御託専科

時評、書評、そしてちょっとだけビジネス

「ノルウェイの森」村上春樹

2007-09-11 11:21:30 | 書評
たまたま図書館で村上春樹を取り上げた一角があった。「世界の終わりと・・」「海辺の・・」「ねじ巻き鳥・・」などを読みはしたものの、この世界的人気を誇る作家の魅力は理解できていないことを思い出し、解説本を借りた。村上作品の翻訳者のシンポジュームのようなものの記録で、要は村上オタクが世界から集まってきて盛り上がっている様子を書いた本である。それを借りつつ、手元にある村上作品が「ねじ巻き・・」しかないので、「参考文献」として借りた。

ということなのだが、これが大変面白かった。日曜の夜に読み始め、月曜の朝の電車で上巻を終え昼休みに下巻に入って同夜読了した。すごく単純に言っちゃうと語りが素直なんだなあ、と思う。

まとめてどうのというのは難しいが2点ほど。

性的な要素が小さくない。あのトシゴロの人々を語る話としては自然であろうともいえよう。性を特殊扱いしない江戸の伝統のようなものを感じなくもない。性の語られ方もおおらかで力みも恐れも何もない。女子大生の緑が「ヤリまくる」などというのはどう見ても江戸の井戸端のおばはんである。同じく緑が「自分を想像してマスターベーションしろ」と言ったり自分の性的妄想を喜々と語ったりして主人公をうんざりさせたりする。
そうすることで、男女の間の性欲を超えた連帯であり気持ちのやり取りが生まれているように見られた。性欲を超えることで、おそらく性的魅力を超えたところまでコミュニケーションを進めることができているのではなかろうか。

もう一点は、淡白なことかな。淡白といっていいのかどうか。主人公はそれなりに人と接しており人並みのさびしがりやでありながら、なんとはない「離人感」を漂わせている。世界の意味を実感できない精神分裂気味である。そこを好く人たちに囲まれているので、青年期に良くある世間の基準とか他者との競り合いに巻き込まれず済んでいるように見える。
主人公だけではない、筋立てもずいぶん淡白だ。なぜキズキが、直子が自殺したのか、ほとんど追求されることなく終わっている。敢て読者に考えさせる余白、というよりも、むしろ登場人物たちは、出来事を受け取ってそういうものとして消化したり将来別の気付きが生じるのを待つ、という感じである。