ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

あの日

2013年11月26日 | 歌う





          二人いて 枯葉にやさしさ 拾う校庭(にわ)




           落葉の美しさは、人を立ち止まらせる。
          思わずしゃがんで手をのばさせる。
       
            いっしょにしゃがんで、
            いっしょに手をのばして、
            いっしょに枯葉を拾う。

            気を引く説明をして、
            その子の目を覗き込んで、
            その手に一枚を握らせる。

          まばゆい日差しの下で、とても、校庭が広かった!

                あの日

          




        私は知った。神のなさることはみな永遠に変わらないことを。
        それに何かを付け加えることも、それから何かを取り去るこもできない。
        神がこのことをされたのだ。人は神を恐れなければならない。
                      (伝道者の書3章14節)






                      
            
          
       

感謝祭

2013年11月25日 | 日記





     昨日は、教会で、感謝祭のパーティがありました。
     持ち寄り食事会でしたが、教会で七面鳥の丸焼きを一羽分、用意しました。

     七面鳥って、鶏肉より肉がしまっていて、固くなくて、むしろマグロなどを
     しっかり煮たらこんな味かなと思わせられます。
     でも、今は、鶏肉も七面鳥もみんな「飼育場育ち」なので、野生の七面鳥の味はどうでしょう。



     感謝祭は、1620年、イギリスからアメリカの東海岸に移住したピルグリム・ファーザーズの
     最初の収穫を記念する行事だと伝えられています。
     今では、アメリカとカナダの祝祭日ですが、聖書に直接、その起源をもつものではありません。
     聖書には、仮庵の祭りと呼ばれる荒野の40年の感謝を記念する収穫祭があり、
     現在では、イスラエルで(ユダヤ教の祭りとして)行われています。    
      
     ハロウィンは、古代ヨーロッパの原住民ケルト族の収穫感謝祭に起源があるとされ
     キリスト教の祭りだと思っている方も多いのですが、
     キリスト教会では、とくに行事をしないと思います。


     日本では、古来、新嘗祭(にいなめさい)という収穫のまつりがあり、
     これが、第二次大戦後、勤労感謝の日という祝日になりました。
     また、各地に残っている村祭りのほとんどは収穫祭です。   
     農作物が実ることは、死活問題の最善の答えでしたから、これを祝うのは当然ですね。



      りんごまた りんごを引き寄せ りんご焼
















    

2013年11月24日 | 歌う





        こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。
       その中で一番すぐれているのは愛です。
                      (新約聖書・コリント人への手紙Ⅰ13章13節)




         結婚式で、牧師が新しく結婚するカップルに与えた聖書のことばです。
         とても有名なパウロの言葉で、13章全体として読むと、男女の愛以上の大きな愛について書かれています。
         信仰とは何か。たとえ、神のご命令を守って、
         能力(賜物)の限りをつくし、行い(律法)の限りを尽くし、知識(聖書知識)の限りを尽くして、信仰に殉じても、
         「愛がないなら、何の値打もありません」と、パウロは言います。

         深読みすれば、新郎新婦が医師のカップルであったので、
         この箇所を選ばれたのかとも思います。

         私たちは、クリスチャンでない方であっても、無神論者であっても、
         みんなある信仰に生きているし、
         希望を持たないでは生きていられないし。
         けれども、どんな大義を掲げ、理想に殉じ、大事業をおこなっても、
         愛が伴わなければ、熱心を牽引する中心が愛でなければならないのは、
         だれもが認めるところではないでしょうか。

         このような愛に、私ももっと早く気が付くべきであったと思うのです。

   
         よろこびに顔を輝かせている二人の、前途の祝福を祈らずにはいられません。














結婚

2013年11月22日 | 歌う






          晩秋の 朝冷え破り 昇りきた     
                    朝日うれしく この身をさらす




       昨夜は夜中に寒さで目が覚めました。
     
       寒暖の差の大きさに体調を壊す時期です。

       今日も真っ青な空が広がっています。
       今日は久しぶりに都心に行きます。
       久しぶりにドレスアップしなければなりません。

       明日は姪の結婚式です。
       一応チャペル結婚式です。
       
       牧師さんはどんなメッセージをされるのでしょうか。


       

         創造の初めから、神は、人を男と女に造られたのです。
         それゆえ、人はその父と母を離れ、
         ふたりは一体となるのです。それで、もはやふたりではなく、一人なのです。
         こういうわけで、人は、神が結び合わされたものを引き離してはなりません。
                         (新約聖書・マルコの福音書10章5節~9節)


















きらきら

2013年11月21日 | 歌う






        屹立(きつりつ)す 銀杏並木に 深呼吸



          真っ青に晴れた秋の空は、見飽きることがないですね。
      
          曇る日や雨の日があることさえ、忘れてしまいます。

          ある夜、木枯らしが来て、
          これら枝を彩る金色の葉を、吹き散らしてしまうでしょうが、
          そんなこと、銀杏たちは心配していない?

     
          誇らしげに黄変して、
          楽しげに背伸びして、
          通りを行く、何千人もの人に、
          「きれいね」と言わせて、

          ある日、木枯らしが来て、
          金色の葉をぜんぶ、吹き散らしてしまうことさえ、
          「あったりまえでしょ」

          しんしんとした寒気に、裸木をさらす夜のことも、
          年が明けたら、新芽の準備をしなければいけないことも、
          「まあ、その時が来たらね」

          真っ青な空の下の、美しい幸福にも、
          何にも言わずに、

          

          まだ、今日も屹立している。
          きらきらと輝きながら。      









      
      
      
           、