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喫茶 輪

コーヒーカップの耳

「海鳴り」24号

2012-05-24 16:33:10 | 杉山平一先生

 編集工房ノアの涸沢さんから「海鳴り」24号が届いた。

 

 年に一回出るノアのPR誌である。PR誌だがいつもいい読み物が載っている。

 今号は、社主、涸沢さんの「大洲からの手紙」に泣かされた。

 杉山平一先生の詩集『希望』を読んだ人からの手紙のことが書いてある。

 「話が長くなりますので手紙を書くことにします。私が杉山平一さんの『希望』を購入しました理由から話さねばなりません。」

 と手紙は始まる。

 そして、元同級生から「このお方は学徒動員で尼崎精工に行っていた時の社長さんのご子息様です」と教えられる。

 手紙は続く

 「専務さんのお話をお聞きしまして…、私はお顔はなぜか今でもよく覚えております。」

 杉山平一氏は、父が昭和13年に設立した尼崎精工株式会社に翌年から勤務することになり、人事課で青少年工の指導に当たった。

 これは少女から見た貴重な学徒動員の証言である。手紙はさらに、地方紙に載った現在の杉山さんの写真を見て、自分が思う同一人物か、市立図書館に確かめに行く。図書館に杉山さんの『詩と生きるかたち』があり、その中に、昭和20年代のものが入っていて、「わたしの覚えておりました背の高いお方に間違いありませんでした」と、かつての専務さんが、詩人杉山平一であったことを確認する。 

 その後、杉山さんの『わが敗走』を読む。

 

    ―後略―

 

 この続きを読みたい人は、「輪」へおいでください。感動的な話が続きます。

 

「海鳴り」24号、20冊頂いています。お譲りします。

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追悼文

2012-05-24 08:56:56 | 杉山平一先生

 今朝の神戸新聞に安水稔和氏が「杉山平一さんを悼む」と題して寄稿しておられる。

 

 二段階クリックでどうぞ。

この記事に載っている4年前の対談、わたしも行っていて録音させて頂いている

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しのぶ会

2012-05-23 15:56:43 | 杉山平一先生

 神戸新聞夕刊に杉山平一先生をしのぶ会の記事が出ている。

 10月21日午後5時から。大阪のホテルでと。

 実行委員会代表は詩人の以倉紘平さん。以倉さんとは一度滋賀県でお会いしている。ある会で同じテーブルだったが、多くは話さなかった。しかし、人格者であることはわかった。

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告別式

2012-05-22 17:32:47 | 杉山平一先生

 昨夜の通夜式に続き杉山平一先生の葬儀告別式に参列してきました。

 開式までの間、映像が流されていた。映画についての講演をなさる姿。大きな会場ではなく、うちわの会のような、リラックスした話しぶり。巧まぬユーモアを交えて笑いを誘う。もっとも先生はどんな時も飄々とした話しぶりで場所によって変わるということはなかったですが。

 わたし、今日も早めに行って前の方の席につきました。いつもはなるべく目立たない後ろの席につくのですが杉山先生は別です。なるべく近くに。

 前2列は主要客のための席になっていて、わたし、その後ろの3列目の真ん中通路の脇に座りました。一般参列者としては最も厚かましい態度だったのかも。

 ということで、わたしの前の前の席、主客の席には宝塚市長の中川智子さんが座られました。その隣に帝塚山大学学長。またわたしの斜め前には神戸流通科学大学副学長の足立明さんが。昨夜、わたしが座った場所だ。明さんは足立巻一先生のご長男です。ご挨拶しました。「夕暮れ忌」がなくなって寂しいです」と申し上げると「いつも杉山先生がご挨拶を下さってましたねえ」と。そう「夕暮れ忌」の代表は杉山平一先生が勤めておられたのだ。そしてその夕暮れ忌の名付け親は井上靖氏と司馬遼太郎氏だった。これでみんな亡くなられてしまった。

 

