御託専科

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羽入辰郎「マックス・ウェーバーの犯罪」

2005-12-20 23:59:39 | 書評
うーん、なんか次々と従前の枠組みが壊れていくような気がする。
この本は、ウェーバーの「プロテスタントの倫理と資本主義の精神」が資料操作にまみれた犯罪的作品である事を言っている。さすがに細かい論証をいちいち追う気力はないが、納得は十分できる。僕も最初に読んだときに重厚で魅力的な雰囲気は大好きだったが、フランクリンの使われ方は少々違和感を覚えた。むしろそんなところより中世にぶどう園で働く人の給与を倍にしたらみんな半分しか働かなくなった、なんて(多分末葉の)エピソードをよく覚えている。

最近事大主義的な論議はすべてのことが単なるまやかしだったんではないかなあと思うところがある。それはフッサールやハイデッガー、デリダなども含みもしかしたら立花隆や養老さんなんかもそうなんかな、なんて思う。小泉さんが(僕の中では)まだましに見えるのは実行すべきことと結びついた言説だからだろう。知識人的発言なら見向きもしない。

著者の言っている「ウェーバー産業」に関する記述は殆どすべてのまやかしの言説に当てはまる。
①わからない言説だからこそ魅力がある。不可解ななぞめいた言葉だからこそ人々を魅了する。
②中に「わかる」と称する人が出てくる。そして不可解な言説の解説本などを出し、不可解な言説を秘教に高めてゆく。
③わからぬ人は、「わかる」という人を見てあせり、羨望し、いつかわかろうとする。いわば秘教の一般信者となる。

加藤尚武氏が「現代思想はマッチポンプかも」なんていってたが、そうなんじゃないかな。それを極めれば普遍にたどり着き涅槃に入れるような思想体系なんてないんだろうな。

著者は大変な勇気で「ウェーバー産業」の構造設計書の欠陥を暴いたわけであり賞賛に値する。強靭な地頭を持つ奥様もすばらしい。真実の提唱のためか、失礼ながらあまり恵まれない境遇に見えないわけではない。真実を語ることのコストが高い世の中とどう付き合えばいいんだろうね。