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喫茶 輪

コーヒーカップの耳

津高和一邸の「天秤」10人

2021-02-09 11:32:31 | 足立巻一先生
必要があって「神戸っ子」のHPから古い記事を調べていた。
すると、別の記事の中に興味深いのが次々とあって、寄り道ばかり。

中にこんなのが。「神戸っ子」さん、記事拝借お許しを。写真の画質は落としてます。1968年8月号です。

右から、金坂郁美(のちの鳥巣郁美)、亜騎保、静文夫、板谷和雄、岡本甚一、米田透、津高和一、三浦照子、井田耕三、足立巻一。
今もご健在なのは三浦照子さんだけでしょうか。

「ある集い その足あと 天秤グループ」という記事の中の写真です。
この時「天秤」の同人は14人ということですが、そのうちの10人が集まってのもの。

《この日の集いは、米田透氏が三十数年の詩作を結晶させた詩集『色彩風琴』出版前祝いの会で、会場は西宮市高木西町の津高和一画伯邸。初夏の緑の芝生で輪になってしゃべりあい、スイカをぱくついて屈託がなかった。
東京勤務の秋原秀夫、広島在住の桑島玄二、入院中の田部信、出張中の宮崎修二朗の四氏を除いて、十人の同人が顔をそろえた。集いののち神戸労災病院入院中の田部信氏の病気見舞いに出かけた。》


10人中5人がタバコを手にしておられます。時代ですねえ。

このころの「神戸っ子」ですが、実に充実した情報誌になっています。
書き手に優れた文化人がたくさん登場しておられます。
井上靖・足立巻一・竹中郁の三人による対談は「きりん」の話など興味深いものでした。
見ているときりがありません。

『完本・コーヒーカップの耳』
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「鶺鴒」15号

2021-02-04 14:48:13 | 足立巻一先生
神戸の詩人、江口節さんからお贈りいただいた。
詩誌「鶺鴒」15号。
みなさん誠実に書いておられて好感が持てます。


これの表紙詩がいいですねえ。


山口芳徳さんの「希み」です。
わたしもそのような気持ちになってしまいます。

工藤恵美子さんの「お兄ちゃん」にも魅かれました。

   「お兄ちゃん」
保育園からの帰り道
公園の中
一段と高い
鉄骨の滑り台
いつも見上げていた

階段を登り
縄梯子を登れたのも
三日前のことだった

今日は
石ころを一つ
握り締めて登っている

腰をかがめ
拳をひらいた
音をたてて転がる石
爆笑している

秋の空
もうすぐ
お兄ちゃんになる


作者の工藤さんには『テニアン島』という戦時体験を描いた優れた詩集があります。
この「お兄ちゃん」はお孫さんではなく、曾孫さんではないでしょうか?
実によく観察しておられる。
これを読んで思い起こしたのが、わたしが尊敬してやまない詩人、足立巻一先生の著書、『大と真』(理論社・1981年刊)でした。


事情があってお孫さんを一時期ご夫婦で育てられるということがあり、その詳細な子育て記。
副題が「おじじ子育て記」というわけである。
大君と真君の二人だが、二人はいとこ同士。
このあたりの事情は省きます。
この本がまた、それはそれは綿密な視線でお孫さんを観察しておられる。
工藤さんの詩から思い出したのは、次の場面。

《大の字は…合成樹脂の青い波板の切れはしに、せっせと砂をこぼして余念がない。
 波板はそこに落ちていたのであろう。大の字はそれを見つけ、砂遊びの道具にした。それはかれにとっては一つの大きな発見だったのにちがいない。帰るときも波板を手放そうとせず、かかえたままベビーカーに乗った。そして、こんどは波板をベビーカーの上からぶら下げ、地面を引きずるようにした。波板は広場では砂ぼこりをたて、アスファルト道になるとコトンコトンと鳴ったりきしんだりした。大の字は家に帰りつくまでそれをやめなかった。》


この本を開くのはもう何十年かぶりだが、この場面はよく覚えていた。ほかにもこのような足立先生の観察の行き届いた描写が無数に出てくる。
そして、久しぶりにこの本を開いて驚いたのは、先生の神宮皇學館での旧友、金本腸のことが出てくること。
先生の名著『やちまた』には腸のことが詳しく出てくるのだが、そこにも載ってない、ちょっと感動的な話が載っている。
今頃気づくなんて、と思ったことだった。

