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喫茶 輪

コーヒーカップの耳

新聞記者さんは

2023-07-30 14:47:36 | 宮崎修二朗翁
本箱を触っていたら出てきた本。
いつからかは分からないが、宮崎翁にお借りしたままになっていたのだろう。



『名文どろぼう』(竹内正明著・文春新書・2010年刊)。
カバーに書かれた宮崎翁の字が懐かしい。
そして2カ所に書かれた覚書のような文。
←クリック。
《ファドは終点春寒の駅》 これは俳句ですね。誰の俳句でしょうか?

そして、
《私は幸運にすぎる人生にめぐまれた。父母の願いを私は果たしたのか?》
これは誰の言葉だろうか宮崎翁の言葉だろうか?
この本と関連があるのだろうか?
そんなことを考えながら読んでいる。
すると、こんなページがあった。
←クリック。
《新聞社とは(略)出世コースから外れて記事を書き続ける者を幸せとみなす空気が伝統として残っている。》
これを読んで思い出した。宮崎翁が言っておられたことを。
「部長になったんですけどね、おもしろくなくて、やはり外を走り回る方が良くて、元に戻してもらいました」と。
翁ならいかにもの話です。
そしてこのページの後に、高島俊男さんの話が出てきました。
先年お亡くなりになりましたが、宮崎翁と「喫茶輪」においでくださいました。
妻が作った握り飯を「うまいうまい」と言っておられました。
もう一度お見えになった時は鈴木漠さんもご一緒でした。
写真もどこかにあるはずです。

追記
  写真、見つかりました。2009年のことでした。

左から高島さん、宮崎翁、漠さん。


わたし左。右、高島さん。




『触媒のうた』 文学好き、必読の書

『コーヒーカップの耳』 人間好き、必読の書。



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初山滋だ

2023-06-22 17:36:00 | 宮崎修二朗翁
『ありとリボン』を読んでいるのだが、
驚きがいっぱい。
いいなあ!と思ったページに付箋を挟んでいるのだが、まだ半分も読まないうちにいっぱいになってしまった。



みんないいから、ちょっと困る。

そして作品以外に驚くことがいくつか。
その一つが表紙絵。
今回の新版の装幀は森本良成さんだが、(初版アレンジ)と書いてある。
何をアレンジしたのかと思えば、これだ!


「初版装幀挿絵 初山滋」となっている。
これは「うわ~っ」である。
初山については拙著『触媒のうた』の98,99ページに、宮崎修二朗翁とのユニークなエピソードを載せている。
ということは、この装幀の仕掛け人は宮崎翁であろう。
著者、山口雅代さんの年譜が載っているが、それを見ると分かってくる。
年譜が実に興味深い。
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『ぼや記つぶや記』と池田蘭子

2023-05-31 16:35:57 | 宮崎修二朗翁
今日はM病院の診察治療の日。
いつもは長く、ときには1時間以上も待つのだが、今日はすぐに呼ばれてビックリ。
予約時間丁度だった。こんなことは初めて。
待合所に座った時には、たくさんの人が待っておられて、これは長くなるなと思ったのに。
持って行ってた本、読み始めてすぐ、1ページも読まないうちだった。
だが、治療が済んで会計で20分ほど待たされた。
ここもいつも長く待つ。今日は早い方。
その待たされてる間に読んだところに、「おっ」と思うことが。



『ぼや記つぶや記』(坂盛勝著・のじぎく文庫・昭和38年刊)の中の「立川文庫」というタイトルのエッセイ。
《つい先日”立川文庫”の作者群唯一の生き残り池田蘭子女史に会う機会を得た。》
そうか、この『ぼや記つぶや記』は神戸の消防局の機関誌『雪』の編集長だった坂さんが『雪』に書いた埋め草を集めたもの。
『雪』は宮崎修二朗翁が深く関わっておられた雑誌。
坂さんは、宮崎修二朗邸をよく訪問しておられたと聞いた。
そして、池田蘭子女史は宮崎翁がインタビュー取材しておられる。
そのいきさつは拙著『触媒のうた』の「女紋」の項に詳しく書いた。
縁はつながる。

『触媒のうた』 池田蘭子のことも載ってます。
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宮崎翁宛書簡

