御託専科

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今野勉「テレビの嘘を見破る」

2007-03-21 22:47:31 | 書評
あるあるの問題で最近出た本かと思ったら2004年に出た本だ。それでも、あ、そう言えばそんなのあった、という類の捏造スキャンダルがけっこう出てきていた。
思いは複雑だがそれはあとで言うとして面白い。いろいろな現場の例を出してドキュメンタリーが再現・誇張・捏造などをいかなる形で含むか、それを開示したりしなかったりするかなどにつきよくわからせてくれる。複雑な思い、の一部になってしまうが、筆者は話をある種偽造することをそこまで悪いことだと思っていないフシがあり、お陰で軽いあるいは仕方がない、場合によってはあったほうがよいウソから言語道断の捏造まで網羅的に語られる。これはメディアリテラシーという点では必ず読んでおいた方がよいと思う。
さて、複雑な思いのほうである。やはり一言で言ってテレビ人は甘い、あるいは驕っている、と言わざるを得ない。ドキュメンタリーでやらせは常識だということだが、それについて反省や弁明がとても軽いと思う。筆者は確かに立場に揺らぎがあり、一方で開示主義を唱えながら一方で見てるほうもだまされて感動したいのだから、風のことを平気で言う。田原総一郎のやらせ当然論は言語道断だ。官公受注で談合が常識だ、と言っているに等しい。業界の中では当然でも世間から見て非常識であり不公正であることは多々あるのだ。
著者が思考の末たどり着いた結論も本当に甘い。「伝えたいことがあれば、そのために考えられるありとあらゆる最善の方法を考える、というのが作り手の原点です」だそうだ。この論議は自分が炭鉱夫たちの慫慂と死に向かう場面を再現してやりすぎと批判されたことを出発点としている。心意気やよし。これはしかし、あきれてしまう。上海の反日デモの「愛国無罪」じゃないか。自爆テロも911も許されてしまうよね。動機と思いさえあれば人を殺してもよいと言うわけじゃあない。そんなことをのたまうのだ。70代後半にもなって。そのすぐあとで「塀の上のランナーたち」という他のプロデューサーの言葉を引用していきがっている。ばかが。テレビ人は塀の向こうには行かないんだよ。圧倒的に守られた立場にある。痴漢やセクハラでもすれば別だが、まともな行き過ぎで向こうに落ちることはない。それを知ってるくせにこんなことを言うのは亀田のイキがりにも劣るよなあ。

あーあ、なんかいやになってきた。今野氏がテレビの中ではかなり良心的な人であることは認めるが、それって平均値がすさまじくひどいってことじゃないだろうか。テレビはいつか成敗しなきゃいかんなあ。とおもう。