ぶつぶつ地蔵

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大津巡礼 ~桜井編~

2012-08-10 12:46:31 | 呟き
引き続き、大津巡礼です。
名張から電車でずいっと移動し、桜井で下車。
以前、嫌な上司が住んでいたのと鞍作贔屓なオイラ的に桜井は鬼門だったのですが、嫌な上司が大阪府内に引っ越し(会社にはいるけどね)最大の嫌なことが一つ消えたことで、桜井を散策する決心がついたのであります。
まぁ、今でも鞍作贔屓は変わらずなので多少の微妙感はあるんですが。

それは置いておいて。

この地での目的は、大津の生活圏を偲び磐余池を目指す・・・とゆーものでした。
桜井駅からまず目指したのは「春日神社」。
しかしこの付近に春日神社は何件あるねーん!!て突っ込みたくなるくらいあります。ぱっと地図を見ただけでも4つはあるでしょうか。(実際にはもっとあるかもしれません)
ひとまず・・・吉備池にある大来と大津の歌碑の近くにある春日さんを目指す。
道を間違え行き止まりだったりしながらも、民家の間を通り抜け何とか到着。
神社の入り口には神武天皇縁の磐余邑だとの碑があります。

知識の浅いオイラなのでブログを書くに当たり調べなおしました。
この土地は神武天皇東征の折、長髄彦(ながすねひこ)と戦った場所であるとのことです。

吉備春日神社。
用明天皇が建てられた磐余池辺双槻宮(いわれいけべのなみつきのみや)跡と伝えられている場所です。
大津と何の関係が?と思われるかもしれませんがこちらを見れば一目瞭然。

どーん♪
御柱の一柱として祀られているのであります。
小さな神社ですが、木もたくさん茂っていて個人的には好きかも♪
この辺りには木材を扱う会社が多いらしく、神社のお隣でもトンテントンテンと何か木工をしている音がしておりました。
境内にある碑は大来の歌です。

神風の 伊勢の国にも あらましを なにしか来けむ 君もあらなくに
どうして伊勢から帰ってきたのだろう。もうあなたはいないのに。。。

大来が大和に帰ってきてから、しみじみと改めて大津のいないことを感じて読んだ一句何でしょうね。
あ、歌に一応の訳を着けていますが、オイラの超訳ですからあまりアテにしないでね。大きく外れた訳はしてないと思うけれど、ちゃんとした訳文はご自分で調べてくださいませ。

石灯籠の下に座り込み、地図をもう一度見ながら水分補給いたします。
しばしの休憩の後、神社の近くにある吉備池に。
吉備池には大津と大来の二人の碑があります。

こちらは大津の歌碑。

百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ
磐余池で鴨が鳴いている。自分は明日にはもう見ることができないのに。

大津の辞世の句と言われている歌ですね。
「雲隠りなむ」の言葉は、高貴な人が亡くなった様を表す言葉で自分のことを表さないんだって。なので、最近では、大津の歌ではなく後年の人が大津を歌った歌であろうとの見方が強いらしいです。しかし誰が作ったかは関係なく、大津が詠んだと信じたくなるほど大津の心を詠っていると評されていますね。

この大津の歌碑を横からそっと見つめるように大来の歌碑がすこし離れた場所にあります。

うつそみの人なる吾や明日よりは二上山を弟背(いろせ)と吾が見む
この世にいる私は、明日からは二上山をあなたと思って見ることとしよう


この歌碑の位置からは二上山がきれいに見えます。
右側の後ろの方に、ポコポコっと二つの頂をもつ山が二上山です。
ちなみにこの記事のTOP写真は、吉備池の大津の歌碑とその横に建てられたお地蔵様のショットです。大来の歌碑と一緒に撮るのは携帯では厳しかった^^;
お二人の歌碑を写すのに躍起になって、吉備池を写し忘れたのは無念です(爆)
吉備池からは7世紀前半のものとみられる寺院跡が発掘されています。吉備池廃寺と名付けられた遺構ですが、どうやら吉備池の方が後に作られたものらしいですね。
舒明天皇が建てられた、百済大寺だと現在では考えられているそうな。大官大寺の碑が建てられているそうですが、オイラ、そこまでたどり着けず。。。(このころ、すでに足が痛かったのだ^^;)

吉備池を後にし、次に向かったのは稚櫻神社(わかさくらじんじゃ)。。。のはずだったんですが。。。水分確保のため入ったサークルKさんで地図を見せて現在地を確認すると、何故か165号線に出てしまってました。
稚櫻神社とは別方向じゃん。
サークルKさん付近地図を見るとオイラの地図には載っていない春日神社があったのでひとまずそこへ。
けっこう新しい綺麗な神社でした。こちらの春日さんも吉備春日さんですが、御祭神には大津は入ってませんでした。(それ以外の神様はいらっしゃったんですが。)
そんな訳で、お写真がありません(←オイ^^;)

春日さんから165号線へ戻る途中、大きな虹が!