『完本コーヒーカップの耳』
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選者新春詠

2021-01-06 08:36:32 | 足立巻一先生
一昨日、4日が神戸新聞「読者文芸」欄、今年の最初だった。
年の初めは恒例の選者新春詠が載る。


詩の選者、時里二郎さんの「金柑ひとつ」。記事拝借お許しを。
時代背景が見えながら色鮮やかで印象に残ります。
この選者新春詠については思い出がある。
足立巻一先生が評欄でこんなことを書いておられる。1984年(昭和59年)2月4日の紙上に。

《ことしも正月の詩が少なからず寄せられたが、正月の詩はなかなかむつかしい。わたしも毎年正月の詩を発表しなければならないのが実に苦痛だ。》

さて、時里さんはどうなのだろう。
ただし、足立先生が1983年(昭和58年)に発表された新春詠「南天」は後に補筆され、詩集『雑歌』の巻末を飾っている。
その「南天」の詩、ノアの涸沢さんの配慮により、「夕暮れ忌」のステージで朗読させていただいたのが大きな思い出。伊勢田史郎さんが「いい朗読でした」と言ってくださったのだった。
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足立先生のコーナー

2020-09-13 09:53:22 | 足立巻一先生
わたしの書棚の一部。



「輪」の店内の一角にあります。
足立巻一先生のコーナー。
まだご健在中の新聞切抜きなど、貴重な資料もファイルに保存してます。先生のお墓の所在地の地図も。
以前、Tさんが講演で足立先生の墓所は須磨寺にあると言っておられましたが、あれは間違いです。
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「足立巻一と戦後大阪」

2020-09-12 08:29:16 | 足立巻一先生
こんな案内をお送りいただきました。



「足立巻一と戦後大阪」というイベント。
大阪の「現代詩セミナー神戸実行委員会」というところから。
足立先生のことなら興味がありますので、できれば行きたい。
間違いなくわたしの人生を変えた人ですから。
今のわたしの人脈は足立先生なくしてはあり得ない。

パネラーに扉野良人さんのお名前が。
扉野さんは特に「きりん」のことを調べている人です。
それに関する著書をやがて出してくださると期待しているのですが。

場所は「神戸女子大学」。
もう昔に、ここで足立先生の詩を朗読したことがある。
ピアニスト、田中敬子さんの伴奏で。
思い出の場所だ。
忘れてはいけない。足立先生が教授を務めておられた大学でもある。

足立先生についてはこのブログのカテゴリーに「足立巻一先生」として上げてますので、興味のある方はお読みください。

足立先生と出会わなければ『完本コーヒーカップの耳』も生まれなかったにちがいない。

追記
 夕刊に、姫路駅の「えきそば」の話題が載っている。
   
 ちょっと思い出すことが。
 昔、足立先生の取材に同行した時、姫路駅で待ち時間があったので「外へ出て食事しましょか?」と言ったら、
 足立先生は、「あれでええやないですか」とおっしゃって、プラットホームで「えきそば」を食べたのでした。
 
コメント (2)
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三十五年目の8月14日。

2020-08-14 10:59:51 | 足立巻一先生
足立巻一先生が亡くなられて35年目の8月14日です。
間違いなくわたしは、足立先生に出会っていなければ、今とは違う人生を歩んでいた。
人間の一生、なにが幸せでなにが不幸かはわからないが、わたしは良かったと思っている。
初めての偲ぶ会の案内状が残っている。



この時はまだ「夕暮れ忌」とは名付けられていない。
発起人が凄いです。
わたしの知らない名前は二人だけ。
35年、もうご健在の人はいらっしゃらないでしょう。
宮崎修二朗翁が頑張っておられましたが。

