御託専科

時評、書評、そしてちょっとだけビジネス

モラトリアムおやじ

2007-09-01 23:03:32 | 書評
これは書評というより全くの独り言である。
珍しく自己啓発本を読んでいてふと思った。その本は目標を設定してそれを達成するために時間をどうマネージするかをしっかり見るよういっている本である。ある意味当たり前のことを言っているわけだが、小生にとっては新鮮であった。
何しろ、いいトシなのにこれまでまともにそういう発想をしたことがなかった。あ、そうか、というような具合である。むしろ僕にはやりたいことなどなく、できるだけオプションが多いポジションに居たい、というだけの発想しかなかった。欲がないみたいだけどつまりそれはできるだけ高いポジションでありできるだけ多いお金、ということだ。なりたい者があるわけでもなく買いたい物があるわけでもないが、結果妙に欲張りである。あ、それとその一方で無駄骨をひどく警戒する。
そうなるとあまり没入ということがなくなる。集中が弱り、他のオプションに目が行くことになる。これは得策ではないのかな、とちょっと思った次第。なんだかんだ一時はやった「モラトリアム」ってやつを中年ど真ん中になっても引きずっているみたいだ。ま、無理やり決まらないものを決めるほうが法外という物だから決まらなきゃそれはそれでもよいのだが、これからはオプションの選択の機会があれば損得や無駄骨を恐れずやってもよいかな、と思うこのごろである。

渡辺京二特集

2007-09-01 22:43:29 | 書評
「逝きし世の面影」のあと、渡辺京二氏の本を3冊ほど続けて読んだ。「江戸という幻景」「なぜいま人類史か」「近代をどう超えるか」
「逝きし世の面影」で新鮮な衝撃があったので自分の生き方に何らかの再考のヒントを得たいと思ったためだが、正直それほどダイレクトに結びつくものを見つけることはできなかったという気がする。

ぜんぶでたった4冊のみで、それらもそれほど読み込んだともいえないのでえらそうなことはいえないが、おそらく問題意識がシンクロしなかった、ということだろう。「一つひとつ具体性を持った生々しい生命活動をグローバリズムは単純化し、抽象化してしまう。その結果、生きていることの内容が貧しくなってしまう。」と渡辺氏はいっている(9.11とグローバリズム)が、これは、神々がつかさどると考えられていた天候や星の動きが科学によって人々の現実認識から追放されたように、ある意味必然ではなかろうか。
そういったことに反抗するため人々は古き神を復古させたり(イスラム原理主義)自らの神秘認識=意味認識を構成していてその最先端が東京の秋葉原である、と思うのだが。この後者の動きがある意味大きくは閉塞していた、というか包まれ守られていた江戸の中で醸成された文化に似た物をもたらすのかなあ、とは思う。あまり筆者の好む方向ではなさそうだが、是非そのうち触れてもらいたい話題である。