 弔電紹介の最初は大阪の橋下市長からでした。それはそれは丁寧な杉山先生と大阪との関わりを知り尽くした文章でした。これは絶対に橋下さんの文章ではなく側近の手になるものでしょう。優れた秘書がおられるようだ。あと5人ほどの丁寧な心のこもった弔文が披露され、切りがないので残りは割愛と。電文も山ほどあった様子。

 そして今日も、昨夜に続き、焼香の列が延々と続きました。

 

 わたしが見かけた弔問者には知った人も多くありました。また昨夜とはちがった顔ぶれです。

 SF作家の眉村卓さんなど文学関係者が多数おみえでした。また神田さんに教えてもらったのだが、竹中郁さんの娘さんという人。いかにも郁さんのお嬢さんらしく気高く美しい人だった。また神戸新聞の平松正子さんも。彼女はつい最近、西宮市甲風園の杉山先生の娘さんのお宅にお住まいの先生を取材し、その記事が載ったばかりだった。いい記事だった。ということで彼女、堪えられずに涙を拭っていました。

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太陽は夜を見たことがない

2012-05-21 20:33:45 | 杉山平一先生

 杉山平一先生の通夜式に参列しました。色とりどりの花が飾られた明るい祭壇でした。

 今日は皆既日食の日。朝、味付け海苔の容器の蓋で見ました。感動しました。

 で、杉山先生ですが、11年前、『コーヒーカップの耳』の出版記念会にご出席して下さった時、記念の寄せ書きに「太陽は夜を見たことがない」と一行詩を書いて下さった。

 今日の太陽は自ら夜を見たかも知れないなあ、と思ったりしました。

 

 通夜式はやはり多くの参列者でした。

 わたし、少し早く行ったので前の方の席に案内され、安水先生のすぐ斜め後ろの前から二列目の席でした。そして、詩友の佐土原さんの隣。後で前の席に伊勢田史郎さんがお見えになった。

 読経の前に杉山先生の一生がスクリーンにナレーションと共に映し出された。

 わたしの知らない家庭的な写真がほのぼのとしたものを感じさせた。

 

 先生の遺影は赤いカーデガンでリラックスしておられる明るい笑顔の写真で良かった。

 

 焼香は延々と続き、参列者の多さを示していました。お人柄ですね。

 後でお顔を拝顔させて頂きましたが、きれいなお顔でした。しかし「大きいなあ」というのが印象。昨秋、先生とツーショットを撮らせて頂いた時、先生が言われた言葉、「顔の長さでは負けてません」を思い出しました。わたしも結構長いと言われているのですが。

 戒名 「法性院瑞秀叙情居士」 先生らしくおおらかで清々しいお名前だ。

 

 

先生、どうか安らかにお休みください。

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青をめざして

2012-05-20 21:25:54 | 杉山平一先生
 

「青をめざして」

 

ただ目の前のシグナルを

 

青のシグナルを見つめて

 

脇見をしないで

 

歩いた

 

どこへ行くのか考えたことも

 

なかった

 

青をみつめて

 

青だけをみつめて

 

わたしは歩いていった

 

 

どこが悪かったのだ

 

みんなどこへ消えたのだ

 

      杉山平一詩

 

 先生、杉山先生、もうみなさんに会われましたか?足立巻一先生や、竹中郁さんや、庄野英二さんなど、先に逝かれた人たちとお会いになってますか?

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「また来ます」

2012-05-20 16:47:24 | 杉山平一先生

 昨秋、「輪」で催した詩書展に杉山先生は思いがけずおいで下さったのでした。その時のブログです。http://blog.goo.ne.jp/coffeecup0816/d/20111003

 この時お聞きした、江戸川乱歩に関する貴重なお話は『KOBECCO』12月号に書かせて頂いたのでした。足は少々弱っておいででしたが、まだまだお元気で、「また来ます」と言ってお帰りになったのに。

