するに中村さんは技術畑一筋の人生を送ってこられたエンジニアなのだ。
お話しを聞くと、ご自分が立ちあげた会社を一度破綻させておられる(その後、立ち直り、今はご子息に代を譲られているとのこと)。杉山先生の人生と重なるところがあるのだ。

「あとがき」を紹介しよう。

≪大阪文学学校の詩・エッセイクラスで学び始めた初年度の終盤近く。一月二十四日の合評会開始前に中塚チューターがある詩人について話をされた。詩にはまったくうといわたしはぼんやりと聞いていた。二、三日後、突然、「戦後、尼崎で父親が経営する会社を手伝い大変苦労した詩人」ということばが頭に浮かびあがってきた。戦後で会社経営に伴う苦労なら、労使絡みに違いないと思った。次の週、合評会開始前、チューターに詩人の名前と会社名を訊いた。
 四方山話の話題になる程度のことは掴めるかもしれない、そんな軽い気持ちで労働運動で関わりがあった先輩を訪ね、話を聞いた。新学期が始まった四月二十五日、これまでに分かったことをチューターに話したところ「それを書きなさい」と言われた。思ってもみなかったこと…≫
このように始まり、次のように続く。
←二段階クリックでどうぞ。
そして次のように締められる。
≪資料の整理ができ、気持ちも整い、書き始めたのは三年目の学期が始まる直前だった。取材や調査に惜しみない協力を下さった方々のおかげです。それから十か月近く呻吟し、何度か弱気の虫が頭をもたげた。十八回に及ぶ長丁場を書き続けられたのは、合評会の度に中塚チューターをはじめクラスメイトの皆さんの真摯な批評に励まされたおかげです。素晴らしい本に仕上がったのは澪標の松村信人さんのおかげです。皆さんに心からお礼申し上げます。≫
ということです。
わたしが読ませて頂いて思うのは、「これは力作だ」ということです。
杉山先生が書かれたものをチョコチョコと引っ張ってきて自分なりの感想、評論を書いたものではなく、ちゃんと取材して時をかけて書いておられる。杉山先生のことならわたしもよく知っているつもりだったが、このように会社の経営陣の一人としての杉山先生に、中村さんなりの視点から書かれたものに新鮮な思いをさせられました。
ただ、気になるのはやはり、音谷健郎さんが栞に書かれていること。
≪会社縮小の各段階の年月と詩集の対比はなされていない。(略)経験がどのように詩に反映したかは、対比させるすべがなかったようだ。≫と、この点に不満が残るのはたしか。中村さん、ごめんなさい。
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「忘れ物」

2016-02-08 18:28:29 | 杉山平一先生
今日も詩誌「柵」を家探ししていたら、何十冊かが出て来た。
例よってパラパラと調べていたら興味深い記事が色々ある。
当時には感じなかったが、今となっては貴重なものも。
少しは知識が蓄積されてきているのかも知れない。
その中で今日は、1995年1月号に杉山平一先生の詩が。

「忘れ物」です。
これは覚えがあった。
『杉山平一全詩集』の上巻の巻末の方に載っている。
しかし微妙に違う。
やはり、一度発表してからも手を入れておられるのだ。


わたし、この作品、「柵」「全集」どちらにも目次に〇印をつけてました。
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「出てゆく」

2016-02-08 09:35:35 | 杉山平一先生
そろそろ終活の準備を始めている。
で、雑誌を整理しようと。

昨日は詩誌「柵」を家のあちこちから集めてきた。「柵」は以前、一度かなりの量を処分したと思うのだが、

まだ探せていない場所があるので、もっとどこかにあると思う。
処分する前に一応パラパラとページを繰ってみる。
すると、けっこう栞が挟んである。

それが店の箸袋が多い。
「喫茶・輪」の箸袋だ。
昼定食が忙しかった頃のもの。1万枚単位で印刷してあったが、今はもうない。
電話番号も随分昔のもの。
ケータイが普及してから解約したピンク電話(自家用公衆電話)の番号だ。
本を店で読んでいたことが多かったのですね。箸袋は栞にピッタリだ。

ある号を見ていたら、『コーヒーカップの耳』に対する丁寧な詩集評が載っているのがあった。中原道夫さんが書いて下さっている。
これは処分せずに置いておかなくては。

他にも宮崎翁や伊勢田史郎さん桑島玄二さんなどが執筆しておられるものがある。
結構貴重な文章かもしれない。処分の前にコピーしておこう。

中にこんなのが。1991年3月号。

杉山平一先生の詩「出てゆく」です。このページ、ちょっと印刷が薄いのですが。
杉山先生の作品は他にも載っているが、みな詩集に収められている。
しかしこれはちょっと覚えがないなあ。
わたしが忘れているのだろうか?
この作品、ご自分の会社がうまく行ってないころのことを思い出してのものだろうか?
孤独が見えます。それでも自分を失わずにと、自らを励ますような。
タイトルの「出てゆく」も思いがこもっているような。
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「センター」の杉山平一先生

