こげの耳に★ねんぶつ★

たわいない日々の思うことと愛犬こげと花が咲いていたら花の写真など

行者さん清掃 ②

2009-12-26 05:17:08 | 和歌山県
祠の後ろに転がっていた石には『コバン二千両』の文字が彫られていて、私たちは

キャーキャー!私はその石の側面に目を向けたのでした。墓石にしたって石碑にし

たって、だいたい側面裏面にも文字が彫られているのは何度も体験してきましたか

らね。ではではこの石の側面にはなんて彫られているでしょう。


                  わかりにくい

非常に読みづらいですがそこには『文永○』私は三とも読めたのですが○部分。

その横には『杉岡氏』と彫られていて「杉岡って彫ってる」と言うと「杉岡さんは

もう亡くなっていてこの土地にはおらへんわ」という声。さてさて反対側の側面に

は何か二千両に関係のある文字がないでしょうか?



そこには『愛民会』?って・・・。その前に文永ってのは鎌倉時代にある年号だわ

その時代の杉岡さんがここにまさかの『コバン二千両』を埋蔵した?非常に嘘っぽ

い話だなぁ(笑)。私は大昔杉岡さんがやってきてここに住んだ・・・この土地で

は城を構えたとも言い伝えられているけど、それが杉岡さんかどうかは定かではな

い。ここからが私の一方的な説ですが、見晴らしの良いこの山に隠れ住んだのか

この村を治めたのか大層お金を持っていて、それをこの山か城といわれるどこかに

隠したけど、誰かが盗った。ので、後々の地区の人が杉岡さんを偲んで建てた石?

まさか、ぼんくらさんの記事のような不思議なことがあって鎮めるためにというの

ではないと思う。第一、コバンって鎌倉時代にあったかな?二千両という金額?も

江戸時代以降のような感じがするし、万が一本当に埋蔵金としてあったのを誰かが

掘りだして持ち逃げしたら、どこからかそんな話漏れるでしょう・・・。それに

『愛民会』というネーミングも明治以降のにおいがします。行者さんにこのような

石があるのを知っていたという人に聞くと「子供の時からその石は置かれていて、

コバンを探し回った」と言っていたし、案外このような話が一大ブームを呼んだ

『徳川埋蔵金』ってことになるのかもしれないなぁ。現世の『埋蔵金』なるものは

なにやら本当にあったようで政権交代前にいくらか引き出されていたという話は

本当かもしれないけど、こんな片田舎の二千両、夢があるといえば夢があるけどね

でも、この場所は行者さんを祀った場所だからみんなが『行者さん』と呼ぶのであ

って、行者さん信仰、山岳信仰の場所は杉岡さんよりずっと昔だと思うので、杉岡

さんは行者さんのところにもぐり込んだ落武者かもしれません。

区長さんがとうとう石をめくってしまいました。が、そこにはなんの文字も彫られ

ていませんでした。



ではなぜ、倒しているのか?台座のようなものもあったのでその上に置かれていた

のは想像できますが、たぶん立てては埋蔵金目当てにひっくり返されるので、もう

倒しておけ!ということかもしれません。本当にあれば800年?そりゃもうこの

山頂は幻のゴールドラッシュで山賊やら農民やらでにぎわったでしょな。

 ここはけっこう広いので城を構えたとか言われたのかもしれませんが、参加者の

なかに子供時代ここで行者さんの餅まきに来たことがあるという人もいたので、餅

まきができるくらいの広場になっています。


       山のてっぺんであり、まともに風を受けるみたいだ

ここまで私は肝心の行者さんの祠に手を合わせていないことに気がつき、区長さん

夫妻が祠の前を清掃サカキの枝を挿しかえてから、上から(失礼だが)覗き込んで

「?」もう一度覗いてやはり「?」正面に立って区長さんに「あの、これは?」

「ああこれは 前の区長さんが賽銭箱にと置いてくれたんや」「どおりで。。これ

がご神体なら私、どうしょうかと思った」 たしかにご神体よりこっちが目立つ。



このキャラ、新聞広告で見たディスカウントショップの店長かもしくはフジテレビ

の「めざましてれび」のえらっそうな軽部真一アナにそっくりだ!!軽部アナのほ

うが若いか?後ろに座られているのが行者さま、役行者(えんのぎょうじゃ)とな

る。調べてみました! いわれはいろいろあるが役行者は熊野や大峯の山々で修業

を重ね、吉野の金峯山で修験道の基礎を築いた。平安時代に山岳信仰の隆盛と共に

『役行者』とよばれるようになった。ゆかりの寺社は和歌山県にもあるので、昔は

そこに行けないこの土地の病いの人は、祠の前で横になりその上を女の人にまたご

えてもらったそうだ。行者さまは 頭に頭巾をかぶり、一本歯の高下駄を履き、

右手に巻物、左手に錫杖(しゃくじょう)を持ち、前鬼・後鬼と一緒に描かれる。

まさにこの祠に安置されているのが『役行者さま』のようだ。『役行者』はあの

NHK人形劇『新八犬伝』にもゆら~っと現われてきたりしたのだが、偽軽部アナ

がどうも笑いをさそうのだ・・・。でも、祠はいかにも年代物だが、ご神体が新し

すぎるように私は思った・・その時なんと祠の横に現れたのが・・じゃじゃ~ん




祠の左にチラリと見える、石仏のようなもの前に人がいたので半分しか写せません

でしたが、どう見ても右のご神体と形が似ています。高さも同じように合わせて

置かれていましたので「これは古いご神体ではない?」と周りに問いかけましたが

「それはカエルの形で無事に帰るじゃない」という幾らか年上の方がそう言うので

「いやでも、ほら首から上は欠けたか無くなって・・・」と言いかけたら「首が無

いなんて、嫌なこと言って」と却下されてしまいました。でも絶対、左が昔の祀ら

れたものだと私は思っている。その場の雰囲気を壊したらあかんものね、若輩者は

調べたものには、単に右手左手と書かれていたけどそれは向かって右手左手でしょ

うね。錫杖を持っていたところは茶色くサビの跡があるけど、錫杖はありません。

でも、この姿は『天狗』にも似ていますね。あれはヤツデの葉っぱを持っていた。

天狗は修験道を身につけてはいるけど、仏道の邪魔をする妖怪という設定でした。



                  下山開始

そうそうこのメンバーには登山経験の女性もいて、私は「もし遭難したら大丈夫や

ね」と和気あいあいで登りました。下山をはじめて、登るより下って行くほうが

緊張感あります。写真の箇所はまだ階段状ですがただの坂道になっているところも

あり、間違えばかなり下まで転がって行きます。

途中で四人がお正月のウラジロをみつけて、採りに行ったので私ともう一人は先を

急ぎました。降りてから振り返って行者さんを撮影。



伐採したところに燈篭が置かれています。そこにも年号が彫られていましたが、

写すのを忘れてしまいました。そこのところから上へ登って行き、後ろの山のてっ

ぺんが行者さんと『コバン二千両』石塔の場所です。足は平気でしたが、なにより

頂上に向かって竹ぼうきで掃き続けたので右肩が、疲労困憊で翌日は肩こりみたい

になっていました。







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