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長谷川毅「暗闘」 スターリン、トルーマンと日本降伏

2015-09-01 23:49:26 | 書評
前から日本の降伏に向けて原爆とソ連参戦は不要だったよなあ、という気がしていて、この本はそれに答えるのかな、と期待して読んだ。
結論から言えば、ソ連参戦が決定的だったようだ。原爆は決して大きな要素ではなかったようだ。これは米国の自己正当化の論議を否定できる話である。

話は1945年4月のルーズベルトの死去とそれに伴うトルーマンの就任から始まる。トルーマンに加え陸軍長官のスチムソン、国務次官のグルーなどなどのさまざまなスタッフの考え方と力学が展開される。グルーや英国などの融和派は天皇制の維持をポツダム宣言に入れることに努力する。トルーマンや「苛烈和平派」とされる人々はそうではない。スターリンはもちろん後者である。天皇制維持を許す許さないのニュアンスにより、日本に早く降伏させるか、あえて拒否させるかという点の差異は大きかった。
もう一方の事情があった。原爆の開発とソ連の参戦意欲である。ソ連は終戦間際に参戦して日本の領土を分捕るつもりだった。ソ連の参戦は終戦を早め犠牲を減らす上で米国としても希望していたことであった。しかしそこで原爆の開発が間に合った。ならばソ連の参戦は必要ない、ということで、原爆で戦争を終わらせるつもりになった。
原爆の投下は軍の命令系統から7月25日に命令された。ポツダム宣言は7月26日であり、原爆の投下との関連で言えば単なる後付に過ぎない。ポツダム宣言はソ連の署名抜きで発出された。これは米国のある種のだまし討ちである。結局米国としては原爆投下のアリバイとして、またソ連なしで終戦に向かうべく、ポツダム宣言を出した。
スターリンは原爆投下にショックを受けたようである。しかしその一方で日本侵攻を急いだ。8月10日に満州に攻め入り樺太、千島を取っていったが、9月2日の日本の正式降伏にはさすがにおとなしくする必要があった。北海道の北半分をもらうつもりでいたようだがそれはできなかった。北海道の人間を徴用するつもりが、アテがはずれたので関東軍のシベリヤ抑留となったらしい。そもそも関東軍はいきなりシベリヤに送られたのではなくとりあえずは現地で捕虜になっていた。

さて、こうした動きに対する日本の動きだが、結局天皇さえも一撃和平論者でありソ連の仲介を信じるものであったから、ソ連参戦を見るまでは結局のところ日本は降伏しなかったであろう。著者としては、ソ連がポツダム宣言に署名するなどしていれば戦争終了はもう数日早かったかもしれない、と論じている。そのとおりであろう。しかしソ連に裏切られるショックがなければとにかく降伏の決断はできなかった、ということだ。
本書から少し視野を広げればサイパンの陥落~沖縄戦の敗北の約1年のどこにでも降伏の可能性はあったと思う。ただ首脳たちがまともに方向を考えなかっただけである。これは天皇も例外ではない。戦争目的がわからないと同じく降伏ポイントもわからない。結局中立を見込んだソ連の裏切りで絶望するしか降伏の仕方がなかったんだなあ、と思うね。まあ軍人が強いといえばそれまでだけど、サイパンぐらいのころ以降は負けてばっかりの軍の首脳なんだから閣議なんかでぼろくそに言われたって仕方ないぐらいだと思うんだけどねえ。

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