2023-05-01 18:22:37 | 宮崎修二朗翁
昨日、宮崎嵡のご子息夫婦がご来訪。
ご持参いただいた中に、施設に入所中の宮崎嵡に出したわたしの書いた書簡があった。
その数、数十通。



捨てずに残して下さっていたのだ。
今さら恥ずかしい面もあるが、ありがたいことである。

『コーヒーカップの耳』 笑っちゃいます、泣いちゃいます。
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宮崎修二朗先生の墓参

2023-04-23 17:57:37 | 宮崎修二朗翁
墓参日和でした。
宮崎修二朗先生の墓参に行ってきました。
お亡くなりになったのは三年前の4月1日。
早くにと思いながら、コロナ騒動で延び延びになっていました。やっとです。



芦屋霊園です。



宮崎先生が長く暮らした芦屋の街が眼下に。



ご親族三人と、先生の教えを親しく受けた四人(S野、K田、N蔦さんとわたし)の計七人。

墓参のあとは西宮の「木曽路」でご親族の接待を受けました。



ごちそうを戴きながら、先生の思い出話に花が咲き、楽しい時間を過ごしました。
又のお会いを楽しみに、名残を惜しみながら皆さんとお別れして、わたしは徒歩で帰宅。
約5000歩でした。


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『兵庫県文学讀本』

2023-04-22 13:00:01 | 宮崎修二朗翁
昨日のこと。
ある原稿を書いていてこの本が必要になった。
『兵庫県文学讀本』(のじぎく文庫・昭和34年刊)。

以前にも必要があって、西宮図書館でお借りしたのだった。
これから後も要る時が出てきそうなので入手しようと思い、アマゾンを検索してみた。
すると何万円もしている。
えっ?と思って「日本の古本屋」を調べると、何冊か出ていて一桁安い。
そのうちの一軒に注文しようかと思ったが、もしや?と思い、武庫川の「街の草」さんに電話してみた。
ネットには上げておられないけど、有るかもしれないと思って。
「しばしお待ちを、調べてみます」ということだった。

そして今朝だ。
「ピンポ~ン」と鳴って、T石さんが来訪。「街の草さんから…」と言って。
「あっ、有ったんだ」と思った。
「今朝、街の草さんに行ったら、今村さんに、とのことで」と。
言付かってきて下さったんだ。
ありがたい。こんなに早くに。電話して良かった。さすが「街の草」さんだ。
これで原稿を進めることが出来る。
しかも、T石さん、来てくださる途中の和菓子屋さんで桜餅の手土産まで持って。
もちろん「喫茶・輪」に招じ入れ、カアチャンも一緒にコーヒーで歓談。
有難う御座いました。

『兵庫県文学讀本』だが、中に紙片が挟まれていて、これが面白い。

「のじぎく文庫」の会報№5 昭和34年4月20日発行。
字が小さくて読みづらいのだが、こんな囲み記事が。

この内容は、解る人には興味深いはず。「激しい版権獲得戦」などという言葉が見える。
そうだったのかと思った次第。

K納さん、T石さん、ありがとうございました。
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「いつの日か重宝」

2023-04-10 10:05:46 | 宮崎修二朗翁
原稿を書き始めたのだが、「もっとなにか」と思って出してきた宮崎修二朗本5冊。



このうち2冊はわたしが古書店で入手したものだが、3冊は宮崎翁から戴いたもの。
そのどれにも翁の署名がある。
先ず、「環状彷徨」。


宮崎翁らしい個性的な字です。

これは『ひょうご四季のうた』。

「髪が少なくなって」とか「辛くちでたのんます」とか書かれているが、これはうちの店でウイスキーなど飲まれて上機嫌の時のもの。

そして『ひょうご歌ごよみ』。

「いつの日か重宝していただけることを恃んで。」とあります。
この本はもう一冊所持していて、それはわたしが神戸の書店で購入したもの。
それにも署名してもらっています。

で、今日調べていて役に立ったのが、この『ひょうご歌ごよみ』でした。
求めていたものが見つかりました。原稿を書くことが出来ます。
重宝させてもらっています。

『触媒のうた』 宮崎修二朗翁の貴重な文学秘話が満載。
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山下栄市さんの絵