楽し本『完本コーヒーカップの耳』

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35年

2020-08-12 09:38:51 | 足立巻一先生
日航ジャンボ機が御巣鷹山に墜落してから、今日で35年だという。
坂本九さんが生きておられたら78歳だと。
ほぼわたしと同年。
何度も書くが、あの飛行機にはわたしと同姓同名のイマムラキンジという人が乗っていた。
しかも同年齢。
テレビのニュース速報でカタカタでの乗客名簿が発表され、何人もの人から電話がかかってきた。
翌朝にはわざわざ確かめに来て「あ、足がある」とか言われた。
なんだか不思議な経験をしたものである。
これも何度も書くが、神戸の病院に入院しておられた足立巻一先生が「ぼくの教え子が乗っていた」と嘆かれていたということを後日聞いた。
足立先生はその二日後、8月14日に急性心筋梗塞でお亡くなりになった。
わたしにはそれが心残りになっている。
なんだか後ろめたい気持ちがいまだに拭えないのだ。
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『大と真』

2020-08-02 07:50:54 | 足立巻一先生
足立巻一先生に『大と真』という本がある。
1981年に理論社から出たもの。


お孫さんのことを書かれた本である。
大ちゃん、真ちゃんは、当然だが今では立派な社会人になっておられる。
足立先生はその二人のお孫さんが赤ん坊の時、やむを得ず一時そばに置き、面倒を見ることになる。
それでサブタイトルが「おじじ子育て記」である。

これの「あとがき」がわたしは印象に残っている。
終わりの方にこんなことが書かれている。
《いま、大の字も真の字も健康で、生活も平穏である。わたしはこの健康と平穏とがいつまでもつづくことを願うけれど、そういうことはあり得ないだろう。いろんな波乱や障害が待ち受けているだろう。地球そのものが大きな苦難にぶつかるだろう。すべての赤ん坊・子どもたちの未来は所詮わからない。ただ、いのちを大切にしてほしいということを繰り返して願うばかりである。》
なんだか、今の世を予見しておられたような文章ではありませんか。
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「立川文庫」のこと

2020-06-05 10:01:15 | 足立巻一先生
今朝の神戸新聞、広域版に「立川文庫」のことが大きく出ている。


神戸新聞さん、記事拝借お許しを。
立川熊次郎が姫路市勝原区出身だったとは。
今年になってから何度か乗ったJR神戸線、はりま勝原~網干間にあるのだと。
そこにゆかりのものが残っているとのこと。

しかし、この記事、「姫路立川文庫研究会」の三木基弘さんの話を元に書かれているが、ここに足立巻一先生の名前が出てこないのはちょっと不審。
わたしの知るところでは、立川文庫の研究者の第一人者が足立先生のはず。
もちろん、三木氏はそんなことは先刻ご承知だろが。

立川文庫の書き手だった池田蘭子に「立川文庫」の歴史を書かせたのも足立巻一先生だった。
そのお手伝いをしたのが我が宮崎修二朗翁。
そのこと拙著『触媒のうた』に詳しく書いています。
因みに池田蘭子は晩年を西宮の我が家から遠くない所に暮らし、その家は今もある。
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8の会の詩人たち

2020-05-27 15:10:35 | 足立巻一先生
先日「街の草」さんの表の本の山の中にあった古い「神戸っ子」5冊だが、

その中のこれは1978年10月号。

小磯良平さんの絵が素晴らしい。

こんなページがありました。
←クリック。
「8の会」と「8若の会」開く。
神戸の文化界が元気だったころなのでしょう。
そして、左上の写真です。

正面にビールのジョッキを持った足立巻一先生! その右には竹中郁さん。そして右端横顔は杉山平一先生でしょう。
足立先生の一人おいて左は小島輝正さんかな?
左手前から二人目は鈴木漠さんでしょうか。
ほかにはどなたがおられるのでしょうか?
このころの神戸の詩人たちは華やかですねえ。

お勧め本『完本コーヒーカップの耳』
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久し振りに足立巻一先生

2020-01-27 16:09:46 | 足立巻一先生
久し振りに足立巻一先生の記事が新聞に。

―「懐かしき神戸昭和レジェンド」10 足立巻一さん―


鵜殿洋子さんという人が書いておられる。
《いつも目尻にしわを寄せ、ニコニコ顔でヨーコちゃんとかわいがってもらっていたことが懐かしい。》とある。
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田辺聖子さんと足立巻一先生

