毎年、8月1日になると、悲しい思い出がよみがえる。
花火が好きだった娘は、友達とよくPLの花火大会に行っていた。
そのPLの花火大会がある8月1日が娘の命日だからだ。
今年はコロナの影響で中止になったので、娘はあの世で悲しんでいるに違いない。
この時季は暑い日が続くが、16年前のこの日も連日の熱帯夜でなかなか寝つけずにいた。
寝苦しいのは熱帯夜だけのせいではない。
病床で生死をさまよっている娘のことが気になっていたからである。
夜明け前、ようやく寝入って暫くしたら病院から「娘さんの容態が…」との電話が。
取るものもとりあえず急いで病院へ車を走らせた。
「どうか奇跡を起こして下さい!」
何度も何度も神様仏様に念じながらハンドルを握った。
ざわつく心を抑えながら病室にたどり着くと、娘は静かに眠っていた。
ベッドの脇の医師、看護師、神様仏様に一縷(イチル)の望みを託した。
3時間後、必死で奇跡を懇願(コンガン)するも願い叶わず「ご臨終です」。
私は冷静さをよそうも胸が張り裂けそう。妻はただただ泣き崩れて取り乱すばかりだった。
娘は肺を患い約1か月の闘病後、ダンスを極めたいとの夢を果たせずに息を引き取った。
あと1ヶ月と13日で26歳の誕生日を迎えるという、若い身空での旅立ちだった。
それまで私は父親や母親や兄や姉とも死に別れたが、これ程辛い別れはなかった。
思い出すと今でも胸を締め付けられるが、そんな思いを和らげてくれることがある。
それは毎年8月になると娘の友達が墓参りの後、娘の仏壇に手を合わせに訪れるからだ。
そして、我が子の様な彼女たちと娘の思い出話やお互いの近況を語り合う。
16年も経つのに、未だに娘を思って来てくれる友だちがいるのは誠に有難い。
因みに8月1日は肺の日、花火の日だとか。