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ダグラス・マレー「西洋の自死」

2019-01-14 11:19:04 | 書評
ヨーロッパが難民の受け入れにより変質し、自死ともいえる変化を始めており、それはおそらく不可逆というお話。難民による社会の変質は結構以前から続いており、それに対してヨーロッパは驚くほど無防備だったようだ。
それでも最近の難民の量は圧倒的である。僕でも覚えている例の子供の溺死体のセンセーショナルな報道は受入増加という意味ではやはり決定打であったようだ。国内を締め付け辛うじて秩序を保っていたアラブの独裁政権たちがアラブの春で倒れ、その結果として国内が乱れて難民が流出する。これらは既にギリシャやイタリアをひどく疲弊させていた。メルケルは移民について2014年末に既に前向きの(あるいは反対派をたしなめる)メッセージを発していた。ただここまではある意味理性的な両派の論議が可能な状況だった。
しかし7月ごろからドイツではメディアでの移民・難民の取り上げられ方がセンセーショナルなものになる。7月には難民の少女がメルケル臨席の生番組で泣き出すということがあった。8月にはメルケルは難民問題へのより積極的な関与を表明、「欧州の門戸を開いた」形となり、多くのマスコミが賛意を示した。この時点ではまだ反対論は表明されていたが、メルケルの声明の2日後、シリアの少年アライン・クルディの溺死体の写真がでかでかと報道される。これ以降難民に関する論議はすべて感情的要素が支配的となり、難民への障壁は次々と崩れていった。
なんというか、平和ボケ、じゃないが善人ボケだね。いいひとごっこというか。白豪主義の裏返しの慈善主義というべきものか? 日本だとここまで感情的に崩れるとは思いにくい。

昔にユーロが発足しようとした時、僕は「固定交換レート下では人の移動で経済格差の調整が行われる(労働の限界生産性の高いところに労働者が移動)はずだが、ヨーロッパといってもさすがに言語・文化の違いはあり、それほど進まないかもしれない」「となると、日本の大都市集中のように(日本国内は単一通貨)、地方の貧困化と資本・人材の東京等大都市集中が生じる。それを緩和するため地方交付税交付金があるが、ユーロではそういうやり方は政治的に困難なのでは?」などと思い、また人にも言っていた。
その後ユーロが発足してしばらくしてから南欧の困難とドイツの一人勝ちが定着した。ドイツはマルク高に悩まされず自国にとっては割安なユーロのレートのおかげでごっそり儲かっており、南欧は逆に自国にとって割高なユーロのレートで困難が生じているのに、ドイツは南欧の困難は自業自得と言って援助に渋面を見せる。ここは明治以来人材を地方から吸い上げてきて、実際吸い上げられてきた人間かその子孫で構成される東京の政治経済のエリートたちとはずいぶん認識が違う。まあ国が違えば仕方がないかもしれないとは思うが。
ということで後者の予言というか懸念は正しかったのだが、前者の方はさすがに言語・文化の壁が少なからずあったようで目立たなかった(ゆえに南欧の失業率は高かった)。ところがここでついに、押し寄せる難民がドイツ・スウェーデンを目指して、労働市場の調整に動く、という皮肉な結果が生まれているようだ。難民の動きは経済合理的であって、失業率の低い国に押し寄せるのは当然のことである。ドイツはより難民に悩まされ、その結果競争力が低下して他の地域との均質化が図られる、ということなのだろうか?

まあ、著者の言う通りヨーロッパは死ぬのだろう。それも自らの態度が招いた結果として。特に、非寛容なイスラム教徒を、特にスンニ派を無警戒に過度に寛容に招き入れるのはあまりに無警戒だったとしか言いようがない。この先ヨーロッパが「守られる」とすれば、いささか暴力的なものも含む強度の移民排斥の動きがある、と想定せざるを得ない。もしそれが起こるなら早い方がいい。少しでも犠牲は少なくなるように思う。

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