めっちゃきれーい!
思わず声が漏れるくらい綺麗でした。
確かに何度も狐の嫁入りがありましたから、虹が出ても不思議はなかったんですが。
大阪でこんな大きな虹を見たことはありません。
山が近くにあるからでしょうか。クッキリ大きくて綺麗な虹に感動です。


見えるかなぁ。。。うっすらと二重の虹にもなってたんだけど。


虹の足元を見たのも初めてです。

大津にエールをもらった気がして、足が痛くても頑張れる!と再度、稚櫻神社を目指したのであります。

さてサークルKのお兄さんが教えてくれた位置を元に、テクテクテクと地図を見ながら歩きます。
ここを曲がったら神社があるはず!と勇んで曲がったんですが。。。稚櫻神社は一向に現れません。
うーぬ。。。と思いつつ歩いていると「みずし」の文字が。

ん?

御厨子神社に向かってたようです。
どこで地図を見間違えたのかさえ解りませんが、とにかく目的地の一つですから。。。御厨子神社^^;
素直に導かれるまま、御厨子神社へ。

御厨子神社と妙法寺の参道の手前に大津の歌碑があります。

百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ

この歌碑の後ろ側に磐余池が広がっていたと言われています。

こんな感じだったのでしょうか。

大津は訳語田(おさだ)の家で死を賜ったとされていますが、辞世の句が磐余池を詠んでいます。
オイラ個人の考えは、訳語田の家で沙汰を聞き、磐余池のほとりで刑が執行されたのではないかと思うのです。
大津の住まいであった訳語田の家は、訳語田幸玉宮といい敏達天皇の宮でありました。
そこを血で汚すとは考えにくいですものね。

磐余池のあったと思われる水田と紺碧の空を見ながら、大津に思いを馳せるのであります。

さて、せっかくですのでもちろん御厨子神社へもお参りいたします。

清寧天皇磐余甕栗宮跡と言われる御厨子神社。生気をいただける有難い神社なんだって。


足が痛くてヘロヘロでしたが、何とか本殿まで辿り着く。
後から再度調べて知ったんだけれど、裂目の通った月輪石と呼ばれる自然石があるそうな。。拝んでなーい!!!しくったぁ。。。(しょぼんぬ)

そのまま妙法寺に出て妙法寺もお参りします。
 
吉備真備創建のこのお寺は、一願成就のお寺だそうです。
すでに5時近く。
本堂へのお参りのあと、ふと見るとこんな鐘が。。。


幸せを呼ぶ鐘だそうです。
撞いても良いよと書かれていたので、作法に則りひと撞きさせていただきました。

お願い事。。。特にこれって心に浮かばず、今日は有難うという思いを込めて撞いてきました。あ、稚櫻神社~。。。とはちょっと思っていたかも(爆)

石灯籠の参道を下り、大津の歌碑まで戻る。
途中、お寺の奥様でしょうか、居宅から出てこられた方に稚櫻神社への行き方を聞き、妙法寺を後にしたのでございます。

道を聞いて進んでいるので安心です。
ただ足はどんどん痛くなり、笑っちゃうほどゆっくり歩いて行きました。
歩きながら考えたこと・・・

この道を大津も散歩したかもしれない!
それだけで、オイラ頑張れる!!!
・・・ん?待てよ。
大津って、勝手に親しげに呼んでるけど・・・彼ってお貴族様。しかも皇族だじぇ!
こんな道を散歩してるわけないやん!!やんやん!
あだぁ。身分の壁を感じるぅ。。。

そんなバカなことを考えつつようやく到着。


旧称磐余稚櫻神社


履中天皇と神功皇后、さらに出雲色男命が祀られてます。
この出雲色男命の名前が気になりますよね。物部氏始祖・饒速日命の三世の子孫、また、長真胆連(稚櫻部造)の四代前の祖先にあたるなんだって。別にすんごい男前ってわけじゃありませんでした。(残念)


瓦に梅鉢模様^^
可愛いでしょう~♪

梅だけど、天神さんは関係ないみたいですね。

稚櫻の由来は、履中天皇が磐余池を作って皇后と舟遊びをしている時、杯に桜の花びらが散ってきた。時期ではない桜を不思議に思った帝は、物部長真胆連にその桜を探すように命じます。ほどなく櫻を持って帰ってきた事に喜んで、宮の名前にしたとのこと。候補地は今回訪れた池之内の稚櫻神社と谷にある若桜神社とあるらしいです。