2023-04-09 10:32:31 | 宮崎修二朗翁
先日、山下栄市さんの挿絵のことを「山下栄市さん」と題して取り上げました。
関連することを調べてみました。
あの宮崎修二朗翁の「文学の小道」という連載について。
「文学の小道」は西宮に関する文芸作品を取り上げて解説するもの。
宮崎翁の人間味あふれる解説が素晴らしかったのです。
第一回が田辺聖子さんで1983年5月号でした。
そして最終回が1986年4月号。33回をもって終了しています。
そのいずれもに山下栄市さんの挿絵が載っています。





さすが、宮崎翁が指名した人です、どれもがいい絵なんです。
そのバックナンバーをわたし、すべて持っています。
一度捨てかけたのですが、残していました。
この33回分、コピーして一冊にしたいと、今回思いました。
宮崎翁しか知らなかったことも書かれていて、西宮にとっても素晴らしい遺産になると思うのです。
但し、「宮っ子」のHPからすべて見ることはできます。


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山下栄市さん

2023-04-07 16:04:37 | 宮崎修二朗翁

短歌誌「六甲」4月号を読んでいて、「あっ」と思った。 
こんな記事があった。余った隙間を埋めるように。


山本武雄さんの歌集『朴の花』より5首が紹介されているのだが、
《題字 富田砕花・装画 山下栄市・素描 竹中郁》とある。
富田砕花、竹中郁は有名だが、山下栄市はなじみがない。
しかしわたしが「あっ」と思ったのはこの山下栄市さん。
思い出したのだ。
38年もの昔、宮崎修二朗先生が昭和60年(1985年)の『宮っ子』全市版にわたしを大きくと取り上げてくださった。
「文学の小道」のページ。右ページ 左ページ
その時の挿絵が山下栄市さんだった。



わたしの作品「川」をイメージして描いてくださっている。
懐かしくて、「山下栄市」をグーグル検索してみたが出てこない。
どんな画家さんだったのだろう。宮崎先生にはもう聞くことができない。
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宮崎修二朗翁のご命日

2023-04-01 10:05:13 | 宮崎修二朗翁
今日、4月1日は宮崎修二朗翁のまる三年のご命日。



今でも「宮崎先生が健在なら聞くことができるのに」と思うことがしょっちゅう。
←二段階クリック。

『触媒のうた』
 宮崎翁による貴重な文学史秘話が満載。
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『兵庫県文学読本・近代篇』

2022-12-19 09:01:18 | 宮崎修二朗翁
昨日、必要があって図書館からお借りしてきました。



今朝はことのほか冷え込んでいますが、昨日もけっこう寒かったです。なのでフード付きのコートを着て行きました。
でもやはり歩くと暑くなって、帰りには手袋もマフラーもバッグに入れコートは畳んで腕に持って日陰を歩いて帰って来ました。4168歩でした。
お借りしたのは『兵庫県文学読本・近代篇』(のじぎく文庫・昭和34年刊)です。
宮崎修二朗翁の「著作目録」に載っている本ですが、わたしは所持しておりませんでした。
翁、生前に古書店に処分された中にはあったと思うのですがね。
でも、こうしてお借りできるのはありがたいことです。
翁の著作目録に載ってはいるのですが奥付に翁のお名前はありません。
編者、のじぎく文庫とあり、発行者は畑専一郎となっております。
しかし文章を読んでみると若き日の宮崎翁が書かれたものにまちがいありません。
これでエッセイ一本書けます。
「序」の文が凄いです。
富田砕花師が書いておられます。
《大廈の材は一丘の木にあらず〔四子講徳論〕というのは、わたくしにとって支配的な感銘を与える言葉の一つだが、これは釈義するまでもあるまい、およそ大事業はかならず大勢の力によるもので、決して一人の力では出来ないと教えているのである。また”多様の光輝”――ことばを換えれば、寄り集まったものが映発する光彩とでもいえようか。拠りどころは十九世紀の西欧詩人の詩集の題名なのだが、個々のそれもさることではあるけれども、寄り集まった作品なりが渾然と一つになって発する光輝ほど言語を超えた美を発揚するものはあるまいというのがわたしのいいたいことなのだ。(中略)よくいわれることではあるが、南は鳴門海峡から北は日本海沿岸におよぶ風土の多種多様性は、文字の風雲にのって天かける概を見せるところのもの、おおよそこの一巻にあつめ得たことを誇示し得ようか。あえて序とする。富田砕花》
この格調の高さはどうでしょうか。思わず背筋が伸びますね。
砕花師はよほど若き日の宮崎翁の仕事を評価しておられたのですね。

