ノルウェイの森を終えた日の帰り本屋で買って昨夜今朝で読了。やっぱり達人なのかな、適度に興味が続き、その一方で(これは大事だが)だるいとか面倒とか、反発を感じさせたりする部分がなく素直であるので結局続く。
誰かが書評で言っていたが、確かに14章で自分たちを「衛星」に乗った生き物と捉え時々すれ違い同行したり分かれたり果たせぬ約束を交わしたりするのだ、と主人公が感慨するところで終りかな、本筋部分は。しかし15章で彼は「下界」に帰る。そして万引きしたガールフレンドの息子を引き取り、言葉を交わし、その息子に「赦される」。そしてガールフレンドと別れることにする。失踪したすみれを思い。だが15章を合わせて考えるとこの世にけりをつけ、生きて者に教訓を残したのかもしれない。
15章はどう理解すればよいのか。すみれから遂に連絡がはいった。その電話は一旦切れて再度のコールを彼が待っているところで終わる。次の電話はなかなかかかってこない。しかし「もうとくに急ぐ必要はないのだ。僕には準備ができている。僕はどこにでも行くことができる。」そして最後に「・・両方の手のひらをじっと眺める。僕はそこに血のあとを探す。でも血のあとはない。血の匂いもなく、こわばりもない。それはもうたぶんどこかすでに、しずかにしみこんでしまったのだ。」
このコールは実は帰ってきたのではなく「僕」がすみれが連絡を取れる場所に来たため入ったのではないのか。迎えに行くことで境目にいる彼は決定的にあちらがわに行くことになる。そして彼はそのつもりである。最後に手に血の跡を探しているのは、この世で行なった闘いの痕跡、自らの罪を眺めているのだろう。それがしみこんで浄化されたところで小説は終わる、と理解した。
と、このあといろいろ検索してみたが終章が何を意味するかは議論の分かれるところのようだ。現実派が多いが、その一方でぼくとみどりが同一人物で人格分裂しており、最後に統合されるというそれはそれで尤もな解釈があった。
誰かが書評で言っていたが、確かに14章で自分たちを「衛星」に乗った生き物と捉え時々すれ違い同行したり分かれたり果たせぬ約束を交わしたりするのだ、と主人公が感慨するところで終りかな、本筋部分は。しかし15章で彼は「下界」に帰る。そして万引きしたガールフレンドの息子を引き取り、言葉を交わし、その息子に「赦される」。そしてガールフレンドと別れることにする。失踪したすみれを思い。だが15章を合わせて考えるとこの世にけりをつけ、生きて者に教訓を残したのかもしれない。
15章はどう理解すればよいのか。すみれから遂に連絡がはいった。その電話は一旦切れて再度のコールを彼が待っているところで終わる。次の電話はなかなかかかってこない。しかし「もうとくに急ぐ必要はないのだ。僕には準備ができている。僕はどこにでも行くことができる。」そして最後に「・・両方の手のひらをじっと眺める。僕はそこに血のあとを探す。でも血のあとはない。血の匂いもなく、こわばりもない。それはもうたぶんどこかすでに、しずかにしみこんでしまったのだ。」
このコールは実は帰ってきたのではなく「僕」がすみれが連絡を取れる場所に来たため入ったのではないのか。迎えに行くことで境目にいる彼は決定的にあちらがわに行くことになる。そして彼はそのつもりである。最後に手に血の跡を探しているのは、この世で行なった闘いの痕跡、自らの罪を眺めているのだろう。それがしみこんで浄化されたところで小説は終わる、と理解した。
と、このあといろいろ検索してみたが終章が何を意味するかは議論の分かれるところのようだ。現実派が多いが、その一方でぼくとみどりが同一人物で人格分裂しており、最後に統合されるというそれはそれで尤もな解釈があった。