御厨子神社妙法寺方面を稚櫻神社側から望む。

この稲穂が磐余池だったのかも。。。

すでに西日。
今日はここまでしか無理!と帰路につく。
んが、帰路っつーっても歩いて戻るしかなく・・・途中で見つけたタクシーを何度止めようと思ったことか(笑)
気力を振り絞り、歩く歩く歩く。(←運動不足が祟りまくり)

ようやく安倍文殊院の付近まで戻ってくる。
駅まであと一息。

そこで見つけた一軒のお店。
天平庵さん。
吸い込まれるように入っちゃいました。

お土産用のお菓子を選んで、包んでもらっている間、お茶とじょよ饅頭を出してくだいました。

もっちもちのじょうよの皮がとても美味しい♪
甘いアンコも疲れた体に沁み渡ります。
冷たいお茶で鋭気を養い、駅へと再度歩きだす。

もう、帰るつもりだったんです。
天平庵で頂いた鋭気は桜井の駅までしか持ちそうにありません。
大津の住んでいた訳語田まで足を延ばす気力はもうなかったんです。。。
大津の住んでたところは、またの機会にするねって言ってたんです。


んが。



歩いているとこんな文字が。

ここから戒重だよって。
これ、「かいじゅう」と読みます。
ギャオスの怪獣ではなく、戒を重ねるとかく戒重。

はるか昔。そう、1300年前に訳語田と呼ばれていた土地は現在「戒重」と名を改めているのであります。

大津が呼んでいる。。。
そう思ってもいいよね?

多分ね、源さん(井上源三郎氏@新撰組)が大津にチクったんだと思う。
「この子、来る来るいうて、なかなか来ませんよ。私にもね、伏見に来たとき源さん巡るからねって言っておきながら、まだ来てませんねん。ぴゃーっと通り過ぎる電車の中からごめーんって言うだけ。大津さんももし来てほしかったら今日、無理させといたほうが良いでっせ。」って。

鼻先に戒重という名のニンジンをぶら下げられ、一路訳語田春日神社を目指します。


169号線沿いに、訳語田春日神社はあります。
意外といい感じですね。
先にも書いたように、敏達天皇が宮を置いた場所です。


御祭神は
主祭神:天児屋根命(あめのこやねのみこと)、天太玉命(あめのふとたまのみこと)、武甕槌命(たけみずちのみこと)、売神(ひめのかみ)
末社祭神:大物主命 (おおものぬしのみこと)、琴平社、保食神 (うけもちのかみ)、稲荷社、不詳、瑜伽社
とのこと。大津はいませんね^^;
それでも、この辺りに大津が住んだことは間違いなく、それだけで嬉しいオイラなのでありました。

社の回りをゲシゲシ散策。
 
なんだか古そうな石がゴロゴロありますね。(ドキドキ)
奥の方の土の部分を掘り下げてみたい・・・(←バカバカバカ!)


これはきっと新しいものだね。でも惹かれるよね~


コンクリートの壁に囲まれているけれど、少しだけ中が見えます。

実は疲れ果ててたオイラは、ホントにこの場所ではぼんやりとしてただけでした(笑)
でも、ちゃんとこれたよ、大津☆


こーしてこの日のオイラの大津巡礼は幕を閉じた。
心に残ったものは、大きな大きな満足感。そう、あの途中で見た虹のような鮮やかな晴れ晴れとした気分。
体に残ったものは極度の疲労(爆!)翌々日まで足がジンジン痛かったです。



長い文章、お付き合い有難うございました。





「懐風藻」に載っている大津皇子の辞世の漢詩「五言臨終一絶」


金鳥臨西舎(太陽が西に沈む時)
鼓声催短命(時を告げる大鼓の音が短命を催す)
泉路無賓主(死出の旅に客はいない)
此夕離家向(夕刻に家を出てどこに向かうのか)












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2 コメント

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お返事 (>瓜亀仙人様)
2012-08-11 22:22:32
コメント有り難うごさいますo(^-^)o
瓜亀仙人様のブログ、気になる場所が多すぎ!
これからも楽しみにしていますね(^_^)v

よろしくお願い致します
返信する
Unknown (瓜亀仙人)
2012-08-11 14:05:36
はじめまして!
大津巡礼おつかれさまでした。
私にもっと詳しい歴史の知識があれば、
もっと楽しい田舎暮らし(奈良生活)ができるのに、
って思いながら盆地をウロウロしています。
これからもよろしくお願いします。
返信する

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