『触媒のうた』宮崎翁の貴重な文学史秘話の証言満載。

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「みちくさKOBE」とドリップコーヒー

2022-07-27 10:18:44 | 宮崎修二朗翁
20年以上も昔に宮崎修二朗翁に伴われて来店してくださったことがある潮崎孝代さんの著書です。



『みちくさKOBE』です。
かつて神戸消防局が発行していた月刊誌『雪』に長年連載しておられたものを一冊にしたもの。
これ一冊読めば神戸という街の歴史や文化の知識がほぼ身につくでしょう。
今わたしはこの本を毎日2~4ページずつ読んでます。
朝、コーヒーを点てるための湯を沸かす時間に読んでいるのです。
今、ちょうど200ページを過ぎたところ。あと70ページほどでお終いです。

その著者の潮崎さんから戴きました。いや、本じゃないんです。ドリップコーヒーです。
本は購入しました。



なんで?と思ったら、袋の裏面に「取扱者 みちくさKOBE 潮崎孝代」とあります。
そういえば、袋に印刷されている絵と文字は潮崎さんの手になるもののようです。
この本の発行を記念して作られたのでしょうかねえ。

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潮崎孝代さんと宮崎翁

2022-05-02 10:29:37 | 宮崎修二朗翁
4月30日(土)の神戸新聞読書欄の記事です。
←二段階クリック。
潮崎孝代さんの本が紹介されていました。



この本、私すでに入手して今読んでいるところです。
著者の潮崎さんのことは前にも書いたかもしれませんが、「喫茶・輪」に宮崎翁に伴われて一二度ご来店頂いたことがあります。
その後何年か年賀状も交換しておりました。ユニークな筆字の人でした。
いわば、彼女とわたしは宮崎翁に教えを受けた兄妹弟子というわけです。
宮崎翁のことを丁寧に書かれたページがあります。
←二段階クリック。

宮崎翁が亡くなったことを「神戸新聞の訃報記事で知りました」と書いておられます。
その訃報記事、わたしの知らせにより大国正美さんの手配で載ったものでした。
『触媒のうた』宮崎修二朗翁による、文学史秘話満載。
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宮崎翁の絵

2022-04-04 11:59:17 | 宮崎修二朗翁
宮崎翁からわたしが戴いたハガキです。
たくさんもらってますが、絵を描いて下さったのはこれ一枚のみ。

 

旅の途中の船の上で描かれたもの。1997年5月24日。
この旅にもわたしは誘われたのでしょうが、行かなかったんですね。
惜しい機会を幾度も逃しています。
田辺聖子さんは、お若い時に、そのような宮崎翁の誘いを受けて何度も旅に行かれたのだった。

『触媒のうた』宮崎翁と田辺聖子さんの旅の話も載ってます。
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桑島玄二さんのハガキ

2022-04-02 11:34:33 | 宮崎修二朗翁
宮崎翁宛の書簡の中から今日はこれを紹介しましょう。

四国、白鳥出身の詩人、桑島玄二さんからのもの。消印は1982年12月13日。
インクの字が大分薄くなっています。
桑島玄二といっても今の若い詩人たちにはなじみが薄いでしょうが、存在感のある人でした。
←クリック。
桑島さんとは、足立先生を偲ぶ「夕暮れ忌」でわたしもお会いしています。
お手紙も何度か交わしました。
このハガキにあるように大きな太鼓腹でのお姿を忘れません。
《足立さんが宮崎はこのごろどうしているのかと聞いてきました。》などと、当時のそのあたりの文人の気息が漂っています。
ほかにも安西冬衛、山本武雄、春木〈一夫かな?)などの名前が見えたりして。

『触媒のうた』宮崎修二朗翁のおもしろ文学談義。
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