2015-12-22 12:12:11 | 杉山平一先生
今朝ほど、久しぶりに杉山平一先生のご息女、H美さんがご来店下さった。
貴重な本を何冊かお借りした。
その中のこれは「センター」。
昭和41年の新年号。丁度50年前だ。
これに巻頭詩を書いておられるのが杉山先生。

「直行しよう」です。いかにも杉山先生。これは詩集には入ってないと思いますねえ。読んだ覚えがありません。
そして気づいたのが、これのカット絵。
山下栄一とあります。
このお名前にわたし、覚えが。

これは昭和60年の「宮っ子」9月号。丁度30年前。
わたしの名前がこんなに大きな活字になった最初です。
宮崎修二朗先生が書いて下さっています。
宮崎先生とはこのころから親しくさせて頂いています。
さて、その挿し絵。山下栄一とあります。
わたしお会いしたことはありませんでしたが、どのようなお人だったのでしょうか。
「センター」の杉山先生の紹介記事。君本昌久さんが書いておられる。
写真の先生、お若いなあ。
あ、それから、詩のページに先生がご自分でその詩の解説を書いておられる。
これは珍しいのでは?
「白バイの方が颯爽としていますが、パトカーのあのうめき声がありません。生活に疲れ途まどう自分には、たましいを震え上らせるような絶叫と疾走が、うらやましくてなりません。あんなに大声を上げて、好きなように走れたら、どんなに気持ちがやすまるでしょう。」
これはちょっと胸を打つ言葉です。この時のご住所が芦屋になっています。多分先生は会社のことで大変な時期ではなかったか?ここにそんなことは書いてありませんが、この言葉の裏には先生のうめき声が隠れているように思えて、わたしは涙ぐみそうになりました。

「センター」は神戸のタウン誌でしたが、今はありません。この号には杉山先生の他に阪本勝、陳舜臣、織田正吉、君本昌久、たかはしもうさんなどの名前が見えます。
このような文化的な地方の雑誌が今は出しづらい時代なのですね。

楽しみに読ませて頂きます。

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『ウッキーマガジン』

2015-12-16 11:25:50 | 杉山平一先生
ずっしりと重いレターパックが届いた。
入っていたのは『月刊ウッキーマガジン』の第1巻~3巻。総ページ数、694ページ。

「堺市立若松台中学校2年*中学校生活有益情報誌」と副題されている。
これは中学校の教師が生徒に向けた手づくり情報誌。
スゴイです。これを作るエネルギーはホントにスゴイ。
こんな教師に受け持ってもらった生徒は幸せです。

編集後記です。 ←二段階クリックでどうぞ。これまでにも冊子を何度かお送り頂いているが、偉い先生だ。
しかしなぜこんなのがわたしの所に届けられるかというと、
それは杉山平一先生との関連なのです。
この冊子を作っておられる宇都木先生は杉山先生ファン。
マガジンの中に度々杉山先生の詩を載せておられるのだ。
わたしが杉山先生ファンだと知って送ってきて下さる。
しかしこんな貴重なものを申しわけない。
今回のマガジンの中にもこんなページが。

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杉山先生と大谷典子さん

2015-10-15 08:12:06 | 杉山平一先生
昨日の神戸新聞夕刊に大谷典子さんが登場。担当記者はおなじみの平松正子さん。
大谷さんは、人生で悩んでいた大学生の時、たまたま図書室で目にした杉山先生の詩「花火」に大きな感動を受け、立ちなおったという人。
たしか先生がお亡くなりになったあとの忍ぶ会でもスピーチをされたかと記憶する。




大谷さん、「大切な本は2冊買う。初代は読み過ぎてぼろぼろに崩れ、パウダー状態です」とおっしゃってる。なるほど。解るが、わたしは2冊は買わないので、よく読む本はボロボロです。
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『今日は美術館へ』

2015-08-23 08:41:41 | 杉山平一先生
この前紹介した『書棚の隅っこ』(出久根達郎)だが、「たんぽぽの音」という項目の話が感動的でした。
杉山平一先生がちょっと登場します。
是非読んで下さい。






二段階クリックでどうぞ。

この片岡千歳さんも、杉山先生の紹介で出久根さんの目に留まったのでしょうね。
 
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杉山先生と出久根達郎さんと岩田一平さんとイワタタケオさんと宮崎修二朗翁。

2015-08-21 08:45:51 | 杉山平一先生
この本、『書棚の隅っこ』(出久根達郎)を読んでいて「オッ」と思ったページが。


この箇所です。 ←クリックして下さい。

ここに出てくる『縄文人は飲んべえだった』の文庫本です。


なぜわたしが「オッ」と思ったか。

先ず、『書棚の隅っこ』ですが、これは先日、杉山平一先生のご息女から頂いた本です。
出久根さんとわたしが書簡を交わす様になったのは杉山先生のご紹介によるものでした。その縁で。