2020-01-06 08:09:27 | 足立巻一先生
昨日から読み始めた本。


田辺聖子さんの自伝的エッセイ集。『われにやさしき人多かりき』(2014年・集英社文庫)。
サブタイトルに「わたしの文学人生」とあります。
田辺聖子全集(集英社)、全24巻別巻1に収められたものを編集し一冊にしたもの。
これをわたし今まで読んでなかったことがちょっと悔いとしてあります。
ごく初めの方にこんなページがあります。

←クリック。

この本は大体、田辺さんが文学人生の中で、お世話になった人のことを書かれているのですが、
その初めの方に足立先生が出て来ます。
《私は夜間、大阪文学学校に通い、足立巻一(あだちけんいち)先生の小説クラスに入り》とあります。
そしてこんなことが。
《ことに詩人の足立巻一先生や小野十三郎先生の風韻に接したことは、大きい恩恵である。足立先生は多忙な人で、いつも旅支度でせかせかと現れられた。(略)はにかんだ表情でもって詩や小説の話をされた。片言隻語に文学的蓄積が匂った。早口であったが、内容に厚みがあるので、生徒たちは一心に耳傾けて聴き入った。(略)詩人の狷介さはなく、優しかった。<ぼくはねぇ、小説書きたかったんやけど、あれは時間がかかるよってな。僕は貧乏やったから時間ないよって、詩ィにした>やわらかな大阪弁で、その率直さが若者たちの胸に沁みた。》
いかにも足立先生らしい。
そして、田辺さんもわたしと同じように「氏」ではなく「先生」だ。
足立先生は「先生」としか呼べない人ですからね。

 『完本コーヒーカップの耳』
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悪魔の名著

2019-12-04 13:35:21 | 足立巻一先生
主夫をしながら、時には中学校の臨時教員もやっておられる山城大好きのY崎さんがご来店。
「山城」についてのラジオ番組を持っておられるユニークな人である。
「マスターがおすすめの足立巻一さんの本、『やちまた』を古書で買いました。これから読みます」とおっしゃる。
「え、それは大変。読むのに苦労しますよ」と言って、拙著『触媒のうた』の225頁をお見せする。

←クリック。

これは評論家、呉智英さんが「東京新聞」に書かれた文章からの引用。
《『やちまた』がどれほど面白いかというと、これが全然面白くないのだ。》とある。

これを読んだY崎さん、逆に「これは読まなくては」と大いにその気になられた。
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T皮氏と足立巻一先生と田岡香逸氏

2019-09-17 18:32:00 | 足立巻一先生
「足立巻一先生と田岡香逸氏」というブログを参照ください。
この中に田岡香逸氏が登場しています。

今日頂いた鳥取の詩人T皮氏からのハガキに一驚。
繋がっているのですねえ。
氏のハガキに『石の星座』のことが書いてあって、しかもその中の「播磨の古法華山」について書かれていました。
氏はその内容に感動して、一昨年、そこへ行って来たとのこと。
わたしは行っていませんが、やはりわたしも感動したのでした。
不思議な縁を感じます。
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「スットコチーヨ」

2019-09-03 18:37:55 | 足立巻一先生
夕方、お地蔵さんにお参りに行ったら、ツクツクボウシが鳴いていた。
わたしはツクツクボウシの鳴き声を聞くと、昔聞いたラジオ放送を思い出す。
それは足立巻一先生が出演されたNHK第二放送の「一冊の本」という番組で、梶井基次郎の「城のある町にて」を語られたものだった。
その中にツクツクボウシの鳴き声を梶井が描写している場面があって、「スットコチーヨ」というのが出てくる。

そのことを足立先生が話されたのが忘れられなく耳の底に残っている。
ただ、その場面は聞き手のアナウンサーが朗読された。

その番組をわたしは録音している。



今、久し振りにそれを聞きながら今これを書いている。
すると「あれ?」と思った。
足立先生の声はよく覚えていたはずだが、思っていたよりも若い。
なぜだろう?
多分わたしが年が行ったからだろう。
先生はわたしより年上だとの思い込み。
実はこの放送は昭和59年である。
ということは先生は71歳だ。
今のわたしよりも5歳もお若い。

それはさておき、わたしにとって、ツクツクボウシといえば「スットコチーヨ」なのである。

こちらから ↓ 少し声が聴けます。
 https://www.youtube.com/watch?v=rd4cMji_UL8
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