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詩話会。

2012-05-20 10:14:15 | 杉山平一先生

 次の土曜日(5月26日)に西宮市民会館で「杉山平一さん『希望』を語る」という催しが予定されていました。

Img791

 わたし、参加申し込みをしていました。先生にまたお会いできると思っていたのです。それより先に西宮の新しいお住まいにお訪ねしようかとも思っていたのですが、とにかくこの26日にはお目にかかれると思っていました。先生もこの会を楽しみにされていたようです。

 で、中止にするのではなく、形を変えて会は催すとのことです。

 いずれにしても突然のことで、わたし今、うろたえております。

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杉山平一 詩

2012-05-20 09:03:24 | 杉山平一先生

ルームライトを消す

 

スタンドランプを 消す

 

そうして

 

悲しみに灯を入れる

 

             (闇)

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ああ、杉山平一先生。

2012-05-20 00:32:33 | 杉山平一先生

なんということだ!杉山平一先生がお亡くなりになられたとの知らせが入って来た。

なんとなんと、なんということだ!!!

わたしは今日(19日)午後、家内を北口に送って行った帰り、思いついて杉山先生のお住まいを探して車で甲風園のあたりをウロウロしたのだ。道を一本間違えたらしく見つからなかった。一方通行ばかりなので、また日を改めて自転車でお伺いしようと思って帰って来たのだった。なんとその日にお亡くなりになっていたとは!ああ。

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杉山平一先生が

2012-05-20 00:25:03 | 杉山平一先生

杉山平一先生が亡くなられたとの知らせが入る!!!

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杉山平一先生!!!!!

2012-04-30 09:18:13 | 杉山平一先生

 ドカンと大きな記事が今朝の神戸新聞に。

←クリック。

 うれしいなあ! 

 編集委員の平松正子記者が書いている。西宮での取材だ。記事の終わりに彼女が書いていることが面白い。

―取材後のやりとり。「いつまでもお元気で」「皆さんそうおっしゃるけど、『いつまでも』いうのは一体いつまで頑張ったらええのやら」。何げない一言まで面白い。こちらももっと言葉を磨かねば。―

 先日は宝塚市長がお祝いをしている。さて、西宮市長は?杉山先生の存在も知らないのでは?

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杉山平一先生!!!

2012-04-28 10:11:28 | 杉山平一先生

今朝の神戸新聞に杉山平一先生が。

 

 宝塚市長さんから花束を。

 そう、杉山先生といえば宝塚でしょうが、今、実態は西宮なのですがね。

 しかし先生のコメントが面白い。そしてうれしい。

 「まだ詩になるものはたくさんある。長生きしたい」

 いいですねえ。次の詩集を待ってます。

 そしてさらに、

 「でも、しわくちゃの顔にはなりたくないな」

 思わず笑ってしまいます。

 先生、好きです。

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杉山平一先生の記事。

2012-04-19 11:14:56 | 杉山平一先生

わたしが杉山ファンと知ってる人が切り抜きをお持ち下さった。毎日新聞、昨日の夕刊のコラム記事。

 

これを書いた記者さん、あまり杉山先生のことをご存知なさそうです。

「杉山さんは昭和30年代、経営する鉄工所を倒産させ…」とあるが、これはどうかな?先生は、お父さんが経営する大手の電機メーカーの専務だったかで、たしかに苦労はされたのだが、この記事では、町工場を倒産させたような感じだ。その会社は、最盛時には何千人もの従業員がいたのです。日本初のカラーの扇風機を売り出したり。それまでは黒と決まっていたのですがね。そのころ、「ソニー」という小さな会社が新しい電機製品で話題になり出したという話でした。

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杉山平一氏が西宮住人に。

2012-04-13 20:57:13 | 杉山平一先生

杉山平一氏から転居通知のお葉書が。

宝塚の家はそのままに、西宮在住の娘さん宅に同居なさることになったと。

杉山先生、齢97歳です。奥様を亡くされてからもう何年になるでしょうか?以来お一人で宝塚にお住まいでした。これまでよく頑張られたと思います。

娘さんのご家族と同居ということでわたしどもも安心です。良かった。

 

これは杉山先生の昔の詩を版画にしたものです。店に飾ってます。

 

 「櫻」

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