そして岩田一平さんは、宮崎翁と縁の深い方。
一平さんのご尊父はお若いころ西宮に在住されてたこともある漫画家。
ある時期、宮崎翁の自宅にお住みになってたこともある。
後、東京に出られて漫画家として一流になられた。
そのことは「KOBECCO」2011年10,11月号に「イワタタケオ」と題して詳しく書きました。面白い話です。

出久根さんは『縄文人は飲んべえだった』の中から2ページ半にわたって岩田さんの文章を紹介しておられます。その場面の内容は縄文人のウンコの化石「クソ石」の話なのです。まことに面白い。

で、このページのタイトルを「杉山先生と出久根達郎さんと岩田一平さんとイワタタケオさんと宮崎修二朗翁」としたわけです。
人のつながりの不思議を思った次第でした。
因みに『縄文人は…』のカバー装画はイワタタケオさんの絵です。
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S先生にまつわる偶然。

2015-08-18 12:09:48 | 杉山平一先生
偶然に驚いた。
今朝ほど、ある人のブログを見ていて、その記事を家内にも見せていた。
珍しくご本人の写真が大きく載っていた。
そして奥様とのトレッキング旅行の写真も。
その奥様のお父上というのが、わたしが尊敬していた詩人です。
そして、その詩人の遺品に関することで、今日、ハガキがポストに入っていました。神戸文学館の館長、N・Kさんからのハガキです。
きれいな字を書かれるのに感心していました。
するとそこに丁度、なんとなんと、その詩人のご息女、H美さんがご来店。
恐ろしい偶然でした。
話の花が咲いたのは言うまでもありません。
そのH美さんが「貰って下さい」とお持ち下さったのが
本、4冊。
楽しみなことです。
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タコとチヌ

2015-07-27 14:01:22 | 杉山平一先生
いきなりタコとチヌが宅急便で送られてきた。
送り主の名前に微かな記憶が。
多分あの人。
日記を調べてみた。
あった。
昨年暮れに三木の山崎先生とお越しになった尼崎のN村さんだ。
杉山先生の話を聞かせてほしいということで。
それでお礼の電話をした。
杉山先生のことを書いた論文があるところで佳作に入ったと。
しかし、わたしの話を聞かれた時にはすでに原稿は仕上がっていて、参考にはされなかった様子。もしもっと早くにお聞きしていたら違う方向の論文になったものを、とおっしゃっておられた。
近いうちに、そのコピーを持って来て下さるとのこと。それはそれで楽しみである。
あ、そのN村さん、唯一の趣味が釣りだそうで、送ってこられたのはご自分で釣られたもの。
新鮮そのものというわけ。
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『ウッキータイムズ』

2015-07-16 08:52:18 | 杉山平一先生
一昨年「ウッキーマガジン」と題して書いた日記がある。
クリックして見て下さい。
スゴイ先生がおられるものだと思ったのでした。

昨日、その先生から大きな封書が届きました。
添えられた書簡です。

入っていたのは大判の冊子でした。
今度はその先生、宇都木様から直接にお贈り下さいました。
『ウッキータイムズ』です。

ページ数、232ページ。
2014年度一年間に出されたものをまとめられたものです。

見せて頂くと、多彩な内容に驚かされます。
このページはプロ野球、藤浪晋太郎選手の言葉遣いについて。

わたしもかねがね、藤浪選手と大谷選手の言葉遣いには感心していたのだが。
一般のスポーツ選手は「〇〇してくれた」といった発言をする。気になってしようがない。ところが藤浪、大谷選手は必ず「して下さった」とキチッと敬語を使っている。

こんなページもあります。

「若者よ戦場へ行くな」
なかにし礼さんの詩のことです。
その詩も紹介しておられます。
「平和の申し子たちへ・泣きながら抵抗を始めよう」

この詩はわたしも以前読んだことがあるが感動ものです。
あのhyakutaに言わせれば、とんでも教師ということになるのかも知れませんが。

こういうのを続けるのはわたしなんかが思うより、余程大変なのだと思いますが頑張ってほしいものです。

宇都木さん、ありがとうございます。
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「顔」

2015-05-30 08:14:08 | 杉山平一先生
今朝の神戸新聞「正平調」欄に杉山平一先生の詩「顔」が引用されている。



「正平調」執筆者は杉山先生ファンかな?
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杉山先生のことを

2015-04-20 09:19:57 | 杉山平一先生
頭の中で暖めていた杉山先生に関するエッセイを昨日より書き始める。
一日かけて草稿までこぎつける。

素人の悲しさ、一発には書けません。
ということでこれから嵐のような推敲。
これは『KOBECCO』ではありません。締切は5月末ですのでなんとかなるでしょう。
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九条の会

2015-03-25 17:46:27 | 杉山平一先生
杉山平一先生も「九条の会」に入ってはったんや。


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「橋の上」

2015-03-21 10:42:05 | 杉山平一先生
杉山平一先生の新しい詩書を飾りました。


真ん中の額です。
先生の第一詩集『夜学生』の中の有名な詩「橋の上」。




表具屋さんが「味のある字ですねえ」とおっしゃっていました。
色紙に書かれたものではなく、和紙です。
なので裏打ちをし、額装してもらいました。
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